まちづくりは人を幸せにできる?スマートシティ・インスティテュート代表・南雲岳彦さんが語る「地域幸福度(Well-Being)指標」の可能性
そう話すのは、「ウェルビーイングなまちづくり」の第一人者であり、デジタル田園都市国家構想の実現に向けてデジタル庁が活用を進める「地域幸福度(Well-Being)指標」の生みの親の一人、南雲 岳彦さん。
まちづくりに「ウェルビーイング」が求められるようになった背景、そして地域幸福度を指標化した狙いや今後の可能性についてお話を伺いました。
<登場人物>
よくわからないものを語るには、共通言語が必要
矢野 ここ数年で、まちづくり業界でも「ウェルビーイング」という言葉をよく耳にするようになりました。正直なところ言葉自体の意味するものがあまりにも大きすぎて、事業として取り組むのは難しさを感じているんです。
ウェルビーイングなまちづくりが求められるようになったのは、なぜなのでしょうか?
南雲 そもそも「スマートシティ」があまり市民に浸透しなかった、という問題があったと思います。テクノロジーの話をしても、普通に暮らしている人にはやっぱりピンとこないんですよね。
実際、私の妻に話ていても「それで私たちの生活にどんないいことがあるの?」みたいな感じで、なんだかよくわからないものでした。
でも、オーストラリアのメルボルンでは、「歩いて15分の場所に生活に必要なものが揃っているか」とか「地元の旬の野菜を食べて、ファストフードばかり食べていないか」みたいな、かなり生活に身近な要素を数値化した「リバビリティ・インディケーター」という”暮らしやすさの指標”があるんです。
日本に必要なのは、まさにこれだと思いましたね。
デジタル化社会に向けて日本でもデータはたくさん集めていましたけど、そもそもの目的が”データをAIに学習させるため”みたいな方向になってしまいます。
でもオーストラリアでは、「人が優しくなれるために」という目的が上位概念としてあるんです。ここが日本との大きな違いでした。
だから、「まちづくりは人を幸せにできるのか?」「まちがデジタル化したら人は幸せになるのか?」という問いに答えるための言語として地域幸福度指標をつくったんです。
今はこの地域幸福度指標を活用して、様々な自治体が総合計画などを考える際に、まずはデータを取ってみて、市民の幸福に繋がるのはどういう要素なのかを特定するところから始めています。
民間企業でも、ウェルビーングを高めるような事業やサービスを考える時に、この指標を活用し始めています。今までは「成長、成長」と経済的な豊かさを求め続けてきたけど、本当にそれでいいのか?という問いが人々の中に生まれてきているんですよね。
社会的な困り事を解決する事業というのは、日本ではビッグビジネスになりにくいし、小規模で回せていたとしても、それだけでは「みんなの幸せ」とはならない。そういう時に、この指標が役立つはずです。
社会が成熟してきたことで、至らない(欠けている)ものを0にするアプローチではなくて、地域や社会、そして人々にとって”より良い状態”を作っていくアプローチに切り替えた方が、みんなが幸せになれるということに気づき始めたわけです。
みんなが幸せを感じられる暮らし(つまり、ウェルビーイングなまちづくり)が求められるのは、そういう世の中の流れもあったからだと思います。
矢野 「みんなが幸せ」なまちについて考える時に、特に重要視すべき要素はあるのでしょうか?
南雲 この地域幸福度指標では、主観指標と客観指標を合計24の因子に細分化して数値化していますが、どれも重要な要素です。
地域によってウェルビーイングの形(グラフの形)が全部違うので、まずは全てのデータを収集して俯瞰して見てみることで、自分たちのまちの特徴を理解することができます。
矢野 なるほど、一人ひとりの幸せを考えるためにも、まずはマクロの視点が必要ということですね。
南雲 そうです。もし先に要素を絞った状態から検討を始めてしまうと、切り捨てた要素に対する説明ができなくなってしまいますから、必ず「広げる」→「縮める」という2段階でデータと向き合うことが重要です。
この「縮める」というフェーズがまさに、民主主義の社会だからこそなせる技です。
「このまちの市民として、あなたはどんな暮らしができると幸せですか?」「ウェルビーイングのどの要素を伸ばしていきたいですか?」というのを問うことができるようになります。
矢野 でも、「まちづくり」というものが市民にとってどこか遠い存在になっていて、このまちをどうしていきたいかを問われても、自分にとって何が重要なのか理解できていないと難しいですよね。
南雲 その通りだと思います。主観データとしてアンケートをとっているのですが、1度それを自分でやってみると少しずつわかってくるんです。
性格診断みたいなもので、自分のウェルビーイングの形がどんな形をしているのか、まずは知って欲しいんですよね。日本人の平均はこういう形してるのに、自分はこんな形なんだっていう発見があるはずです。
それを基にみんなでディスカッションをしていくと、だんだん自分のこと、理想とする暮らしやまちに求めるものを言語化できるようになってくる、というイメージです。
ウェルビーイングに限らず、そもそも日本人は自分の主義主張を言語化する経験が少ないので、自分がどんな暮らしを求めているのか、正直わかっていないと思います。私自身も、この指標を作りながら、自分のことが徐々にわかってきましたから。
例えば、選挙で誰に投票するかを選ぶ時も、「なんとなく」頼れそう、「なんとなく」この人が好き、みたいになんとなく投票している人も多いような気がします。
でも本当は、「自由で自己責任な社会で暮らしたい」のか、「みんなで助け合う社会で暮らしたい」のか、どんな社会だったら自分が幸せになれるのかを一人ひとり考えなきゃいけない。
指標化する1番のメリットは、よくわからなかったものを可視化して、比較ができるようにすることです。
年に1回の健康診断があるから、自分の健康状態がわかるようになるのと同じです。指標がなかったら、自分が健康なのか異常があるのかどうか、感覚ではよくわからないですから。
ウェルビーイングな暮らしに必要なのは、まちの個性
矢野 まちづくりの仕事をしていると、都心部と地方都市ではまちづくりの仕方やアプローチがそもそも違うんじゃないか、コミュニティの性質が違うんじゃないか、とよく言われます。
地域幸福度指標は、こういう場合にどのように活用するのが良いのでしょうか。
南雲 都心と地方では、「そこで暮らす人々がどういうものに幸せを感じるのか」というウェルビーイングの形が違うので、それにあわせたまちづくりやアプローチが必要だと思います。
例えば、東京都の中央区、千代田区、港区。いわゆる都会ですよね。
ここは、オレンジ色の主観データが大きく外側に張り出し、客観データとのギャップがかなり大きいです。そして、特徴としては、「雇用所得」、「事業創造」、「自己効力感」などは非常に高いですが、その一方で「住宅環境」や「自然の恵み」の部分が凹んでいます。
一方で、都心から郊外に行くと、だんだんその主観データの円が小さく丸くなって、個性や特徴がなくなっていきます。まちの発するメッセージ性が薄れていく傾向があります。よく言えば仕事や生活のバランス、都会と自然のバランスが程よくとれるまちという個性があることと解釈できます。
でも逆の言い方をすれば、突出した個性や魅力が見つけにくいとも解釈できます。良い悪いというより、どちらが自分にあうかはその人次第ですね。
これが、地方都市に行くとまた違う形になります。
矢野 この主観データと客観データはある程度重なってくるものなのでしょうか。
南雲 7割ぐらいはなんらかの形で重なっていますが、完璧に合致しているのは3割ぐらいです。
例えば、客観で見た時の自殺率って、行政にとってものすごく重要なデータですけど、自殺する主体がどのくらい存在するかを考えると、主観データ上の数値としては見えてこない。
それに、田舎に住んでる人たちが、「自然の恵み」に感謝するかといえば、あまりにも当たり前すぎて何も思っていなかったりします。そういう意味で、主観データと客観データにはズレが生まれるものです。
この指標を活用するためには、メタレベルで分析するデータリテラシーが必要になるので、それを全国を周って半年間のトレーニングを実施しています。
矢野 すごいですね。このデータ分析から、どの指標を伸ばしたいかという議論ができて、実際に政策が動き出すということですよね。
南雲 そうです。どういう風にまちの個性を作っていくかっていうことです。
消費するまちがいいのか、働くまちがいいのか、心安らぐまちがいいのか、、、みたいな。
まず最初にビジョンを掲げて、そのまちの未来に近づくために、今このまちにはどういう施策が必要なのかを考えていくんです。
そうしないと、まちができあがってから「このまち、あなた好き?」って聞いても、もう手遅れですからね。
矢野 ハードだけ整備して中身の活用とか運営どうしよう、みたいな話はよくあります。
南雲 データが活用できる今日においては、それではもったいないという話になってきますね。データでウェルビーイング因子を特定してそれを大切に伸ばすまちづくりをすることが、行政にとっても市民にとっても大切だと思います。
だからこそ、「みんなが幸せに暮らせるまちってどういうまち?」という問いを投げかけて、まちの人たちと合意形成しながら、そのまちでフォーカスする要素を絞っていく必要があるんです。
矢野 様々なまちを見てきた中で、幸せを感じられるまちとそうでないまちは、何か共通しているものがあったりするのでしょうか。
南雲 どのまちにもいいところがあって、住んでいたら悪いところも見えてくるのかもしれませんが、個人的に自分のこととして言えば、ベットタウンにはこれといった個性や魅力が見つけにくいなぁと思います。
僕なんか、そんなことも知らない時に自分の家を買っちゃいましたけどね。
ベッドタウンは、たしかに便利ですけど、何の喜びも生まれないというか、日々のルーティーンを回すための装置みたいな感じになっていますよね。
そのまちに、すごく好きな景観がそこにあるわけでもなく、自慢できる食べ物があるわけでもなく。
都会に通勤するときに必要なものが一通りあって、スーパーマーケットやコンビニがあって、住宅地があって…。だけど、 なにかが足りない。
大都会はまだお金が流れていて人もいるし、まちとしての競争力を維持するネタがある。中央都市や地方には、その地域固有の何かがあるんですよね。
矢野 なるほど。では、南雲さんが考えるウェルビーイングなまちというのは、そこでしか満たせない何かがあって、地域らしさを感じられるまちのことなのでしょうか。
南雲 「テロワール」という言い方をしますが、ワインって産地の土壌によって味が変わるじゃないですか。そんな風に、その土地や環境からしか産まれないものがあって、そこにしかない文化や風習があって、その地からは離れられない生態系みたいなものがあるんです。
そこに自分がいると思えること、その生態系の一部であると感じられることが、人々の幸福感、ウェルビーイングにつながるんじゃないかと思います。そういうまちがウェルビーイングなまちだと感じますね。
日本だと、個人的には「尾道」とか良いなと思う時がありますね。レモンの里です。尾道に行くと、やっぱりみんな「レモン」という1つの共通言語を持っていて、レモンと共にみんな生きてる感じがします。
大本となる大地があって、そこで採れる食べ物があって、それを産み出す気候がある。そういう繋がりの中に自分がいる感覚ですよね。
矢野 都心に行けば行くほど、そういった土着性みたいなものは感じにくくなりますよね。
南雲 特に都会の場合は、生産性という観点から作り上げられているまちですからね。
都会は、一人ひとりの持ち場が小さくなる傾向があるように感じます。そうなると、意図せず、自己効力感が芽生えにくくなるかと思います。
もちろん、そういうまちが無くなれば良いというわけではないし、それが必要な場合もあります。それを好む人もいますけど、みんなでそういうまちづくりを目指してた時代はもう限界を迎えています。
「幸福度」で企業価値を可視化できる世界へ
矢野 ところで、なぜ南雲さんは、この指標づくりに取り組まれているのでしょうか。
南雲 元々は企業の中で指標づくりをやっていたんです。
「バランス・スコアカード(BSC)」という指標を日本に取り入れて、財務指標だけではなくて、「顧客満足度」「従業員のエンゲージメント」「リスクマネジメント」のような非財務指標も含めた、多面的な経営モデルを作っていたんですね。
今は、その対象が「企業」ではなくて「まち」になったということです。
経営の仕組みをまちに転用しながら、そこに「どういう人が幸せなのか」という「主観的ウェルビーイング(主観的幸福研究)」の要素も取り入れています。
矢野 なるほど。これまでまちの価値は「地価総額」のような財務的指標でしか語られてこなかったけど、そこに含まれていなかった”まちの価値”を数値化して、まちをマネジメントしていけるということですね。
人口が減って、不動産も土地も余っていく社会になった時に、ハードの価値が減退していくことは避けられません。だから私としても、まちの価値はこれからハードよりもソフトが重視されるようになる、という仮説から今の事業を始めていたので、南雲さんのお考えにはとても共感します。
一方で、そういうまちのソフトを担う事業やサービスを、投資家に対してその価値を提示できていないのも実情です。どうしたら、この価値を示していけると思いますか。
南雲 それには、2つのアプローチが考えられますね。1つは、インパクト会計のように”経済的価値”としてその価値を示すアプローチです。これは、社会的価値を「金額」に換算するものです。
もう1つが、先ほどのバランススコアカードと同じで、”経済的価値”の1本に社会的価値を集約するのではなく、財務指標と非財務指標を含めた多面的な総合体として企業価値を示していくアプローチです。
この場合、最上位の概念に「経済的利益」ではなく「人々の幸福感・暮らしやすさ」を置くのが有効だと考えています。そのための「地域幸福度指標」です。
今はまだ、ようやくこの指標が浸透し始めて、賛同し活用してくれる人が増えてきているタイミングです。次のフェーズとしては、 自治体の総合計画や国の政策の根幹に、この指標が組み込まれていくことだと思います。
そうなると、「ソーシャル・インパクト・ボンド(SIB)」や「ふるさと納税」などの仕組みの中で、この指標がある種の管理会計ツールのように組み込むことができれば、ソーシャルインパクトを可視化できるようになり、投資価値がつく世界もあり得ると考えています。
矢野 今、ESG投資が全世界的にも主流とされている中で、ESGの「S:社会的価値」にあたる部分の数値化が難しいとされていますが、この地域幸福度指標が、ファイナンスの世界との共通言語としても機能してくるということですね。
「人々の幸せのため」という大きな社会全体の共通目的があれば、「幸福度」への貢献度が企業価値として評価されるようになっていく・・・。
そんな未来に近づくように、私たちもこの指標を活用していきたいと思います。
幸せの定義は人それぞれ。
それでも、一人ひとりが幸せに暮らせるための「ウェルビーイングなまちづくり」はすでに動き出している。
あなたのまちはどうだろうか?
自分が自分らしく生きられる、ウェルビーイングなまちを求めて。
今日はゆっくり、まちを歩こう。