習い事について~ピアノ③種田葉子先生ⅰ~
「音楽には人を動かすチカラがある」
Yが通っている教室は『リーフミュージックルーム』
教えてくださっているのは『種田葉子先生』
今回は許可を得て名前を出させていただきました。
リトミックや視覚的アプローチを取り入れたレッスン、ピアノ以外の楽器や歌を取り入れた発表会など、一般的なピアノ教室とは違う音楽教室を主宰されている先生に、どうしてこのような教室になったのか、音楽に対する先生の想いをききました。
--‐先生の教室はピアノ教室ではなく音楽教室とうたっているのですが、それはピアノの先生になろうと思った時からそういう教室にしたいと考えていたのですか?
いえいえ。はじめは普通のピアノ教室で、私、厳しい先生だったんです(笑)。厳しく教えられてきましたから、それが当たり前だと思っていました。練習してこなかったら、なんで練習してこないの、ピアノ好きでしょ、みたいに思っていました。今から思えば嫌な先生ですね(笑)。わたしはピアノが好きで、音楽が好きで、練習が好きだったので、練習がいやっていう経験がなかったんですね。だからなんで好きなのにやらないのって思っていました。
--‐音楽教室になっていった転機は何ですか?
左右の手、両方とも腱鞘炎になって、指を動かせない大変な時期に交通事故にあって頚椎を損傷してしまいました。座っている状態でも吐き気をもよおすぐらいで、壁にもたれてなんとかレッスンして、合間に寝ていました。このときの話だけで本一冊書けるかもしれません(笑)。今だったら休むでしょうけど、当時はレッスンを休むという概念がなかったんですね。楽しみにしてくださってるのに、自分の都合で絶対まわりに迷惑かけてはいけないって思って、吐きながらやってました。
指が動かなくて弾くことが出来ないので、レッスン以外の伴奏などの仕事は全部やめました。このような状態でレッスンすることが申し訳なくなってきて、生徒さんたちに相談しました。全然かまわないって言ってくれたので何とか続けていました。
そんな時にリトミック(ダルクローズ)に出会いました。もう動けなくて、外にもいけなくて家でもしんどいっていうときだったのに、行ってみたら動けたんですね。音楽が動かしてくれたんです。私は音楽を与えていたけれど、与えられることはなかったので(ピアノを習っていた時も先生が弾いてくれることはまあなかったですし、とにかく楽譜通り弾くことしかありませんでしたから、演奏会に行っても音がきれいだったとか指がよく動いてすごいなという感想しかありませんでしたから)、はじめての体験でした。
ダルクローズは先生が弾いて、それを感じ取って、表現するものでした。感じることをいっぱいします。そういうことをやっていくうちに、音楽による感情の揺れを自分自身が体験できるようになりました。(それまでは聞こえてきた音は全部階名に聞こえていました)そして私の音楽観、音楽性が変わりました。
当時はもう厳しいだけのレッスンではなく、レッスンのやり方もいろいろ勉強してやっていましたが、リズムはクラシックのままだったんですね。リトミックに出会ってからレッスンの中に「身体を動かす」ということを取り入れるようになりました。自分が音楽に動かしてもらったので生徒さんにも体験してもらいたかったんです。小学生の生徒さんはすんなりいきました。中学生はさすがにちょっと・・というのはありましたけど(笑)、ちょっとずつその子にあうように工夫していきました。「動いた後は弾きやすくなる」という体験をして動くことに抵抗がなくなっていったようです。
〜次回につづく〜
☆ダルクローズ
スイスの作曲家、音楽教育家であるエミール・ジャック=ダルクローズによって創られた、音楽を統合的にそして合理的に学ぶための音楽教育法。全身を使って音楽を動きで表現するリトミックと音楽を聴く耳を育てるソルフェージュ、即興演奏を組み合わせ、音楽の諸要素を体験することを教育法の原点に置く。~日本ジャック=ダルクローズ協会より~