時間芸術を超えて。アンブローズ・アキンムシーレ来日公演
思索的でありながら知性に堕することなく、確かな体幹を備えたジャズ。終始スリリングなムードが充満するライヴだった。
気心の知れたメンバーとのカルテット編成。アキンムシーレのペットのトーンは、まろやかだが陰りがある。弱音主体で、高らかに鳴らす場面は少ない。それは高度なテクニックあってこそのアプローチであり、息音を活かした特殊奏法らしきものを披露しても、トリッキーさはゼロだ。
ドン・チェリーやグラハム・ヘインズ、または彼が尊敬しているという故ロイ・ハーグローヴの影も見えてくる。
細かいパッセージで突き進むシーンもあるにはあるが、決して疾走しない。グルーヴに身を任せることをなるべく回避しているようにさえ思える。常に空間をつくっているような感覚。ただ、アブストラクトに究めるというわけではなく、フレーズにはどこか素朴な人肌の温もりがある。
ピアノのサム・ハリスやベースのハリシュ・ラガヴァンの方が、よほど抽象度が高い。ドラムのジャスティン・ブラウンは、絶え間ない微分と積分を繰り返す異次元のリズム感で、キュビスムの絵を描いているかのようだが、この非直線的なビートは、アキンムシーレのプレイとうまくマッチしている。
同世代のトランペッターとは少しスタンスを異にしているとも感じた。ジャズ以外のジャンルにベクトルが向かう遠心力で音楽を駆動するクリスチャン・スコットやキーヨン・ハロルドとは違い、なんといっても抑制的だ。
ブルーノートを離れた経緯はよく分からない。しかし、なんとなく了解できるものがあった。レーベルのオールスターメンバーによるアルバムにも参加していたけれど、ロバート・グラスパーみたいな俗物とは相容れないだろうな、とかね。
アキンムシーレの基底にはブルースがある。これまでのアルバムでも、黒人差別の歴史と現状を直視し、抗議の意志を表明するナレーション付きのナンバーを発表してきた。そんな姿勢が、今回のライヴでダイレクトに表現されていたわけではないが、ただの怒りではなく、静かな憤りや深い憂慮としてのブルースが確かに息づいていたと思う。
演奏時間は1時間強。もっと聴きたいと思わせる吸引力があった。アルバムでは沈潜が過ぎることもあるが、本人はライヴでバランスを取っているのかもしれない。アキンムシーレの進化は当面続くだろう。