しじまのよあけ_sibu

しじまのよあけ

2017.10/22発行 コピー印刷

作中、主人公が無意識の感情を自分でも気づかずに流すシーンから、静かな夜に溶けて光る涙のイメージでデザインしました。
現物には金インク手書きでタイトルの英訳を走り書いています。
(売り切ったのでサンプルなし)




しじまのよあけ

二次創作 Web再録
万壮

 きっと俺が気が付いていないだけで、何度もあったのだと思う。
 こういう夜が。

 ふと、意識が浮上して、俺は目を覚ました。
 瞼のあちら側に広がる世界は静かで暗く、まだ夜の気配を強く感じさせていたので、俺は瞼をこじ開けるのが面倒で隣の気配を探った。片側の布団がはだけていて、それで起こされたらしい。最近肌寒くなってきたのに、暑がりなのかなぁ。いつも折り目正しく布団の中に収まっているので気が付かなかった。それでも風邪をひいてはいけないと、布団をかけ直そうとして片手が塞がっていることに気づく。彼が俺の手を強く握って……握って?
 あちらから勝手に触れられることなんて、ほとんどない。好きにしてくれたらいいのに、と思うけど、切り出せなくてこちらをのぞき込む困った顔も好きだった。
 よくよく考えてみれば、この冷たい手が布団を暑がる筈もない。寝ぼけてるな――俺は瞼を開いて彼の姿を探した。
「そうごくん……?」
 隣の枕に気配を感じなかった彼は、ベッドの上に所在なさげに座り込んでいた。呼びかけた掠れ声は、控えめに鼻を啜る音に重なった。
「壮五くん……?」
 一気に目が覚めて、自分も起きあがって隣から覗きこんだ顔は、呆然と静かにボタボタ涙を流していた。雨水の染み込んだ路面のように、頬が青く反射する。呼びかけに気が付いて、夢から覚めたようにこちらを向いた彼は、至って普通の顔で、申し訳なさそうに小首を傾げた。
「すいません、起こしましたか?」
「いや、それはいいんだけど、……大丈夫?」
「?」
「どこか、痛いところとか、ある?」
「どこも痛いところなんて……? すみません、ぼーっとしてしまって」
「ぼーっとどころじゃないだろう」
 薄い夜の明かりを拡散する水の流れを親指で押しとどめると、漸く彼は頬が塗れていることに気が付いたようだった。慌てて涙を拭い出す手を止める。慎重な彼には珍しく、乱雑すぎて腫れてしまいそうで心配な手付きだった。
「わかった。夜起きてぼーっとしてる時は、頼むから起こして」
 腕を広げると、壮五君はそこに大人しく収まった。
「でも」
「一人で寝てるのは俺が寂しいから。お願い」
「……わかりました」
 不承不承に彼は頷いた。
 ベッドに座って壮五くんを抱きしめたまま、起き抜けの頭は考える。
「一緒に寝てる時なんて、どうせ翌日ゆっくりできる日なんだから。夜更かししてごろごろするのも良いよね」
 額を合わせて、指を絡めると、ぱちぱち睫毛が瞬いて、ぽろりと涙がこぼれた。顔を歪めることもなく涙を流す様は、まるでさめざめと泣く姿を消費させられる機械人形のようで、こちらの胸が詰まる。声を出さずに泣くのは疲れないだろうけど、自分が泣いていることにすら気づいていない彼ではきっとその変わりになにも解決しない。
 俺は隠すように片手で頭を抱き込んで、僅かな呼吸音が途切れて聞こえなくなってしまうまで慰めるように撫でて構っていた。


 じっと見つめる視線に気が付いて、目が覚めた。
 あれから毎回、この視線に起こされる。
 今日も彼は、控えめに手を握って、起こすべきだが、起こして良いものかと声をかけられずに困った顔をしていた。握られた手の回りのシーツが、すこし濡れていて、どれぐらい一人で座り込んでいたのだろうと思った。この関係に甘えて叩き起こしてくれないのは残念だけど、あの日手を握っていたのは偶然ではなかったようで、これが眠る俺に対する壮五くんの精一杯だった。普段は次第に、ああ甘えているんだなとか、頼ってくれているんだなと感じる機会が増えてきたので、その内静かに起こしてもらえるようになるのかなと考えている。それに、猫のようにこちらの様子を伺って俺を瞳に映しているのは、あのどこかに心を飛ばしているような姿よりもよっぽど良い。俺の心臓に悪いし、きっと壮五くんにとっても良いことではないだろう。
「また起きちゃったの?」
 腕を伸ばして、頭を撫でると、青い夜を遮って枕元に座りこんだ壮五くんは、密やかに、はい、と頷いた。動きに合わせて、顎先へ涙が滴る。
 俺は片手を枕に寝直すと、そのまま撫でていた頭を胸元に引き寄せた。
「夜だから、寂しくなっちゃった?俺も甘えたくなっちゃったな。夜だから」
「夜だから?」
 囁くと、涙に濡れた囁きが帰ってくる。
「うん、夜だから。俺のこと甘やかしてくれる?」
 額を合わせると、どうすれば?と問いかけるように瞳がこちらを見つめた。
「ぎゅ、ってして欲しいな。壮五くんに」
「こう、ですか?」
 身体の下に潜り込んできた手のひらのために、わき腹を浮かせて好きにさせると、壮五くんは俺の「ぎゅ、」を従順に身体で再現してみせた。まだ水分を湛えたままの瞳が確かめるように正解を求める。
「うん。すごく嬉しい。ありがとう。お礼に、壮五くんに何でもしてあげるよ」
 意外と、自分で思っているよりもこの表情が好きらしい。泣いている女の子なんて面倒でしかなかったのに、もっと面倒な性欲を満たして眠っているところを起こされても、なんとも思わないような。むしろ、せっかく起きたからもう一回する?と乗り気になってしまうような。いや、さすがに本当に泣いている子にするような気はないけど、ことの最中はどうしてもいじめてしまう。
 悪戯心がわいて、抱きしめられて近づいた距離に、足を絡ませてもっと引き寄せる。触れることに馴れた身体は、ピッタリくっついた熱よりも、いきなり降りかかってきた問題に夢中だ。パーソナルスペースが広くなっても、我が儘ともつかないお願いが苦手な壮五くんは、ベッドの上の睦言を真剣に考えている。さっきまで、下がっていた眉が寄せられていた。
「なんでも……」
「そう、なんでも。いいよ、言ってみて」
「うーん、……キス、して欲しいです」
「俺もしたいなって思ってたところ」
 眉根に唇を寄せると、あっ、と惜しむ声が聞こえた。
「なに?」
「あ、いえ、ちがっ」
「どこが良かったの?」
 鼻筋を唇で食みながら辿って、絡ませた足に期待するように力が入った瞬間、目元に移動する。
「ここ?」
 熱くなった目元に瞼からこめかみまで確かめながら唇を落とす。
「ここ?」
 噛みしめた唇はふるふるとかぶりを振るのに、開かない。また、望みとは違うところへキスを落とす。
「はは、ねぇ、どこ?」
 表情を隠すように俯く輪郭を耳元まで至って、囁くと、壮五くんはもどかしげに呟いた。
「ぅ、……くち」
「いいよ、顔上げて」
 ちゅく、と口付けると、もっと、と強請られる。せっぱ詰まる前にちゃんと言えばいいのにと思いながら、俺は唇を食んだ。

 

 

 夜明け前に、一度起きるのが習慣になってしまった。

 青く光る朝の前に、隣の温もりが静かなのを確認する。眠っている彼は、起きている時よりも更に静かで不安なぐらいだったけれど、今ではその静かさに安心するようになっている。今日は静かな日だ。
 結局彼は俺を自分で起こすことは無くて、静かにすすり泣く壮五くんを、ただ胸の中に強く抱き込んで、黙って僅かに乱れる呼吸音が静かになる頃に眠りに就くようになった時には、その頻度は減っていた。それでも時偶に彼は起きていて、俺が目を開くとほっとしたように笑うので、ああ、わかるようになったんだな、と俺はそういう時壮五くんの涙を拭って、昔を懐かしむ。あれはあれで可愛かったのに。
 そんな馬鹿なことを考えて、俺は静寂に口付けた。




拍動の水底

 ただ、眠りが浅いだけだと思っていた。
 

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