実子誘拐(子の連れ去り)は違法ではない、とはならない。
適用される刑法224条が「未成年者を略取し,又は誘拐した者は,3月以上7年以下の懲役に処す」という規定を備えるのみであり,主体の限定も,或いは主体に応じた行為態様の限定も設けていないことからすれば,未成年者を拐取する者が親か否かを問わず,このような帰結こそ一次的な論理的考察,解釈論となりうるべきなのです。
家族間における子の奪い合い自体が子に対して悪影響を及ぼすこと
こうした子の奪い合い自体の及ぼす悪影響等に鑑みて,これを根本的に抑止する必要性 を強調するならば,子の実力奪取それ自体に対する制裁が要請されることになると言える(「子の自由」(木村亀二『刑法各論』64 頁(法文社,1952),佐伯千仭『刑法各論』121 頁(有信堂,1972), 中森喜彦『刑法各論〔第 2 版〕』53 頁(有斐閣,1996),浅田和茂ほか『刑法各論〔補正版〕』103 頁(青林書院, 2000)(「人がその生活の中で形成する社会関係において生活環境を保持する自由」を保護しているとする),香川 達夫『刑法講義 各論』352 頁(成文堂,1982)(「人の本来的な生活場所における自由の侵害さえあればたりる」), 但木敬一ほか『実務刑法〔三訂版〕』332 頁(立花書房,2002)(自己の通常の生活環境の中で生活する自由の侵害)) とするものと,「子の自由や安全」(平野龍一『刑法概説』176 頁(東京大学出版会,1977),野村稔『刑法各論〔補正版〕』94 頁(青林書院,2002)(本来的な生活場所における安全と行動の自由),板倉宏『刑法各論』65 頁(勁草書房,2004),曽根威彦『刑法の重要問題〔各論〕〔第 2 版〕』73 頁(成文堂,2006),前田雅英『刑法各論講義〔第 4 版〕』104 頁(東京大学出版会,2007),林幹人『刑法各論〔第 2 版〕』83 頁(東京大学出版会,2007),西田典之 『刑法各論〔第 5 版〕』75 頁(弘文堂,2010),山口厚『刑法各論〔第 2 版〕』92-93 頁(有斐閣,2010),木村光江『刑 法〔第 3 版〕』266 頁(東京大学出版会,2010),伊東研祐『刑法講義 各論』68 頁(日本評論社,2011),大谷實『刑 法各論〔第 4 版〕』62-63 頁(成文堂,2014),高橋則夫『刑法各論〔第 2 版〕』104 頁(成文堂,2014)))。
未成年者拐取罪 に関する議論のほとんどは保護法益論
現在多く の学説上,家族間における適用を見据えた形 で保護法益論の議論が展開されていないこと も相まって,このような議論状況では「家族 間における子の奪い合い」への適用について 適切な説明を行うことができないように思わ れる。
例えば,未成年者の「自由や安全」を保護 法益とする立場からは,家裁の調停等において嬰児の監護権を失った親が,未だに自分が適切に養育できると考え,監護親の下から連れ去った場合,嬰児に何等の危害も加えられないときにはその「自由」も「安全」も侵害 されていないことから,不可罰となるはずである。
かかる結論は,それ自体問題がありうる(非監護親による監護親の下からの連れ去り:高松高判平成 26 年 1 月 28 日高検速報 458 号。) し,また仮にこれが親でなくとも祖父母や無関係な第三者(例えば近隣住民)が, 同様の事情の下に連れ去っても不可罰となることを意味することから,適切でもなければ 最高裁の立場とも乖離している(祖父母による連れ去り:平成18年10月12日最高裁判所第一小法廷判決(平成17(あ)2437))。このよ うな場合になお「自由」や「安全」が侵害さ れているというのであれば,それは如何なる場合に侵害されていると言えるのか,それは 親権者間での争いの場合にも同様に当てはまるのではないか,といった問題が生じ,そこで捉えられる被侵害利益は果たして「自由」や「安全」という言葉に包摂されるものなのかという疑義が生じる。
そこで別に主張されている,未成年者の 「監護権」も保護法益に含める立場はどうであろうか。こうすると被拐取側の監護権の侵 害を捉えることができるようにも思われる。 しかし,監護権と子の自由や安全が保護されるとして,子の自由や安全が害されなくとも 相手方の監護権の侵害のみで可罰性が基礎付 けられるものなのか定かではない。また,一 方の監護権の侵害のみで可罰性が基礎付けら れるのであれば,相手方の監護権を侵害する がより安全な場所に連れ去った場合や,相手 方の同意はあるが安全性の低下する場所に連 れ去った場合,また,非監護権者(祖父母や 無関係な第三者等)の下にいる子を監護権者 がより劣悪な環境の場所へ連れ去った場合 や,被拐取者の同意がある場合等々につい て,可罰的であるのか,構成要件該当性・違 法性阻却はどのような判断になるのか,明確 に論じられることは少なく,また定かでもな い。
保護法益について
「保護監督する父母若くは後見人の權利」としての「管督およひ敎育權」の侵害を罪質として捉える見解である (「奪取の目的は幼者なるも眞に被害の物體たるへきものは父母若くは後見人の管督およひ敎育權なり」江木 衷『現行刑法各論〔改正増補 2 版〕』317 頁(博聞社・有斐閣,1889),「幼者の權利を害するよりも寧ろ其幼者を 保護監督する父母若くは後見人の權利を害するに成るものとす」亀山貞義『刑法講義巻之二』493 頁(講法會, 1898))。
論者によっては,「幼者の父母若くは後見人の下に在て保護敎養せらるるの權利」を奪うと同時に「監督權を害する」とするように,幼者の権利の侵害も踏まえる者もいるが,主たる性質は「父母若くは後見人の 監督權を害するの點に在り」とされている(,「幼者の權利を害するよりも寧ろ其幼者を 保護監督する父母若くは後見人の權利を害するに成るものとす」亀山貞義『刑法講義巻之二』494 頁(講法會, 1898))。
略取誘拐を「不法に監督者の監督を 脫出せしむるの所爲」という見解に立ちながらも,窃盗の目的たる財物が事実所有者の手中になかったとしても所有者に属しているのと同様に,一度監督者の監督を脱した者であっても監督者の監督下にあるとして,このような状態にいる幼者の略取誘拐は本罪を成立させるという見解も主張されている(「奪取の目的は幼者なるも眞に被害の物體たるへきものは父母若くは後見人の管督およひ敎育權なり」江木 衷『現行刑法各論〔改正増補 2 版〕』317 頁(博聞社・有斐閣,1889))。
結語
「家族間における子の奪い合い」という これまで刑事罰の介入が想定されてこなかっ た問題への本罪の適用は,「通常の判断能力 を有する」と思われる「一般人」が「禁止さ れる行為とそうでない行為とを識別するため の基準」を持ち得ない。「検察官を信頼して 任せておけばすべてうまくいく,という発想 は……刑法理論のあるべき姿には反して」い る(佐伯仁志 = 道垣内弘人『刑法と民法の対話』146 頁〔佐伯仁志発言〕(有斐閣,2001))。
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