見出し画像

太っていても妊娠はできる。でも・・・【4】

前回までのあらすじ。産まれない産まれない三昧の内容ですみません(苦笑)

出産予定日当日のできごと

7月6日は産まれませんでした、と。
ただ、なんだか眠れる気がせず。
0時を回ったところで、陣痛促進剤の点滴は外れているのに子宮が痛む。
様子を見ましょうということで、個室のベッドには戻らず陣痛室で待機。
もう産院に居座りすぎて寄生虫のようだった。

痛みが一向におさまらず、でももう陣痛だと確信できるまで淡い期待を持たせる発言はやめよう・・・
自分も、もううんざりしていた。

麻酔の管は背中に刺さったままだったので、痛みが強くなる度に麻酔を入れていった。
出産した産院は、子宮口〇cmまで麻酔を入れないというところではなく、無駄に痛みを味わわなくてもという方針だった。

ただ麻酔の副作用かつわりのような船酔いの感覚で、嘔吐が止まらず体内にあるありとあらゆるものを吐き出した。

とにかく気持ち悪い。気持ち悪すぎて体勢を変えようにもお腹には赤ちゃんの心拍をはかるモニターがついており、動くと外れてしまうので、隠れて横になってはモニターが外れて助産師さんにキレられる。
仰向けがキツイ。横向きになりたい。
助産師さんが部屋を出るとすぐさま横向きになり、モニターが外れまた助産師さんが半ギレ状態で戻ってくる。
いたちごっこだった。

初期の記憶は、痛いよりとにかく「気持ち悪い」しか思い出せない。
吐きすぎて力んだ時に、<アレ>がふぁ~と漏れた気がした。
「やっべ、漏らした・・・」
大きなお腹丸出し。すっぴん。嘔吐まみれのパジャマ。
おまけに失禁。

もう人生でこれ以上恥をかく日は来ないだろう。
メンタルってこんなところで鍛えられるのか。

深夜3時頃だったと思う、眠いし、吐きすぎて体力激減。

すると助産師さんが、「あ、破水してる・・・」とポツリ。

そう、漏らしたのは、お〇っこではなく、羊水だったのだ。
おージーザス!勘違いだった!
失禁だけは防げたようだった。

すると、あれだけ、本当にあれだけ頑なに動かなかった子宮口5cmの壁を通り越したのだ!!

「もうすぐ産まれる!」

もう、どうなってもいい、待ち望んだ、我が子に会える・・・!!

出産レポ。無痛分娩だったよね?私?

麻酔の影響か、吐き気が止まらず、胆汁まで出きったあとは悪寒がひどくなった。
全身、歯がカチカチいうのが聞こえるくらい震え、自力ではもう止められないほど痙攣に近くなっていた。

「これ・・やばくない?死ぬかも・・・?」

と思い助産師さんに聞くも、よくあることだと冷静に言われ、放置。
本当に出産って命がけなんだ。
長い事、全身((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルに耐えたら、痛みの地獄へ。

あれ?他の人の無痛分娩レポと全然違う。
というか、

いったぁああああああああああーーーーい

何が起きている?私はトラックに轢かれているのか?
旦那に電話しろ?え?自分で?
産院で電話してくれないの?
無痛分娩の成功例ばかり見ていて陣痛中に役立つと言われるテニスボールを用意するどころか、そもそも人がいない!

深夜と日曜日だったというのもあって、ナースコール呼んでも来ない!
旦那連れてくるの忘れた!てか寝てるよね!?

おーーーーーーい、君の子供、もうすぐ出て来ちゃうよーーーー!

朝6時頃、旦那に電話をし、開口一番「産まれるぅぅぅーーーーーー」とだけ電話口で叫び、旦那と母親が到着した際には、すべての生気を失っていた。
それでも死なないって、人間ようできてるわ。

なりふり構わず、
「ま、麻酔が効かないんでずげどーーーーー(激怒)」


と何度もブチキレながらあれよあれよと子宮口全開。
お、おめで、、、と、、、自分、、バタン(失神)

頬を叩かれ、分娩台に自力であがらされ、いざいきむときに、すーっと痛みが消えた。
麻酔が効いてきたのだ。
今更かよと思いつつも、大助かりのタイミング。
いきんでも痛くない(キラキラ)
力の入れ具合が分からないほど、“無痛”なのだ。
お股チョキチョキも、まっったく痛くない。(麻酔ってそういうもん)

最後の力を振り絞り、肛門が裂けてもいいからといきんだ。

やっと対面!我が子よ、頑張ってくれてありがとう!

「おぎゃぁぁぁぁあ」

7月7日7時。
ラッキーセブンが揃った時に、息子は産まれた。

初めて抱いた時、感動と安堵で涙が止まらなかった。
一生忘れないだろう。

前日までビクともしなかったのに、今日を待っていたかのごとく、日付が変わったらゴングが鳴ったように降りて来た。
陣痛促進剤を3度も入れたのに、すごい意志力だ。
科学より、意志なのか。

私の長い長い、痛い痛い、妊娠期間は終わった。

母乳講習に行こうとしたら・・・

無事出産を終え、出血がおさまるまで一休み。
身体はボロボロ、麻酔が切れると、股と肛門の痛みにうなっていた。
私、一生う〇ちできないかも、と思うほど。
あぁ、う〇ちが体内に逆流してきて糞詰まりで死ぬか、一生モノを食べずにう〇ちをしない人生にするかの二択だな。

ただ、終わったからといって大変なのはこれから。
育児が始まる。息子に母乳を飲ませないといけないのだ。

朝食を食べ、産院の母乳講習に行こうとしたら・・・

ん?すっかり忘れていたけれど、覚えのあるような痛みが。







・・・胆石発作だった。

「このままではまともに育児ができない」

母親失格だ。
痛みでのたうち回っていたら、子供に母乳すらあげられない。
これは死活問題だ。
手術しよう。
一刻も早く胆のうを取り、もう発作をゼロにしないと、息子と二人きりの時に発作でのたうち回ったら息子が餓死してしまう。

手術一択。
幸い、主治医の先生がそんなこともあろうかと、他の病院に話をつけてくれていて(・・神様っているんだ)
すぐさま私はその総合病院へ。
息子は、産院のご厚意で預かっていただいた。

強制母子分離。本当に情けない。

手術環境の整っている総合病院までタクシーで一時間。出産して間もない。
まともに座れるはずもなく、事情を説明しタクシーの後部座席に横になり運ばれた。

次回、胆のう摘出術の一部始終を記録していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?