人生100年時代のわたしの社会実験③ 34年間勤めたぞ!
前回の記事からの続きです。
希望退職が受理されました。
2017年11月末。
退職日は2018年2月28日。
33年と11ヶ月勤めたことになる。
長い。
若い人に話すと、それだけで尊敬されたりします。
わたしの人生より長いじゃないですか!?
とか。
外に出て若い人と話す機会が増えて、
そうか、そんなことすら特徴になるんだ。
長く勤めただけなんだけどな。何の疑念もなく。
少し昔なら55歳で1年前に定年退職。
多くの人は、残っている有休をまとめてとるので
早い人は年内が最終出社。
その頃から、毎日のように、「退職の挨拶」メールが飛んできました。
我が身も最後ながら、それらのメールを寂しく見つめていました。
結局、会社そのものを去ることは大した意味はなくて、
一番寂しいのは、
人とのつながりが絶たれること。
会社なんて言ってみれば虚構。
どこにも実体はない。
実体のないものにずっと縛られたんだなぁ~、と
改めて実感。
最終出社日に挨拶させていただいた人。
それが会社の実体だった。
これだけの人のパワーが
持ち合わせた力を余すことなく発揮できれば
V字回復なんて簡単なこと。
そう思えた。
なのに、そうならないのはなんでだろう。
会社と言う実体のないものが、
足枷になるか、見えないパワーとなりえるか。
悲しいかな、足枷になっているとしか思えない。
人はほっておけば悪の道へ進むという性悪説由来の人事評価制度を
取っている限り、人は純粋に楽しみながら仕事が出来ないのでは
ないだろうか。
人は信用して任せてこそ伸びる。
実にもったいない、と思う。
最終日に実感したことは、「人財」でした。
会社に対する寂しさは感じなかった。
つまり組織なんてSNSのタグ付けみたいなものなんだ。
会社と言う虚構の看板はとてつもない力を与えてくれる。
そして、サブスクリプションの対価。
充分な社会保障。
逆に長年同じところに居ると、
こびりついてなかなか離れないレッテル。
わたしは〇〇〇。あいつは〇〇〇。
それと自分にとって唯一の居場所であること。
自分を守ってくれる大きな強い鉄の檻。
なぜ
希望退職に手を挙げることが出来たか。
外の世界で気づいた自分の新しいレッテル。
居場所は一つではないということ。
鉄と思っていた檻は、檻ではなく、
いつでも出ることが出来たんだ。
さあ、明日からひとりで歩き出さなきゃ。
わたしの力は通用するのかな?
なんてことは一切考えず、気負いもなく、
初の無職人生が始まろうとしていました。
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