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受験小説なるジャンル 意外や意外面白い!
美容院に行ってパーマをかけてもらっている間、いつものように雑誌をめくった。とても気の利く美容院で、女性誌が5冊も鏡の前に並んでいる。まず馴染みのある雑誌を手に取った。映画の特集が組まれていたので面白く読み終えた。しばらく美容師さんと世間話をしたあと、まだ終わりそうになかったので、「バリキャリ向けの雑誌」「元ギャル向けの雑誌」「着物モデルの格式ある雑誌」「美容に特化した雑誌」のなかから2冊目を選ぶ。
その日の気分は「バリキャリ向けの雑誌」だった。どれどれ、と目次を眺めると「中学受験小説」なるものが目にとまった。はて? はずかしながら、初めて目にした言葉だ。ただの「受験小説」ではなく「中学受験小説」。40代向けの女性誌に掲載されるのだから、いわずもなが、母親の視点で書かれたものだろう。
その時点で違和感を覚えた。
「もし、私が小学生の母親で中学受験を間近に控えていたら、この小説を楽しめるだろうか?」
とにかく読んでみた。途中から読むので登場人物も話の流れもわからないまま、文字を負う。塾のクラス、偏差値、志望校……。馴染みのある言葉が並んでいる。受験なんてとっくに過ぎたことなのに、自分の子どもの当時のことを思い出すと、心拍数が上がった。
私の子どもは中学受験はしていない。当時クラスに2,3人ほど受験した子もいたようだが、近しい子ではいなかったので意識していなかった。1人だけ、1つ年上でピアノ教室で知り合った子が受験を経て難関公立中高一貫校に入り、難関私立大学に入学している。その子はピアノでもとりわけ優秀だったから、中学受験はそんなとりわけ優秀な子がするものだと思っていた。でも今は中学受験が熱を帯びているようだ。
中学受験と高校受験では、親の負担はいろいろ違ってくると思う。おそらく、小学生で自身で志望校を決められる子は、よほど自分をもっている子だと思う。だから親が進路を決めなければならないケースが大半だろう。それはいわゆる「レールを敷く」ということと言えるかもしれない。「親が敷いたレールを歩く」という言葉は、自主性のない人生という良くないイメージで使われることがある。けれど親からすれば、親の責任が重くのしかかることだと思う。
高校受験なら、子どもが自身である程度受験校を絞るはずだ。だから、中学受験より親の負担はすこしばかり軽い。あとで問題が生じても、「あなたが決めた学校でしょ」と言えるから。
それに高校受験なら勉強は塾に丸投げできた。というか、うちの場合、親の話なんてまったく聞きもしなかったので塾任せだった。でも中学受験となると、家庭での勉強も親があれこれ手回しすることになるだろう。当雑誌には、受験生のための食事のこんだてまで紹介されていた。さすが、バリキャリとなると勉強以外の配慮も完璧だ。
さて、小説の話に戻ると、
美容院では、連載の途中から前述のような偏見混じりでさらっと読んだので違和感を感じたが、次の日、気になってその雑誌のウエブサイトを覗いてみた。なんと親切なことに、第1話から読める。興味本位で読み始めたところ、面白くて止まらなかった。
なぜ面白かったかと一言でいうと、主人公らは私とはかけはなれたエスタブリッシュメントの人たちだからだ。正確にいうと主人公は3人いてそのうち1人は市井の人。経済的・社会的に格差があっても子どもは同じ学校、塾という設定だ。子どもをめぐり、3人の母親がそれぞれの心情を語る。そうそう、そうだよね、と共感することもあれば、セレブのきらびやかな世界を覗き見しているような気分になる。洗練されたフィクション。滑らかな筆致で一気に読ませる。
受験生をかかえている親御さん、今はカリカリが絶頂期にはいる時期だと思う。小説ぐらいは受験から離れたいと思うかもしれないけれど、興味本位で読んでみてはどうでしょ。今の自分を客観視できるかも。