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自己満足の祭典

・はじめに

2022年もあと数時間。今年も何か書き納めをしたかったので今日参加したコミケと、自分を含めそこに集まってくる人達すなわち「オタク」について書くことにした。
ぼっちオタクの戯れ言として読んでもらえると嬉しい。

・本文

まずコミケそのものの話の前にオタクについて語りたい。

オタクは孤独な存在である。趣味嗜好が世間一般からするとマイノリティだというのもあるが(最近はそうでもないのか?)、そもそも趣味というのは基本的に「自己満足」の世界だからである。

ゲームやスポーツのように「誰かに勝ちたい」という欲求や、芸術においても「皆に称賛されたい」という欲求は勿論あるだろう。しかしそれを含めて「今の自分は満足しているか?」が常に問われているのが趣味の世界である。

勝たないと、称賛されないと満足できないないのであればごく一部の有能な人間以外が満たされるのは困難だろう。だが現実は多くの者が趣味を自分なりに楽しんでいる訳で、そこには他者の存在とは関係ない「自分の世界」があるのだと思う。

やや話が脱線するが、趣味が自己満足に過ぎないという事実は推し活などでは特に覚えておかなければいけない。これを見失うと悲惨である。他のファンと自分を比べてしまったり、推しに対して見返りを求めてしまったりとろくなことがない。
何で自分はここまで時間やお金を費やしてこんなことをやっているのか?そんないわゆる「推し疲れ」という事象の多くはこれに起因しているのではないかと思う。

他のファンよりも推し活を頑張っているという優越感でも、推しから構ってもらえるという見返りでもなく、最初は純粋な「好き」という感情があったはずだ。それを忘れてしまった時に趣味はもはや自己満足ではなくなり義務感や他者への要求となって表れる。自分の中で完結できない欲望は概して不幸な結果を生むものだ。
(…と偉そうに書いたけど自分も相当な構ってちゃんなのでこれは肝に銘じている)

いずれにせよ、「今自分はこの趣味に満足できているか?」という問いに対して常に一人で戦っているのがオタクという存在なのだと思う。


長々とオタクについて御託を並べたが、そこへ来てコミケである。いやコミケでなくても良いのだが、そんなオタク達が集まってくるイベントの象徴としてこれを挙げたい。

「他者」が一堂に会するのにも関わらず、そこには究極の自己満足の世界が展開される。サークル参加者やコスプレイヤーは自分の「好き」を全力で表現し、一般参加者も自分の「好き」を全力で求めにくる。
そんな場所に行くと、他者の存在に本当の意味で気付く。
「あぁ、この人達もみんな『オタク』頑張ってんだな」と。

顔も名前も知らない同好の士。皆が日常を孤独に戦っている。よくコミケは戦場と例えられるが、彼ら彼女らは文字通りの「戦友」なのだ。


皮肉なことに、他者の存在がオタクとは自己満足の世界だということを改めて教えてくれた。新型コロナウィルスが流行して以来失ったものは色々あったが、そういった気付きの場が無くなってしまったのはとても不幸なことだったと思う。
だがようやく再びリアルなイベントが行える世の中になりつつある。来年はどんな自己満足に、プリミティブな「好き」に出会えるのか、楽しみだ。

2023年も良きオタクライフを!

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