『生きるのは最高だ』は運命愛なのかもしれない

⚪︎×△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて
確かめる間もないほど 生きるのは最高だ

BUMP OF CHICKEN 「ray」

去年の九月、BUMP OF CHICKENのライブに初めて参加した。しんどい時にいつも励ましてくれたBUMP OF CHICKENを生で初めて見た時は涙が止まらなかった。一曲目の「Sleep Walking Orchestra」なんて泣く曲じゃないはずなのに…

「ray」が流れた時がおそらく一番涙を流していたと思う。本当にこの曲には何度も励まされたし、これからも励まされっぱなしだろう。一番好きな曲の一つだ。

「ray」が一番好きな理由の一つは、その歌詞がものすごくニーチェ的だと感じるからである。藤原基央がそれを意図したかどうかは分からないけど、僕は歌詞全体を通じて運命愛を表現しているという印象を受けた。

お別れしたことは 出会ったことと繋がっている

「別れ」と「出会い」が繋がっているというこの歌詞は時間の円環構造に基づいた人生観であり、人生の出来事が単独ではなく永遠に繋がっているという「永劫回帰」の思想に繋がるものがある。永劫回帰では「それを運命として受け入れる」必要があるが、「お別れ」したことで「出会った」という前向きな捉え方はまさに運命を受け入れているといえる。

君といた時は見えた 今は見えなくなった
透明な彗星をぼんやりと でもそれだけ探している

ここには一度失ったものを探し続ける姿が描かれている。これはニヒリズムに陥るのではなく、意味を自ら探し続ける「ニヒリズムからの脱却」を描いているように思える。

楽しい方がずっといいよ 誤魔化して笑っていくよ

また、1番のサビには上のような歌詞が続くが、これは悲しみに暮れ、無気力になるのではなく「受動的ニヒリズム」からの脱却を目指す姿勢が描かれている。

ならば、『生きるのは最高だ』という歌詞は運命愛を表しているのではないだろうか。この歌詞には喪失や別れを経験しながらも、「⚪︎×△」や「皆と比べてどうか」といった理屈ではなく「生きることそのもの」を肯定する力強い意志が込められているように思われる。この歌詞は単なるポジティブな言葉ではなく、喪失・苦しみ・痛みを経験した上で、それでも人生を肯定するという強い意志、すなわちニヒリズムの克服であり、運命愛であり、永劫回帰の肯定でもあるのだ。『生きるのは最高だ』と言えること自体が、哲学的な到達点なのではないだろうか。

この一年、自分の実存に大きく影響を与える出来事がたくさんあった。追い続けていた夢が叶わなかったり、運命だと思った人がそうでも無かったり……
生きる意味を見失ってしまいそうになったこともたくさんあったけれど、それでも何とかやれている。

これからも辛いことはたくさん起きるだろうし、心が折れることも沢山あるだろう。でも、その度に自分に言い聞かせたい。『生きるのは最高だ』と。

いいなと思ったら応援しよう!