この世から推しバンドがいなくなったということ
いまだに、実感できてない。
去る2月26日、解散前の本当の本当の最後のライブだった。
チケットはソールドアウトしたから行けただけでも幸運、さらにライブを見ての感情を共有できる友達がいることはさらに幸運だった(その友達と引き合わせてくれたのは、他でもないその推しバンドなわけだが)。
しかし、そのライブが終わると、もっと、とてつもない喪失感に襲われるかと思っていたが、意外にもそんなに思わなかった。
と、いうより全然実感がない。なさすぎる。
推しバンドの各メンバーは元々、そのバンドだけでなく、それぞれ自分の能力を生かした個人活動もしていた。だから、いま各々の活動や日常を発信していることは、前からあまり変わっていない。
さらに、(コロナ禍を挟んでいるから大半のバンドがそうであるように)ライブがまったくなかった時期もあったから、そのような感じが続いているようにも思える。
しかし、ずんと気持ちが沈んだのは、メンバーが各SNSのプロフ文に、元を意味する「ex.〜」と付けた(のに気付いた)ときだ。
実際はどうか分からないけど、解散ではなく、活動休止(無期限も含む)であれば、「活動していない状態」のバンドがまだ存在しているわけで、現メンバーであり続けるので「元」ではないと思う。そうすると、やはり、もうそのバンドが存在しない、だから、元メンバーだということじゃないかと、考えてしまった。
メンバーがそのようにプロフ文を変更したのに気づいたのは、ラストライブ後に友達と打ち上げをして、ホテルに戻り、寝る準備をし始めたAM4時くらいのことだった。
朝を迎えて、ほぼ昼になったところで、友達とお昼を食べ、お茶をして、それぞれの用事に向かったり、帰路についたりした。
その日は、バンドが、というよりも、そのバンド友達に会える回数がめっきり減ってしまう(住んでいるところもみんな近いわけではない)ということに寂しさを感じていた。
前日のライブは、もはや夢だったのか、と思うような感じだった。
その翌週、翌々週と、別のバンドのライブを観に行った。
コロナ禍になる前は一番行っていた年で、年間100本以上ライブに行ってたこともあり、「余韻が消えるの勿体無い」みたいな感覚はいつしかなくなった。
そして、たとえ、昼・夜とまったく違うライブに行っても、すぐ切り替えができるようになっていた。
それがいいのか悪いのかは別として、すっぱり切り替えられるから、引きずることなく、ライブに行けた。もちろん、どちらのライブも楽しかった、特に翌々週のほうは記念にもなったような感じ。
すぐにライブの予定を入れたのは、空白の時間ができるのが怖かったからだったかもしれない。
いつもは休みの日はもっとのんびりしたいと思うことが多いのに、3月はできるだけ予定を入れたいという感じに囚われている。
推しバンドが解散したことが実感できなくてもいいけど、もし、いつか急に実感してしまって、どうしようもない精神状態になったらどうしよう…と思う。
でも、それはそのときに考える。
やっぱり好きであることには変わりない。
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