2022年公開映画ベスト級の呼び声も!スラムダンク…ではなく「こころの通訳者たち」とはなんだ?!
本当はスラムダンクが見たかった・・・・
というのは2割冗談で(ほぼ本音じゃあねーかヾ(゚д゚ll)
私が働いている田端の居酒屋の隣にある
映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」の製作映画
「こころの通訳者たち」(隣にあるうちの居酒屋「串焼のミヤコ」の大将が出てるので)
を観た。
順次全国上映していて
なかなか時間が合わなくて観に行けなかったが、
これ・・・なんと!!!!
2022年映画でベスト級だというのだ!!
(舞台挨拶の時のトークでTBSラジオ内でめちゃ高評価だという)
おい、映画泥棒じゃねーか!!!ヾ(゚д゚ll)
感想をネットで拾うと
みんな「すべての人に見てほしい」のように絶賛。
私、もちろん超感動して何度か泣いたのだけれど、
たまたま、私にドンピシャで刺さっただけかも、という不安があった。
怒涛の言葉で絶賛しよう、と思うまでもなく、
伝わってくれていたのが嬉しかった。
こうなると逆に、なぜここまでコンテンツがあふれる中、
この映画が激推しされる理由を端的に述べたい。
まずドキュメンタリーであり、
目、耳の不自由な方の立場から物語が始まる。
そして、特殊な映画の構造。
「舞台の上で手話をして通訳して伝える舞台のドキュメンタリー」
の映像を
さらに「目の見えない方に手話通訳の熱も含めて伝えるように音声ガイドを入れたい」
という形になっており、
ちょっと途中で、あれ?この挑戦、意味があるのか?と思う部分がある。
それは手話には手話の文法があり、その全身の言葉の技法と歴史があるのであり、
それを耳で伝えるには別の方法、媒体を取ればよいのであり、
そこまでやる意味、それを掘り進める必要があるのか、と悩んだりする。
その対話の中で、コミュニケーション一つの中にある様々な情報や感情
が次々と再発見されていく
たとえるならば「ミステリー(謎解き)」を進めていくような新たな事実が次々と浮かび上がる不思議な体験をする。
あまりにも細やかな挑戦から大きな核心に迫っていく感じが凄いのだ
(普通、映画なんて大きな挑戦から始まるし、それが当たり前である)
あなたが耳しか聴こえないとして
「舞台のセリフと同時に手話の通訳のセリフが同時にかぶさってきたとき、どう思うだろう?」
役者の台詞と同時に手話通訳者の単語の訳が入ってくる忙しい状況。
だが、それって普段僕たちが映像の中で二つの複雑な情報を受け取ることと同じで、可能なのだ。(つまり処理、理解できる)
↑のような驚きがある。
「時々過去が津波のように襲ってくることはあるが」
という言葉の節々に、苦労があり、またほかの出演者の方は
「聴覚しか間隔がないだけ、そこから多くの情報を得ているだけで感じ方が違う、だけ」
だという。
なんということだろう。
我々は、感覚を触手のように広げすぎたのではないか、と考えさせられる。
私なんてもう、やましいことがあるから、余計にそう思うのだ(;^_^A
それを美しい、なんていえば、きっと、私たちは美しくなんてない、同じなのだ、というだろう。
そうなると、もうこの映像から伝わるものを直接に観るしかないだろう。
と、私は見た映画をこのように訳することしかできないのだ。
映画泥棒を親切に迎え入れてくれた映画館のみなさん、
映画泥棒は、逆に心を奪われたのでした・・・(くだらねーなヾ(゚д゚ll)
まさか舞台挨拶の回だとは知らずにふざけて行ってしまったが、
舞台あいさつでボケまくってくる出演者の方がおもしろい。
口コミがすごい評判なのでもっともっと伸びてほしい激熱映画だ。
映画の感想なんて人ぞれぞれなんだけど、どうか伝わってほしい映画。
ジャンルの違う映画まで比べるのは野暮だけれど、
舞台挨拶の雰囲気やボケ、新しくできたミュージックビデオに詰まった遊び、
劇場パンフレットを襲ったおもしろすぎるエピソード
(点字がついている(*'▽')
そのすべてを合わせ技としていいのなら、確かに2022年1番かもしれない。
・・・そもそも映画文化なんて、合わせ技なのだ。
それを伝える立ち位置にいる本当に貴重な映画だと思う。
観客席にマイクを向けてくれて
感想を求められたので
映画泥棒、意見してしまいました
(おい、手話通訳の人に映画泥棒って訳させてんじゃねーよヾ(゚д゚ll)
ドラマ「silent」がブレイクしたけれど、
それに続いてぜひ盛り上がってほしい。
↓シネマ・チュプキ・タバタ
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