マヂカルラブリーは漫才なのか(日本一遅い漫才論争考察)

 2020年M-1グランプリで優勝したマヂカルラブリーですが、そこで披露されたネタが漫才なのか漫才では無いのかという不毛な論争が起きましたので自分も論争に参加させて頂きます。
2024年も終わろうとしていますので実に4年遅れの論争参戦です。
『てかお前だれやねん』という方が大半だと思いますので自己紹介させていただきます。
自分はサラリーマンをやりながら趣味として芸人をしている『くんすけ』と申します。賞レース(M-1、キングオブコント、R-1)に毎年出場しており、せっかくの休日にエントリーフィーを払ってスベリに行く変態です。フリーライブにもたまに出てスベッています。
『てめぇに興味ねぇよ早く漫才論争しろや』という方が大半だと思いますのでさっそく結論を申し上げます。
マヂカルラブリーがM-1で披露したネタは漫才です。めっちゃ漫才です。めちゃ漫です。
漫才論争当時、『あれは漫才ではなくコントだ』と言う人もいらっしゃいましたが、少なくともコントでは無いです。
優勝ネタの『吊り革』では漫才中に野田クリスタルさんがネタ終わりまでコントインし続けますが、それでもあれは漫才です。
それでは、漫才とコントのルールをざっくりと説明します。
・漫才のルール..演者と観客が同じ世界にいる
・コントのルール...演者と観客が別の世界にいる
ブチギレてるそこのあなた、まだこのnoteを閉じないで下さい。ちゃんと説明します。
病院での医者と患者のやりとりという設定で説明しましょう。
漫才の場合、演者は演者本人として舞台に出てきます。例えば、松本さんと浜田さんが出て来て松本さんが医者の役、浜田さんが患者の役をしても、松本さんは松本さんであり、浜田さんは浜田さんです。
コントの場合、松本さんは松本さんでは無く医者です。医者を演じているとかでもありません。医者なのです。浜田さんも同様に浜田さんでは無く患者なのです。
次に舞台はどうでしょう。漫才の場合、舞台は舞台です。病院というテイでネタを行いますがそこは病院では無く『舞台』なのです。また、観客の目の前でリアルタイムで行われています。
コントの場合、そこは舞台ではなく病院です。舞台で病院を表現しているとかでは無く病院なのです。コントの世界から観客を見る事はできません。観客は『とある世界』の『とある瞬間』を別世界から覗き見している状態なのです。
以上が漫才とコントのルールです。漫才は言葉の掛け合い、コントは演技 では無いのです。
観客と演者が同じ世界にいるかどうかなのです。

 次に漫才とコントのメリット、デメリットを挙げていきます。
漫才のメリット
・客に絡む(いじる)事ができる
・ネタ中にコントインしても戻ってこれる(大喜利の羅列的なネタを作れます)
・ネタを飛ばした事をネタ中にいじれる
・『人(にん)』を活かしやすい
コントのメリット
・演者自身が世間に認知されている芸風から抜け出したネタをできる

漫才のデメリット
・演者自身が世間に認知されている芸風から抜け出したネタができない(見せ方によってはできます)
コントのデメリット
・客にからめない
・コントの世界から抜け出す事ができない(そもそもコントの世界にいる自覚もない)
・『人(にん)』を活かしづらい(活かしまくっている人もいます。ロバートの秋山さん等...)

...なんかコントのメリット少なくね?と思った方、自分も書き出しててそう思いました。頑張って考えましたが全然思いつかなかったです。そもそもメリットデメリットで考えるのが野暮なんでしょうね。(じゃあなんで書いたんや)

以上を踏まえまして、マヂカルラブリーの『吊り革』は漫才なのかコントなのか...野田さんと村上さんは観客と同じ世界にいますよね?
よって漫才です。
どうしても解らない方は演者が客に絡めるかどうかを考えて下さい。
野田さんも村上さんも客に絡める状態にいます。
また、野田さんはコントインし続けていますがいつでもコントの世界から抜け出せる状態にあります。
これはなぜか?漫才のルールに則ったネタだからです。

余談ですが
漫才でもコントでもルールを敢えて破り、そこに言及するという設定のネタがあります。
自分の尊敬する天竺鼠さんがめちゃくちゃ上手です。
漫才論争以降、M-1の一回戦ではわざと漫才のルールを破るネタが増えたように感じます。(賞レースの一回戦は色んな意味で面白いのでぜひ観に行ってください)
漫才論争によって漫才が多様化、進化したという意味では、漫才論争はお笑いにおいて大きな役割を果たしたと言えるでしょう。



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