12月31日がキライだ
12月31日の空気が嫌いである。
そう感じたのは、わたしが随分大人になった年齢になったからのことだ。
一年を締め括る歌番組、カウントダウンライブ、賑わいのあるテレビ、五感のすべてが一年を終わらせようと押し寄せて来る。
それが台風の時の海原の如く激しく波が立ってわたしを飲み込む。飲み込もうとせしめようとする。
12月31日に終わらせなければいけはい、締めなければいけない、良いお年を、来年もよろしくお願いします、聞き飽きた挨拶、義務的な羅列に辟易とした。
幼い頃はキラキラとしていた一年最後の日も今や義務感や柵がセピアでなくビビットに可視化されて肩凝りが酷い。
正月のあけましておめでとうございます。も、酷く酷く面倒だ。よろしくお願いします。も、厄介だ。
こうして、嫌いなことは嫌いと並べることで救われる命と感情がある。そんなことを噛み締められるのも12月31日の大晦日の醍醐味かもしれない。
なにはともあれ、わたしの言葉に出逢えた方よ、次の年も今の年も関係ない、年なんて関係ないんだ。
ただ、今この一瞬のあなたがあなたを救う選択ができますよう。こころから。
何度でも書き記す。
わたしは年の最後も最初もダイキライだった。
義務的なご挨拶や仕来りも非常に面倒である。
イヤを吐き出して澄んだ気持ちで、生きて行けそうだ。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。また。