辞めていった芸人に存在証明を 〜M-1の厳しさと優しさ〜
皆さんはM-1が誕生した理由をご存知でしょうか?
M-1が誕生する以前、漫才は下火でした。
そこで吉本興業のお偉いさんとか色んな大人たちが漫才を復活させようとして始めたのがM-1グランプリです。
漫才師からスターを生み出して世の中に売り出し、漫才を復活させること。この目的のためにスタッフが努力した結果、現在のM-1があるのです。
しかし実は、『漫才復活』という目的以外にもう一つ大切な目的があります。
それは『芸人を辞めるきっかけにして欲しい』という目的です。
M-1には芸歴制限があり、旧M-1ではコンビ結成10年以下、新M-1では15年以下となっています。
『そんなにやってダメだったんだから芸人を辞めなさい。』
そんな残酷な優しさがここに込められています。
1人の芸人を売り出すために無数の死体が転がっています。まさにM-1が彼らに引導を渡し、夢破れて表舞台から去っていったのです。
M-1という存在をここまで大きくしたのは勝ち上がったごく一握りの芸人だけでしょうか?
そんな事はありません。
無数の名もなき芸人の死体が礎となってM-1は大きくなりました。
その証拠にM-1のコンテンツや資料は全ての芸人に対しての優しさで溢れています。
その中に自分が『墓標』と呼んでいる資料があります。
M-1公式サイトには2015年からですが、出場した全ての芸人の名前や戦績が残っているのです。今見たら32443組という膨大な数の芸人さんが載っていました。
エントリーだけして欠席したアマチュアから優勝した芸人まで本当に全て載っています。
そんな墓標を作るにはめちゃくちゃ手間がかかっていると思います。
なぜM-1はここまでするのか?
それは辞めていった芸人に対して敬意を払った『存在証明』だと思います。
小説『火花』に『一度でも舞台に立った人間は無駄ではない。』という名言があります。
お互いに刺激を与え、切磋琢磨できる存在がいたからこそ今の芸人がいるのです。
『墓標』とは、確かにこの芸人は存在した。彼らを礎にしてM-1は大きくなった。だからこそ彼らの名前をここに刻んでおこう。
という優しさと敬意なのです。
いよいよ明日はM-1の決勝戦です。
明日、煌びやかな決勝戦を観て芸人を志す人達が必ず現れます。
そのうちのほとんどは3回戦にも残れずに芸人を引退します。
自分はそんな残酷で優しさに溢れたM-1が楽しみで仕方ありません。