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意識をひっくりかえすオセロゲーム

この手のハナシは、もうあれこれ言ったところでどーしようもない…とおもうところもあって、モヤ……とはしますが啓蒙・布教活動みたいなことをしようという情熱もなく、、、笑 なので、ちょっとモヤっとしたときに話すぐらいです。


でも、ふっとおもった。もしかしたら、、、



気づいている意識(意識的な意識状態)が
一定量をこえてきたら…
なにか起きてくるかもしれない。


チェスやオセロのゲームみたい。



なにが過半数を占めるかによって
その場の空気、雰囲気って変わります。



「 複数の人間があつまっている、ひとつの部屋 」

その 空間の雰囲気 を作りだしているものって??


険悪なムード・空気が悪いとか、、、

いい雰囲気・居心地がいいとか、、、



そんなふうに表現されているそれって

「 なにが過半数をしめているか? 」


どういう意識状態が その場の過半数か?



こちらのYouTubeチャンネルの動画をみていて、、、

セットとセッティング
 
https://youtu.be/ohSQLsRqor0

この内容、先日スペースでおしゃべりさせてもらった

「しっている・わかっている」というハナシ

とかぶっていたので、
そこから浮かんだことをツイートしていました。



この動画で表現されていた

「 パターン化されている、制限 」



「知っている・わかっている」
という認識とそれによる世界観

「わからない」
という、それがリセットされた本来の状態


先日コラボスペースで出ていた

「ポケモンGO」の例え


現実とゲーム映像が重なり合っている「ゲーム」なのだけど、その両方をおなじぐらいホントだと勘違いしている状態が 通常意識(フツーといわれる視点・認識)

いわゆる「この概念」っていうのは 
あたえられた・知っている・わかっている

もはや、、、確かめられることもない。



この「あたりまえ」の

知っている・わかっている・信じきっている

空気みたいに

当たり前で


フツー



そういう当たり前

「 概念 」


それとは違うことをいったら

「 なに言ってるの?バカじゃないの?」

って逆にいわれてしまうようなことが
まさに「しっている・わかっている」の中身です。


そうなると、もうそれって、、、

「じぶんそのもの」



じぶんの「構成要素」として組み込まれている「概念」

それを生きている=なぞっている。


こういうハナシをしはじめるとおもうのさ

非二元ノンデュアリティ悟りのハナシのほうが
どーでもいい、ふわっ…とした話題なので
よっぽど話しやすいわーーーです。


微妙なハナシであればあるほど、

「伝え方」


というのが大事になってきて
とても高度なテクニックが要求され、
そこで萎えちゃうわけです笑

というのも、これ、、、

そういう「情報戦」だからです。

オセロゲーム 

白と黒のどっちが多いかゲーム

黒なら黒と信じこませること
それがマインドコントロールともいえますけど、


そのあたりが、うまい!!!あっぱれ!!!


よそはそうなんだ、怖いね、、、
(うちはそうじゃなくてよかったね…)
当事者意識がないからこそのそれ…なのですけど
「そうなってないそれ」は
マインドコントロール的には失敗なので
当然、失敗していないなら、それがあるわけです。

だから、ちゃんと、それが、、、
うまいこと起きている。


あっぱれ!!!


実際、、、ほとんど、誰も、、、
それについて「気づいていない」

疑いようもない。

気づいていないから、

ん???

と、違和感を感じる「きっかけ」もない。


(あ、これ、、、昨日の記事ともつながっていますね。
→ 気づく気づかないの話 )


なので、もう大成功
あっぱれあっぱれ、、、です。


物を売るにしても
「買ってください!!!」
って大きな声でいっても買ってくれない

=伝わらない。

「わたしが、自分の意思でこれをする・買うんだ。」
というような 購買意欲 を沸かせる
そのための段取り=刷り込み

自分の意思で買っている・やっている
そうおもっているけれど

、、、そうでもない。



それら、ぜんぶ、、、

「しっている・わかっている」

というシナリオの レール上 で起きていること。

むしろ、そのためにある「しっている・わかっている」

もう 動く歩道状態、、、

↑うまいこと言ったなって
笑っちゃうんですけど、笑っている場合じゃなくて(笑)

おもいのほか、、、
想像以上に、、、

それそのもの。同化している。

この「しっている・わかっている」を拠り所にして
「しっている・わかっている・そのもの」として生きている。

じぶんって「これ・ストーリーそのもの」

こうやって、こうやって、こう、、、


、、、という「段取り」を
ただ、なぞっているだけの「じぶん」という動き



またオセロやチェスの話でたとえると、

そういう「伝える・広げる・浸透」のスキル・技術・巧妙さのレベルが違いすぎて、話にもならない。

「 反旗をひるがえすにしても出直してこーーい!!」

ってかんじなわけです。飲み会のテーブルで
不満をぶつぶつ漏らすような「伝える」では、なんともならない。


、、、これまた、まったくうまいこと
オチがつけられませんが

そのあたりを網羅した
救世主があらわれないものかなあ

、、、他力本願 ( ꒪⌓︎꒪)    ←投げた!!!


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp










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