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幸せの尺度

私が学生の頃、このテーマにぶち当たって一種の挫折を味わったことがある。

当時留学から帰ってきてから【開発経済学】を専攻し、【貧困問題】の研究に没頭していた。


なぜそこまで没頭できたのか。


それは「なぜ貧困はなくならないのか」という純粋な疑問に対する答えが見つからなかったから。


小学生の頃、一人の友達が、

「募金ってね、ちゃんと届けないで自分のために使っちゃう悪い人がいるんだって。」

そんな衝撃的なことを言ってきた。

その記憶が鮮明にあり、真実かはわからないけどずっと忘れられずモヤモヤしていた。


ハタチになって留学して色んな国の人と出逢い、価値観に触れ、

国際的な問題や政治経済に関心が強くなった。


日本を含め、先進国といわれる国々は貧困国に巨額の資金援助をしているのに

なぜ貧困は無くならないのか。


NPOやNGOの募金を募るチラシには「たった○円で○人の命が救える〜」なんて決まり文句が並んでいる。


こんなに世界からお金が送られているはずなのにどうして?

巨額な支援金はどこにいっているの?

何に使われているの??

疑問が止まらなかった。


そこから始まった研究生活。


私が行き着いた答えは、


・援助ではなく自立支援をすること。

・そのためには教育が最も重要だということ。


そして選んだトピックはマイクロファイナンス。

バングラデシュのマイクロファイナンスを調査し、

現地でマイクロファイナンス人材の育成プログラムの立上げ、運営に日々翻弄していた。

そんな学生生活は、新たな光が挿すような気がして、そんな希望に向かって夢中になって取り組んでいたしとても充実していた。


そんな中、ゼミの課題でラオスの農村に滞在するチャンスが巡ってきた。

アメリカのNPOでインターンをしていた私は、世界中の参加者(研究者)と現地のプロジェクトを繋ぐ役割だったので東京から離れられず、

実際に現地に行ってフィールドワークをするのはそれが初めてだった。


いざ行ってみて衝撃が走った。


とにかくみんながフレンドリー。

見た目も言葉も違う、どこから来たかわからない外国人の私に

「サバイーディー!(=こんにちは)」と大人も子どもも駆け寄ってくる。

よく来たね!とお家に招いて料理を振る舞ってくれたり、庭のバナナをお土産にくれたり、まさに至れり尽くせり。


日本への帰国前夜、ホテルのベッドで一人滞在中に起きたことを思い返していた。

出てくるのは現地の人たちの笑顔。


こんなにキラキラ輝いている笑顔は見たことがなかった。

日本でこんな笑顔の人見たことあるだろうか?

こんなに嬉しそうに夢を語る子どもを見たことあるだろうか?


幸せってなんだろう。


ポッカリと心に穴が空いた気持ちになった。


今まで懸命に取り組んできた研究は何だったんだろう。


私はこんな風にワクワクして生きていないな。


電気も水もお金も困ることなく生活しているけれど


きっとこの人たちの方が”幸せ”を感じて毎日を生きている


貧困解決、とか、援助、とか支援、って


もしかしたら先進国側からのお節介なのかもしれない。


貧しくてかわいそうとか、勝手に外から価値観を押し付けているのかもしれない。


彼らは決してかわいそうではない。本人はそう思ってもいない。むしろすごく幸せなのかもしれない。


目まぐるしく過ごしてきた研究の日々が一気に崩れたような心地になった。


その時初めて、「幸せとは何か」を考えるようになり


夢を持つことや自分の人生を自ら選択して生きていくことなのかな。


と自分なりの答えが出た。


そしてそれは大学卒業後、会社員になって、独立した今も生きる指針になっている。




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