世界有数のtraffic jamを渡って、僕は少しだけタフになる - ベトナム・ハノイを歩いて
今回歩く街 ベトナム・ハノイ
2019/11/09作成 2019/11/18最終更新
10/31 〜 11/04の6日間で東南アジアにひとり旅をしてきました。
目的はラオス、仏都と名高いルアンパバーンに訪れて寺院を見て回ること。(ルアンパバーンの旅行記はこちら→『観光化されていない本物の托鉢を求めて』)
ハノイはついでに立ち寄っただけだけど、非常にいい街だった。今回訪れた中でみんなにオススメするとしたらここです。
今回は紀行文です。ハノイの街を歩いて、感じたことを書いていきます。
1.ハノイの基本情報
ハノイはベトナムの首都です。場所はここです。
この時期は乾季です。東南アジアだけど過ごしやすい気候。
↑ハノイの最高 / 最低気温・降水量
僕からは以上です。
僕はベトナムに全然興味がなかった。
でも日本からラオスには直行便が飛んでいません。ついでだからとハノイ経由の航空券を予約して、1泊ストップオーバーしたに過ぎませんでした。
折角だから役に立つ情報を差し上げると、コンセントのプラグはCタイプ。
空港から市内はタクシーやバスで1時間。バスなら150円で足ります。
日本人はビザなしで入国できますが、一度入国すると30日以内はビザなしで再入国できない「30日ルール」があるので気をつけてください。
僕はタイのバンコクを経由して帰りました。
2019/11/17作成
バンコクの記事はコチラ→『【インスタグラマー必見】8時間でバンコクのインスタ映えスポットを巡る方法』
その程度の事前知識で訪れたハノイ。
それでも、ここは非常に良い街だった。
2.世界有数のtraffic jamを渡って、僕は少しだけタフになる
ハノイに入ってまずベトナムを感じたのは、道行くモーターバイクの数の多さ。
(↑ハノイの旧市街の道路。朝晩の幹線道路はもっと混雑する)
行き交う車、その隙間を埋めるモーターバイク, モーターバイク, モーターバイク…。
世界有数のtraffic jamと言われる、ベトナムを象徴する風景です。
そんなハノイの通りを歩いて渡ってみました。
ハノイの街中に信号機はまばらにしか設置されていないので、何も特別なことではないのですけれど。
それでも、日本から来た僕らにとってはちょっとしたチャレンジだったりします。
バイクの数に驚いて、最初はなかなか踏み出せなかった。大縄跳びに入れない子どもみたいになっていました。
こういう通りを渡るのにはコツがあります。
とにかく、堂々と歩くことです。
臆して立ち止まってはいけない。慌てて走り出してもいけない。「自分はここにいるんだ」と、存在を主張し、ゆっくり歩くことが大切です。
あとはみんなが避けてくれます。たまに現れる無慈悲にフルスロットルで突っ込んでくるおばちゃんには、こちらから道を譲ればいいだけの話です。
東南アジアの各国やインドなどを歩いた経験を思い出して、通りを渡ることはできました。それでも、ついに手を出せなかったことがあります。
バイクタクシーに乗ることです。
バイクに乗って、あの濁流の一部になる。転んだら即あの世行き。…どうしてもできなかった。
モーターバイクにまたがるベトナム人は、一体どれだけの強さで、自分の存在を主張し続けなければならないのでしょうか?
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ハノイを歩いていると、実にいろいろなものを目にします。
旧市街の街並みは東南アジアらしい喧騒もありつつ、所々に中華やフランスを感じる建物も見られます。
(↑ベトナム様式の寺院。中華の影響を感じる)
(↑ハイノ名所のひとつ、大劇場と大聖堂。大劇場はガルニエ宮(パリ・オペラ座)を模して建築された)
米軍の戦車やレーニンの像もありました。
ベトナムが持つ激動の歴史を感じさせるものたちに出会います。
ベトナムは古くから様々な権力に翻弄されてきました。
長らく中国に支配され、独立王朝も数度にわたり入れ替わっています。
(↑ハノイ市内にあるタンロン遺跡。各王朝の痕跡が層の様に積み重なっている。タイミングが良ければ見学させてくれる発掘現場では、掘れば掘るほど古い時代の遺物が出てくる様子が分かる。ちなみに俺は分からなかった)
近代以降もフランスの植民地となり、大戦時には日本に支配され、東西冷戦ではベトナム代理戦争の戦火にもさらされてきました。
ハノイには一際立派な建物があります。
フランス植民地時代からベトナム戦争まで、ベトナム革命を指導した建国の父 : ホー・チ・ミンのお墓です。
(↑ホーミチン廊。ホー・チ・ミンの遺体が安置されていて、入場は厳しく制限されている。ノリで行ったら昼前なのに閉館前最後の客で、蛍の光的な終わりのメロディーと大量のSPと軍隊に後ろから急かされながら大慌てでの見学となった。お陰で裏の写真しか撮れなかった)
キューバにおけるチェ・ゲバラもそうですが、革命家を非常に大切にするのは、支配された歴史を持つ民族のアイデンティティ形成には欠かせないことなのです。
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変わりゆく支配の歴史の中でベトナムの人々は、文化や信仰ではなく、きっと自分自身にアイデンティティを求めるしかなかったのでしょう。
「今ここに生きている私は、他でもない私だ」と、自分の存在を強く主張し続けるしかなかったのでしょう。
それが運転にも現れているのかもしれません。
転んだら死んでしまう。そんなちっぽけな存在で、彼らは必死に自分の存在を主張し続けながらモーターバイクのハンドルを握っているのです。
そんなベトナムの人々に想いを馳せながら、僕はハノイの通りを渡りました。
そして渡りきった時、僕は日本にいた時より少しだけ、タフになっていました。
3.ハノイを振り返って
…ここまで書きましたが、きっと僕は考えすぎでしょう。
ハノイの湖のほとりでビールを飲んでいたらバイクタクシーのおじちゃんに絡まれました。
(↑レバーペーストにコリアンダーを効かせたベトナム風サンドイッチ : バインミーとビールをテイクアウト。元フランス領だからパンがうまい。ビールと合わせても250円ほど。これを市民憩いの広場で楽しむ。これ以上の幸せがあったら教えて欲しい)
おじちゃんの友達は日本にいるらしい。
僕が「どうしてみんな事故らずにモーターバイクに乗れるの?」と聞いたら「僕には渋谷の交差点をぶつからずに歩く方が難しいと思うよ」と言われました。
なるほど。意外とやってみれば、運転も難しくないのかもしれない。
(↑前回トゥクトゥクのおっちゃん役として登場した彼。「日本の物価は高い」って5回ぐらい言われた)
とにかく、ハノイは良い街です。
人はあたたかいし、ご飯は美味しく安い。
乾季の今は涼しいぐらいで非常に過ごしやすい。
街は意外にもアートに溢れていて。
(↑こんなギャラリーが市内にいくつもあった)
2日間・24時間に満たない滞在時間で市内を35kmほど歩き回り、5つの寺院と2つの教会に巡り合いました。
(↑偶然見つけた教会。ガイドブックに載ってないらしく、中には俺以外誰もいなかった。お陰でしばらくゆっくり休憩できました)
ハノイは日本からすぐ行けるのに、想像通りの雑多な東南アジアの風景に出会える(バンコクに行った時は都会すぎて拍子抜けした)。
旅行先としてはオススメです。
今度はホーミチンやダナンにも行ってみたくなってしまいました。
さぁ、少しだけタフになって、次に向かうは今旅メインの仏都ルアンパバーンです!
次回
・あんなに楽しみにしてたお寺、1日で飽きる
・ラオスの屋台でだいきのお腹、死す
・パスポート忘れて、空港まで10kmガチダッシュ
の3本です。お楽しみに!
2019/11/10作成
ルアンパバーンの旅行記はこちら→『観光化されていない本物の托鉢を求めて』
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今回歩いた街
ベトナム・ハノイ
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