アタマが偉くなりすぎてしまった世界は平和になれたのか?
ネドじゅんさんが提唱している
「 意識の座・アタマから下に降りてくること 」
そのあたりについて描写された
oshoさんのポエムをご紹介してみたいとおもいます
こちらは OSHO bot さまのツイートからの引用です。
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世の中に愛以上の知識はない
そして、愛のない人間たち
彼らこそ真の無学文盲だ
なぜならば、生において現実の重みをもっているのはハートであって
知ではないからだ
至福と光はハートから湧き出るもので
心からではない
そして、あなたはこんなにも豊かなハートをもっている
それだけで充分だ
https://x.com/osho_bot_jp/status/1743183866452475951?s=20
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もっともっとハートにいること、感応できるようになることだ。感じて、泣いて、笑いなさい。踊って涙を流し、叫びなさい。ただしハートからそうしなさい。そうすればあなたは、徐々に新たな変化を、変容を感じるようになる--エネルギーは、頭からハートに向かって落ちていく。
https://x.com/osho_bot_jp/status/1742706966156202462?s=20
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アタマより下、ハートに降りてくること、、、
そんな「教育」を私たちは受けてきていませんので
ハート(アタマより下)と言われても
はっ…………????(・A ・)
というのが現代で生きている
ほとんどの人の反応だとおもいます。
それぐらい左脳過剰
アタマのほうが偉くなってしまった世界。
そして、ネドじゅんさんのいう左脳過剰 というのは
「 アタマ・知識が偉くなりすぎてしまった 」
そう、表現できるようにもおもいます。
そうやって、わたしたち人類はたくさんの知識を
「 知った・わかった 」ということをしてきましたが、
それによって、、、世界は、、、
平和 シアワセになれただろうか?
それについては、いまの世界をみれば明らかなこと、、、そのあたりの事実について、人類はそろそろ気づかなくてならないタイミングゆえの ネドじゅん現象(左脳さん、右脳さん) な気がしてなりません。
上記の詩でoshoさんはいいます。
“ 世の中に愛以上の知識はない
そして、愛のない人間たち 彼らこそ真の無学文盲だ ”
つまり「 無知の知がおきていないアタマ 」です。
左脳過剰時代の極みとしてAIが誕生したいま、、、
人間のわたしたちに必要なのは、
もっともっと…とさらに知識を分厚くしていくことではなくて、、、
無知の知を「 かんじる 」ことなのではないでしょうか。
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp