帰る場所、還る場所。
地元以外に、帰る場所が出来た。
「ただいま」と言ったら「おかえり」と応えてくれるような、もう一つの私の故郷。
その地を離れて地元に帰っても、
どこかつながっているような感覚でいられて。
その地に行けばまた、
会いたい人がいて、見たい景色があって。
その人達に会いに、その景色に会いに、
また何度も帰ってきたくなる。
そんな、”遠く離れたいつでも帰る場所”が、
私にとって心のよりどころとなっていた。
されど、自分が最後には帰り着く、
地元である故郷。
そこは、何にも代えられない、”かけがえのないふるさと”であることに気づいたのは、
自分にとってもう一つの故郷である地からの、
帰路だった。
片道約10時間かけて夜行バスにゆられて、地元を目指す。
その帰路で、離れたもう一つの故郷への寂しさを感じつつも、どこか安心感を覚える自分がいた。
”これから自分の在るべき場所に、
変わらず待つ人が居る場所に、帰るんだ”
そんな感覚だった。
でもそう感じられるのってきっと、
あたりまえじゃない。
いつなんどきも、帰るべき場所があること。
そこで自分を待っててくれる人が居ること。
どんな自分も、変わらず受け入れてくれる場所があること。
それはきっと、とんでもなく幸せなことで、
失ってはいけない場所であり、
そこに居る人たちの存在であると思った。
いつか、その地が崩れ、帰れない場所になってしまうかもしれない。
何かの機に、その地には居られなくなってしまうかもしれない。
帰っても、待っててくれる人がそこに居ないときがくるかもしれない。
そんな風に考えを巡らせると、胸が苦しくなる。
きっとわたしは今、”もし自分の故郷がそうなったら”と想像するにしかすぎないが、同じ当たり前がそこにない人もいるわけで。
ここにこんな風につらつらと、見る人によってはきっと軽々しく綴ってしまっているのも、少し気が引けてくる程に。
でもだからこそ、
今ある大切な故郷を大切にしたい。
かけがえのない地元である故郷も、
もう一つの心のよりどころである故郷も。
自分にとっても、
大切なふるさとを今もっている、これからもつ、
すべての人々にとっても。
そして、もしその地が帰れる場所ではなくなってしまったとき、せめて空っぽの場所にはならないように。
そこにちゃんと土地の記憶、文化、伝統、人のつながりが残っているように、その「記憶」を紡ぎたい。
「帰る」というのは、場所や土地だけではないからこそ、ちゃんと心で「還る」場所であるように。
これが、私が生涯かけて大切にしたいこと。