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ヴィクトリア女王 最後の秘密

心を開いた。人生が愛おしくなった――。

キービジュアルに添えられたコピー。

感想を書こうと思って公式ホームページを見て、思わず胸が熱くなった。


私は歴史に疎い。

この作品を見ようと思ったのも、ドレスを見るのが好きだからだ。

ヴィクトリア朝のドレスって上半身がピッタリとしていて名古屋帯みたいに腰からヒップラインを膨らませてるのがめちゃくちゃ可愛くないですか?お太鼓にする時みたいにわざわざ物入れて綺麗に膨らませてるんだと思うんですよね。背筋のS字が強調されるのがめちゃめちゃかわいい。なんと言っても「ヴィクトリア女王」が主人公、お付きの侍女からなにからなにまで確実にあの時代の衣装を着ていて、内容によってはパーティもあって〜、来賓のレディたちはもうそれはそれは素敵なドレスを着ているに違いない、もうぜっったい、刺繡とかレースとか、劇場のおっきなスクリーンで余すことなく見なくては!と勇んで劇場へ向かったので、申し訳ないが私は女王と若いツバメがなんとやら的な話なんだろうな、ぐらいの感覚でシートに座った。ジョン・ブラウンもだれ?って感じだし、ヴィクトリア女王のことは典型的に気難しそうで皮肉屋そうな英国老婆、というイメージしか持っていなかった。

不機嫌な老婆

待ちに待った式典のシーン。

テイラーがアブドゥル達のぜんぜん伝統的なデザインじゃないと言うのをガン無視して衣装合わせをするのを、私はニマニマと見守っていた。その大仰で見た目重視な感じ、その時代の王侯貴族に仕える人っぽい。私もストーリーと隣りで寝息を立てるオジサンをガン無視してきらびやかな衣装ばかりを見ていた。広がるレース、式典用に統一されたドレス、来賓一人一人の後ろに控える揃いの赤い服を着た給仕。最高だ。

そして女王陛下が場に現れた。なんでお婆ちゃんになると食べ方が汚くなるんだろう。一つ一つの仕草に気品はあるのに、不機嫌で、つかれていて、食べ方がぐちゃぐちゃでもったいない。私も体が動かなくなったらああいう汚いものの食べ方をするんだろうか。つまらなくスクリーンを眺めていたら、そこでようやく、今作の主人公である女王とアブドゥルの出会いのシーンが訪れた。

私はこの時ほど、外国人の表情を識別できないのがもったいないなぁと思ったことがない。

年嵩の人と話をすると、若い人の顔が全て同じに見える、とよくゴチられるが、それと同じように私も先達の人々は皆同じに見える。外国人なんてそれ以上に全部同じ。お婆ちゃんなんてマクゴナガル先生しか別人と認識できない(ダウントンアビーを見た時はマクゴナガル先生以外の老婆が判別できずにめちゃくちゃ苦労した)。

顔が判別できないのだから、感情の表出なんて全然分からないのだ。

このシーン、アブドゥルと女王陛下の視線が交わるシーンはかなりの尺が割かれていた。そして役者の表情も細かく変わった。一種類の人種しか住まないこの島国で、核家族で近所付き合いも薄いというのは、この作品を見るにあたってかなりアドバンテージがない。これ、この表情から感情を読み取れたら絶対深みが出て面白いと思う。かと言って今後反省を活かして爺婆と積極的に交わる気なんてさらさら無いんだけど。

女王陛下がめちゃくちゃキュート

それからの女王陛下のなんとも可愛らしいこと。

夫を亡くして、ジョン・ブラウン(調べたら夫を亡くした後を支えたかなり親しい世話人だった)も亡くして、思惑渦巻く王宮で孤独に死ぬまでの時間を英国女王として消費していた彼女は、倦んで不機嫌な老婆でなくなった。

アブドゥルは元が庶民の出で、宮廷文化に染まっておらず、善良で素直で思慮深く見えた。先述の通り、私は歴史的文化的知識も乏しく、インドを占領した英国女王に素直に敬意と服従を示す彼が全くよく分からなかったのだが、(思いつくことは絨毯の目利きを評価されたことだけど、それがそんなに彼自身を肯定される栄誉ある良いことだったのか?だったんだろうけど、イマイチそれを信じ切れないのは私が彼に心を開けなかったからだ。)彼の同郷の友人が金と希望をちらつかされても何一つ彼に不利な「本当」を話せなかったように、彼の真摯さは本物だったのだろう。

新しい視線と、新しい哲学、新しい知識に、女王陛下はどんどん若返っていったように感じた。一曲歌を、なんて普通にアブドゥルと出会う前は断っていたと思う。可愛らしい歌を歌って、シャンパンを飲み過ぎたとはしゃいで踊る陛下は本当にお可愛らしかった。

象徴としての式典、会合、お茶会と、誰一人エリザベス本人を見ない、女王が知らなくていいことは与えない世界に、エリザベス本人の意向と立場を鑑みて、学ぶなら相応しいものをと提案してくるアブドゥルはとても新鮮で価値あるものだったのだと思う。

なによりも印象的だったのはあの白人主義の世界で、彼女が柔軟に占領国の宗教思想をすんなりと受け入れたことだった。そのシーンを見るまで、ただのお戯れかと思っていたものが、途端に意味合いを変えた。ただ顔が気に入っただけなら、ただ自分に向けられた視線が物珍しいだけだったなら、他宗教の教えなんて黙らせて自分の前で口にさせなければいい。イメージでしかないが、あの時代、女王なら、他人種なんて人間であっても体よくペットにできると思う。

エリザベス女王陛下は、本当に聡明であった――それ故にあの世界は辛かっただろうな――と作中を通して感じ入るばかりだった。

染み入る物語

退屈でしょうもなかった余生が、愛おしく、死ぬのが勿体無くなるほどの出会いとは如何程のものなのだろう。故人を思って、毎朝石像にキスをして、その膝元で読書をして暮らす人生とは。

心を開ける出会い、とは。

さよならを交わす、陛下の穏やかな表情がじんわりと思い起こされる。

起伏があるわけでもないし、別にエンターテイメント性が高いわけでもない。アブドゥルのことはよく理解できないし、総括して何を得たとも言えない。友達に薦めるかと言われたら、別に薦めないと思う。

けれど、折に触れて思い出す、そんな気がする作品だった。


今日もスタバみたいなちょっとした出費をやめられない