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子どもの意見表明権について

意見表明権は、子どもが権利の帰属主体であるばかりか、権利の行使の主体でもあることを明示するものであり、条約の基幹を成すものであるにもかかわらず、日本法でおそらく最も整備が遅れている課題だ

家裁実務では、年少児(ほぼ一〇歳未満)、年中児(一〇-一四歳まで)、年長児(一五歳以上)に分け、年齢に応じた配慮をしながら、家裁調査官の専門的な手法に従って子の意思を調査している(11)。子は日常的に父母の紛争の現実や子としての葛藤を感じてはいても、いざ意見を聴かれるとなると、そこまで至っていたのかと傷つきショックも大きいだけでなく、意見表明がうまくできずに外に向かってストレスを発散させたり、救助信号を送る子、情緒不安定のまま心身症状に陥る子もいるという。しかし、これらはこれまでの家庭生活の中で子として尊重されず、家族の一員として参加できなかったことの積重ねの結果だと指摘されている
(深見玲子「子どもの意見表明権-家事事件手続との関係など」前掲(1)・家族〈社会と法〉一八六頁以下、依田久子「子どもの意見表明権-家事事件手続との関係など、調査官の立場から」一九五頁以下参照。
具体的なケース研究から検討課題をまとめたものとして、京都家庭裁判所「子を巡る事件における調査のあり方-子の意向の調査が問題となった事例をとおして」家裁月報四九巻八号一三三頁以下(一九九七年)などがある。)。

子どもの権利条約一二条の意見表明権

同条は、次のように規定する。「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」(第一項)、「このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接又は代理人若くは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる」(第二項)と(政府訳)。

第一項は、自分の意見を形成する能力のある子に対して、自分に影響を及ぼすすべての事項について、意見表明権を保障し、第二項は、司法および行政手続上、意見を聴取される機会を保障するものである。

第二項においては、代理人または適当な団体を通しての意見聴取が規定されているので、意見形成能力のない子にも意見聴取の機会は保障されるが、第一項において「考慮される」ことまでは義務づけられないと解されている(石川稔「児童の意見表明権」石川稔・森田明編『児童の権利条約』二三三頁(日本評論社  一九九五年)。)。

 日本が条約を批准した以上、国は意見表明権を家族法の中ににいかす責任がある。すなわち、子にとって重要な家族法上の事柄について、その決定過程に子が参加し、その意思が尊重されることを具体的に保障しなければならない。意見形成能力のある子には意見表明権を保障し、そのような段階に達していない子についても、自分の気持ちや思いを述べる力があれば、それを聴取される機会を保障する規定を設けるべきだといえる(意見表明権に関する日本法の手続上の対応についてコメントするものとして、波多野里望『逐条解説  児童の権利条約』八六頁以下(有斐閣  一九九四年)、家族法上の問題についてコメントするものとして、永井憲一・寺脇隆夫編『解説・子どもの権利条約』七五頁以下(日本評論社  一九九〇年))。
  他方で、子には判断のつかないこともあるから、子に決定を迫るのは酷いという反論がありうる(判断の過程そのものが子に害を及ぼすこともあることから、英国の児童法(一九八九年)が子どもの選択権をストレートに認めなかったという(許末恵「英国一九八九年児童法についての一考察」神奈川工科大学研究報告A(人文社会科学編)一七号八七頁〔一九九三年〕、同・前掲(1)六五七頁参照)。)。

 しかし、例えば、小学一年生くらいの子でも、親の離婚に際してどちらを親権者にしてほしいか(それは好き嫌いの感情であることもある)、自分の氏を変更したいか、したくないか、ある人の養子になりたいか否かなどについては、自分の考えないし気持ちを持っている。子には判断がつかなくて、そのときは答えられなくても、あるいは二者択一を迫られるようで辛くても、自分の大事なことについて決めるときに、大人が意見を聴いてくれ、自分を尊重してくれたという経過が、子にとっては大切なのではないだろうか(深見判事は、「何よりも、主役であるはずの子どもたちが、自分の意見を述べる機会を与えられずに自分にとって最も重要なことを決められてしまったという不満をもつことになろう」と指摘する(前掲(11)一九二頁)。)。

 依田家裁調査官は、実務経験から「子の意見表明権は、声なき声に泣いてきた子にとって大きな成果である」と指摘される
(依田久子「子どもの意見表明権-家事事件手続との関係など、調査官の立場から」同二〇八頁以下参照。)。

 子どもの権利条約を批准した国として、またこれまでの状況の改善のためにも、子の意思の尊重と、その法的根拠としての意見表明権を実体的な権利として、また手続的な保障として民法中に明記する必要があるように思われる。
 若林判事は、子どもの権利条約批准を目前にした時期において、「意見表明権を前提にするならば、子の意思の自立が認められる限り、これに反する結論は子の福祉に反することになり、親の意思よりも子の意思を優先させることが子の福祉に沿うことにもなるのでなかろうか。

 子に影響の及ぶ家族法上の事項に関する子の意見表明権を手続上どのように保障すべきだろうか。ドイツ法では、家庭裁判所・後見裁判所において子の身上監護、財産管理に関する訴訟手続をとる場合、子に手続上の保障がある。例えば、一四歳以上の子は、身上監護に関して、直接、審訊されねばならず、財産に関しては適切と判断される場合には、やはり直接、審訊される。そこではどこに問題があるのか、どのような結末になる可能性があるのかを告げられ、陳述の機会が与えられる。また子の監護をする者の決定や面会交流については、子に抗告権を保障している(28)。
 これらを参考にして日本でも、家事審判について子の陳述を聴取する義務(家審規五四条)を拡張すべきであろう。具体的には、子を当事者とする全ての審判事件について、子自身の陳述を聴かねばならないことにし、現行規定のような一五歳という年齢制限をはずすのである(深見判事も、一五歳以上と未満で区別する規定の仕方が相当かという問題もあると指摘している(深見玲子「子どもの意見表明権-家事事件手続との関係など」・家族〈社会と法〉一八五頁以下)。)。

 依田家裁調査官は同じく実務経験から、「子がきちんとした場と手続のもとに意見表明することは『親のための子』から『子のための親』に視点の転換を促し、その意見を伝えることは、子が親を振返らせ親自身が親意識を取戻して本来の責任で襟を正さざるを得ない転換を意識的に促すことになろう」と指摘される
(依田久子「子どもの意見表明権-家事事件手続との関係など、調査官の立場から」同二〇七頁以下参照。)。
 子の意見表明は、親が子の意思・希望を知ることによって、子の利益につながる親子関係を構築する努力につながる可能性があるといえるのである。

 家事事件として家庭裁判所に係属すれば、現在でも、家裁調査官が専門的な立場から、こうした役割を果たしていることがある(34)。しかし、ここで問題にするのは、それ以前の段階で子に情報を提供しつつ援助するシステムのことである。これらは民法の領域を超える課題であるが、制度的な裏づけがなければ、子どもの意見表明権・自己決定権を保障することはできない。

 子の意見表明権・自己決定権を保障し、子の権利主体性を認める立場からは、親権という包括的な概念を廃止するか、英独仏の法改正に見られるように、権力的発想を抜きにした概念に転換するしかない(フランスでは「puissance paternelle(父の権力)」から「autorite´ parentale(親の権威)」へ、ドイツでは「elterliche Gewalt(親の権力)」から「elterliche Sorge(親の配慮)」へ、イギリスでは「custody(監護権)」から「parental responsibility(親責任)」へ、基本的概念を転換した(田中・前注(22)一六六頁、石川稔=門広乃里子「西ドイツの新監護法」ジュリスト七四五号一一九頁〔一九八一年〕、三木妙子「現代イギリス家族法」『講座・現代家族法  第一巻  総論』一八七頁(日本評論社  一九九一年)など参照)。)。

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