2021年 蟹座の空模様
人がたくさん集まれば
「常識」が生まれます。
でも、人が二人しかいなければ、
「二人のあいだで決めたこと」
だけが正義です。
パートナーと共有している習慣、
親友と「当たり前」にしていることが、
第三者の目には、時に
「非常識」に映ります。
人と人とが、一対一で相対した後、
たびたび「混沌」が生じます。
相手の言うことが正しいのか、
自分の意見が正しいのか、
「客観的な判断」ができません。
そこで必要なのは、
「どうしたらお互いに納得できるか」
という着地点に尽きます。
第三者に中に入ってもらって、
やっと着地点が見つかる場合もあります。
2021年は、そんな「混沌」を
自分の思いをオールにして、
こぎ渡っていく時間です。
誰かからの意外な提案をうけて、
どう応えたものか、
考え込む時間があるかもしれません。
一緒に活動する相手の意外なクセに気づき、
注意するべきか容認するべきか、
しばらく悩むことになるかもしれません。
貴重すぎるギフトを受けとって
「これは受けとっていいのかな?」
と迷う場面もあるでしょう。
チャンスを前にして
「自分はこのチャンスに値するだろうか」
と悩み、
優遇されて「遠慮すべきでは」と悩み、
新しくできた友人を家に入れるかどうか、
恋人との距離をどう縮めるか、
この育児方法・介護方針は正しいのか、
自分は果たして、相手の期待に応えられたのか、
食事はワリカンにするかオゴリにするか、
次はどうするのか、
とにかくあらゆる「共有」の局面で、
悩みを生きることになるでしょう。
それらの悩みを生きていくうち、
相手との関わりはどんどん深まります。
こうした問題には、正解がありません。
ゆえに、自分で答えを出したあとで
「もっと他のやり方があったのではないか」
「自分は間違っていたのでは」
「もっとよくできたはずだ」
というふうに、
自分を責める気持ちになりがちです。
一つの選択が望んだ結果に繋がらなかった時、
はげしく後悔し、
もう選択自体を放棄してしまおう
と考えてしまう人もいます。
でも、この時期は、
とにかく答えのないところで、
答えを出していかなければなりません。
人生は、世界と出会っていくプロセスです。
世界から投げかけられたものを受けとって
自分のものにしていくプロセスです。
受けとりきれないものは拒否できますし、
気持ちとして受けとりたくなくても
自分のために敢えて受けとるべきだ、
とわかるものもあります。
「受けとる」といっても、
ただぽんと受けとればいいわけではありません。
そこには、上記に羅列したような
あらゆる悩みがくっついてきます。
2021年は「受けとるべきもの」が、
とても多いので
たくさんの問いを抱え、答えを出し、
うまく行けば喜び、
そうでなければ後悔し、
といった道を、ひとまず
どんどん歩いていくことになります。
「モリモリ食べてくれてうれしい」
「気持ちよく受けとってくれてうれしい」。
人間の「喜び」には、
「与える喜び」「喜んでもらう喜び」
というジャンルがあります。
2021年、あなたはだれかに、
そうした喜びを贈ることができそうです。
誰もが人の役に立ちたいと願い、
感謝され、必要とされたいと願っています。
そうした願いを叶えてあげるには、
「度量」「器の大きさ」
のようなものが必要なのかもしれません。
世界から投げかけられるものを
どんどん受けとっても大丈夫な、
深い深い「器」。
2021年のあなたの世界では、
そんな「器」が急成長を遂げるようです。
「贈り物」をどんどん受けとるうち、
「受けとってばかりではダメだ」
という気持ちになる人もいます。
たくさん受けとったら、
それをどう使うかも考えねばなりません。
2021年にあなたが受けとったものは、
それがモノであれ、お金であれ、
チャンスやなんらかの好条件であれ、
すべて「未来の世界」に流れ込みます。
または「仲間との活動」へと
流入するのかもしれません。
いずれにせよ、
あなた個人の小さな懐に収まったまま
には、ならないのです。
あなたが受けとったものは全て
もっと広く大きな「未来」という世界に、
あなたという存在を介して、
運び込まれていきます。
もちろん、あなたは
「単なる運び役」ではありません。
受けとったものを未来に投入するには、
まず、受けとったものの本質を
深く理解する必要があります。
また、それを仕分けしたり、
加工・カスタマイズしたり、
場合によってはあなたの中で
一度血肉に変えてから
あなたの新しい活動という形で
未来に投げ込めるのかもしれません。
「世界」から受けとったものを前にして、
じっくりと迷い悩み、
自分なりに答えを出して、
未来につなげていく。
そのサイクルが2021年は、
勢いよく回転し続けます。
あなたという存在が
一つの心臓のようになって、
あなたのまわりの人々に
「血液」を供給し続ける、
といった展開になるのかもしれません。
たった一人の人間であっても
それが自分以外の誰かである限り
その向こうに「外の世界」が拡がっています。
たった一人の人がくれたものが、
あなたと世界とを溶け合わせてくれる、
ということがあるのです。
「春は一枝のうちにあり」
というのにも似て、
たった一人の人間が、
自分が生きる場としての世界、
「外の世界」の意味を持っていることを
2021年、深く実感できるかもしれません。
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[時期について]
1月から2月は、
とても賑やかな時期となりそうです。
仲間からの連絡が絶えず届き、
「もっと一緒に活動しよう」
という提案を、
多く受けることになりそうです。
経済的な変動も大きいでしょう。
特に、2月は、
お金の面での役割分担を
根本的に見直すことができそうです。
3月から4月は、
人から見えないところで忙しくなります。
2020年中の活動を振り返ったり、
少し「補強」したりする人もいそうです。
タイムラグを経て、
2020年の活動が評価されるかもしれません。
4月末から6月頭は、
熱い「勝負」に挑む人が多そうです。
自ら手を上げて何かを始める人もいれば
「自分のとの闘い」に臨む人もいるでしょう。
何かを変えたい、と思っている人には、
そのためのチャンスが巡ってきます。
5月半ばから7月は、
遠い世界から「お声がかかる」かもしれません。
移動が可能な状況になっていれば、
旅に出る人も少なくないはずです。
また、向学心も高まるときです。
この時期に着手したことは、
2022年に本格化していきます。
6月半ばから8月は、
経済活動が活性化します。
収入が増えたり、
大きな買い物をしたりと、
「お金」に意識を向ける場面が増えます。
8月から9月は、
フットワーク良く動けそうです。
コミュニケーションが盛り上がり、
たくさんの対話が生まれ、
そこから刺激を得て
精力的に勉強する人も多いでしょう。
9月から10月は家族や身近な人のために
多くの労力を注ぐことになります。
引越や家族構成の変化など、
住環境が変わりやすい時です。
2022年の移動の計画が持ち上がり、
ここで「現状整理」をする、
といった展開になるかもしれません。
10月末から12月半ばは、
やりたいことにとことん打ち込める、
とても楽しい時期となるでしょう。
クリエイティブな活動に取り組む人は、
大きめのチャンスが巡ってくるかもしれません。
11月から2022年3月頭は
「人に恵まれる」時期です。
人と関わることがとても楽しく感じられます。
好きな人や憧れの人から、
嬉しいメッセージを受け取れそうです。
愛にも素晴らしい追い風の吹く時期です。
12月以降年明けにかけて、
かなり忙しくなっています。
誰かとタッグを組んで活動する、
といった場面も増えそうです。
12月末から2022年5月、
「旅と学びの季節」がやってきます。
2012年頃から漠然と
「行ってみたい場所」
「学びたいこと」
があったなら、この時期に、
現実的な行動を起こせそうです。
視野が広くなり、より広範囲の人々と
交流を持てるようになるでしょう。
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[愛について]
2021年、愛に追い風が吹くのは、
1月、2月下旬から3月、
6月、9月から10月頭、
10月末から2022年3月頭です。
2017年の終わりから2020年まで、
愛やパートナーシップに関して、
苦労を重ねてきた人もいるかもしれません。
または、愛について懐疑的になったり、
パートナーといても孤独感があったりと、
辛さを越えてきた人も少なくなかったはずです。
そうした冷たい辛さは、
2021年の愛の世界では、
少しも見つからないでしょう。
愛する人やパートナーとの親密さが増し、
お互いの人生を共有し合う、
その割合がぐっと増えるでしょう。
官能的な時間も増えていきます。
お互いがお互いを自分の一部とする、
ということの意味を、
新しい形で実感できるでしょう。
パートナーを探している人は、
経済的な条件の見直しが
ネックになるかもしれません。
お金はもちろん、
たくさんあればあるほどいいのですが、
見るべきなのは「静的なお金」ではなく、
お金の回り方、
つまり「動的なお金」なのかもしれません。
一緒に生きていく上で、
お金がどのように動き、回るのか
ということを考えると、
パートナー候補に求める条件も、
少し変わってくるのかもしれません。
カップルも、お金ということが、
一つの大きなテーマとなりそうです。
稼ぎ頭が交代となったり、
お金の管理の仕方が変わったり、
使い方が変わったりするかもしれません。
二人で一緒に大きな買い物をする人もいれば、
共同事業を立ち上げる人もいるでしょう。
二人の生活や人生の中で、
その血流となるお金をどう「回す」か、
新しいサイクルを構築できる年です。
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しかし、私がそのように狂乱したのはじつは救われるためであり、死にかかったのはじつは生きるためだった。私は自分が何という悪者であろうかということばかりを考え、その自分が、しばらくののち、どんなに善い者になるかを知りませんでした。
(アウグスティヌス『告白』山田晶訳 中央公論社)
「自責の念」を感じたことがない人は、たぶん、いないだろうと思います。
自分が悪かったのではないか、自分さえしっかりしていればこんなことにはならなかった、といった後悔を、誰もが心の片隅に、かすかにでも、抱いているものではないでしょうか。
とはいえ、第三者から見れば、その人はちっとも悪くないことも、よくあります。人は意外なことで自分を責め、時に、自作した「心の牢獄」に閉じこもります。
アウグスティヌスのこの一節は、私にとって非常に印象的でした。『告白』には、アウグスティヌスが長い間の悩みを生きて、マニ教からキリスト教へと改宗を遂げるまでの心の旅が語られています。彼はキリスト教に転向することで「善い者」になりました。
宗教を抜きにしては、そうした確信を得ることは、なかなか難しいのかもしれません。神様のような存在を前提とせずに、ただ自分が自分の判断で「善い者になった」と感じられるものなのかどうか、私には解りません。
ただ、答えのない混沌を生き、成功したり失敗したりを繰り返していく私たちは、「いつか自分が善い者になる」という希望を抱いているのかもしれない、と思いました。
もし自分を責めてしまったとしても、そのときはまだ、自分が未来に「もっと善くなる」ということを、知らないだけなのではないかと思ったのです。
「善い者」「善い」ということさえ、宗教を抜きに定義しきれるものなのか、私には解りません。でも、だれもが心の中に「よりよい人でありたい」という切ないような、優しい願いを抱いていることは、事実だと思います。
その願いの方に向かって歩いてゆく限り、全ての悩みには意味があるはずです。たとえ失敗したとしても、その失敗は「途中経過」でしかないはずです。
2021年、あなたは自分が「より善くなりつつある」ということを、発見するだろうと思います。誰かにほめられるとか、表彰されるとかいうことでなくとも、ただ誰かとの深い関わりの中で、それを感じとれるだろうと思うのです。