見出し画像

【ポケモンの話】

子どもってどこに行っても
ポケモンの話をすごい勢いで話してくる。

最近は色んな環境の子どもたちに
逢いに行くようにしているのだが、

・家庭教師として関わる小学生
・学校のように集団行動の学童の小学生
・自由に過ごせる学童の小学生

会いに行く中で気づくのは
ポケモンの話はポケモンの話でも
その輝きが全然違うってこと。


まずは
毎週水曜日に カテイキョウシ とかいう
大学生のお姉さんと一緒に
勉強することになっている7歳の男の子。

行くといつもムシャクシャしてる。

隣でもっとキツそうに勉強し始めた私をみて
お、俺の方が早いじゃん!って
だんだん笑顔になってきたと思ったら

先生まだそれしか進んでないの!?
って意地悪な笑顔で覗き込んでくる。

この子がしてくれるポケモンの話は
私が知ってる中で1番輝いてる。

勉強の合間に突如始まるポケモンの話。
何も知らない私には呪文みたいにしか
聞こえないんだけど、

誰よりも1番楽しそうで、
1番嬉しそうに話してるんだよな。

その輝きに誰もこの話を止めないでくれ〜
って思っちゃうカテイキョウシの先生は
失格なんだろうとおもう。


次の子どもたちは
自由をモットーにした学童にいる子たち。

自由なはずが
なんか物足りなさそうな目をしてる。

ポケモンの話がぬるいんだよなぁ(笑)
なんて思っちゃってる私がいる。

ポケモンへの輝きはそんなもんなのか!?
としまいには喝を入れたくなる(笑)

なんでもやっていい環境にいるのに
そんなもんなのか!?

どうすればあの子たちの表情が
輝くのか考える。
どうすればポケモンの話が熱くなるのか
真剣に考えている(笑)


やりたくないことを無理やりやっている子の
話が輝くなんて思いたくない。
自由に縛られずにいるとなんだか
力の抜けた感じになっちゃうとは
思いたくない。


全部が決められた環境で、
時間や集団行動に縛られた子どもたちの
「自由時間」と
いつも自由が許されている子どもたちの
「自由時間」は
同等なのか?
同等でなければならないと思う。
同等にしないと気が済まないのは
私だけなのか?

本当に子どもたちに与えたい環境を
もっともっと考えていこう。

いいなと思ったら応援しよう!