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不採算確実な「中国ラオス鉄道」、それでも敷設を進める事情|【特集】「一帯一路」大解剖 知れば知るほど日本はチャンス[PART-3]

西沢利郎(東京大学公共政策大学院教授)

東南アジアのラオスにて、中国国境から首都を結ぶ鉄道が建設中だ。しかし建設前から、採算の目途は立っていなかった。それでも強行されたのは、国家レベルでラオスが働きかけたからだ。

 中国が進める「一帯一路」構想を「債務の罠」と批判する論者はラオスの「中国ラオス鉄道」に注目している。果たして、この批判はどこの国でも共通して当てはまるのだろうか。

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ラオス山中を貫き建設が進む中国ラオス鉄道。中国が7割、ラオスが3割を出資する合弁会社が建設・営業を担う (XINHUA NEWS AGENCY/AFLO)

 中国ラオス鉄道は、中国国境沿いのルアンナムター県ボーテンと、首都ビエンチャンを結ぶ414㌔メートルの単線鉄道で、国内に鉄道網をもたないラオスにとっては建国以来の悲願を叶える国家事業だ。約60億㌦の総事業費は国内総生産(GDP)の約3割に達する。

 この中国ラオス鉄道について、ラオスにとっての「債務の罠」になるのではという見方も多い。しかし、実際には中国が事業採算性に疑問を呈し、慎重な姿勢で臨んだとの見方がある。

 そもそも日本人にとってラオスは、それほど馴染みのある国ではないだろう。ラオスは東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国で、日本の本州ほどの国土に700万人が暮らす、インドシナ半島に位置する内陸国である。

 また、マルクス・レーニン主義を掲げる人民革命党を唯一の指導政党とする社会主義国でもあり、その成り立ちの経緯から、1975年の建国以来、ベトナムとは指導政党間の連帯を基礎に兄弟関係とも呼ぶべき絆で結ばれている。年初には、ラオス人民革命党とベトナム共産党が、それぞれ5年ぶりの党大会で新指導部を選出した。人民革命党幹部にはベトナムで教育を受けた者が多い。最高指導者である書記長も、歴代5人のうち3人がベトナムに留学している。政治理論研修等を目的とした人的交流も続いている。

 ラオスは80年代半ばまでソビエト連邦からの支援に依存していた。中国との関係は、79年の中越紛争時にラオスがベトナム陣営を選び、一時断絶した。しかし、ソ連圏が崩壊し、中国の社会主義市場経済化が加速するとラオスは中国に頼る方向に舵を切る。貿易・投資・援助関係は拡大の一途をたどり、最近では輸出の3割、輸入の2割、直接投資の7割、対外債務の5割を中国が占めている。

 ラオスにとって中国は、社会主義理念を共有する同志で、経済的にも圧倒的な存在である。しかし、これは中国に対しての「属国」化を意味しない。ラオスは、ベトナムと特別な関係を堅持したうえで経済開発のため中国との実利的関係を深めている。一帯一路が打ち出されると、中国との一致した利害が関係緊密化を加速した。

 その中で進んだのが中国ラオス鉄道である。中国との建設合意は2010年4月の覚書締結に遡る。12年10月には国民議会が臨時国会で中国輸出入銀行の融資を前提とする事業実施を承認し、その直後に両国政府間の協力文書が結ばれた。起工式は、15年12月の建国40周年記念式典に合わせ、党・国家指導者臨席のもと行われ、16年末に着工した。21年12月の建国46周年を記念した運行開始を目指し、すでに9割以上が完成している。

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(出所)各種資料を基にウェッジ作成

 筆者は、18年から20年3月にかけて、国際協力機構(JICA)とラオス国家経済研究所によるラオス財政安定化共同政策研究対話プログラムに加わり、ラオス政府への政策提言とりまとめに携わった。ラオス財政当局との意見交換の中心テーマは、膨大な対外債務と、財政健全化であった。

 現在に至るまでラオスはGDPの6割に達する対外債務を抱えるなど、厳しい財政状況にある。その原因について筆者はラオス政府に対し、世界的な過剰流動性を受けたタイ債券市場での安易な起債、一帯一路に沿った投融資の拡大、BtoB(企業間)取引とも称される合弁事業モデルへの依存などによる、財政規律の緩みだと指摘した。

 もっとも、中国との合弁事業の最たるものである中国ラオス鉄道については、建設が急ピッチで進む中、長年にわたるラオス悲願の国家事業を否定的に論じることははばかられた。

貨物輸送も期待できず
不採算が定められた鉄道

 しかし、中国ラオス鉄道の採算性には懐疑的な見方が多い。メコン域内の交通網に詳しいタイ人専門家に尋ねると、輸送コスト・時間の削減には資するものの、採算性は低いという。中国ラオス鉄道と同様に、中国との合弁事業として並行して建設中の中国ラオス高速道路は、20年12月に一部開通している。将来的に全区間が開通すれば、需要を食い合うのは避けられないだろう。

 旅客輸送ではなく貨物輸送として考えた場合はどうか。仮にビエンチャンから国境のボーテンを経由して雲南省の省都昆明をつないだとしても、生産拠点を結ぶ大規模物流は期待できそうにない。

 現在、首都ビエンチャンの中心部から15㌔メートル北東、中国ラオス鉄道貨物駅に隣接する広大な敷地では、経済特区「サイセター総合開発区」の整備・開発が進む。雲南省海外投資有限公司が75%、ビエンチャン都が25%を出資するラオス・中国共同投資有限公司が、「産業開発区+ビエンチャン新都市」との理念を掲げ開発・運営を担う。日本企業では、すでにHOYAがハードディスクドライブ用ガラス基板の製造を始めている。

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サイセター総合開発区近くに並び立つ、真新しい集合住宅群。中国人労働者を招き入れても地元からの反発のリスクがある。いったい、誰が住むのであろうか(筆者撮影)

 これまでASEAN諸国は、外国企業誘致を梃子に輸出志向の労働集約型製造業を発展させてきた。これらがサイセター総合開発区のモデルである。この他にもラオス国内には10の経済特区が設定されている。ここから、中国ラオス鉄道を生かした雲南省向けの輸出も期待されているだろう。

 しかし、700万人がまばらに分布するラオスでは、ベトナムなどとは違い労働力の安定確保は容易でない。中国人労働者の流入は、社会的反発・軋轢リスクを孕む。中国ラオス鉄道を貨物輸送に活用するには、課題が山積しているのが現状だ。

 また、中国からインドシナ半島を縦断してタイ、マレーシア、シンガポールと結ぶ壮大な構想は、遠い将来への期待にすぎない。同じく一帯一路の中でタイ高速鉄道の建設計画が進行中だが、ラオスまでの延伸計画に動きはない。仮に延伸したとしても、規格が違うタイ高速鉄道と接続するには追加コストがかかる。

 こうした採算性への懐疑にもかかわらず、風向きを変えたのは一帯一路の存在だ。筆者は数年前、ある中国人外交官から中国ラオス鉄道建設の経緯について「中国は当初慎重であったが、ラオス側からハイレベルの働きかけもあって政治的決定がなされた」と聞かされた。

 ラオスでの一帯一路においては、ハイレベルの人脈も推進力となっている。17年11月、習近平国家主席は、ビエンチャン訪問時にキニム・ポルセナ元外務大臣(故人)一族と会見した。メディアは習氏の発言を「一族は中国の良い友人である。両国の友好事業を受け継ぐ未来である」と報じた。ポルセナ一族には習氏が通った北京市八一学校の同窓生がいるという。16年まで20年以上、外務大臣や副首相として対中・対ASEAN外交を推進したソムサワート・レンサワット氏も、一帯一路で大きな役回りを演じたはずだ。ポルセナ一族とレンサワット氏はともに華人である。

中国に迫る「債権の罠」
日本が一帯一路と向き合うには

 こうして採算の目途が立たぬまま建設が強行された中国ラオス鉄道だが、債務に脅かされているのはなにもラオス政府だけではない。

 中国ラオス鉄道は、中国が7割、ラオスが3割を出資するラオス中国鉄道有限公司(LCRC)が建設・営業を担う合弁事業である。国有企業出資による合弁事業は、形式的にはBtoB取引であるが、実質的なリスクは株主たる政府が負う。万が一にも事業が破綻すれば融資元の中国輸出入銀行は不良債権を抱える。そうなれば、債務・株式交換などによる中国主導の債務救済に向かう可能性が大きい。不採算事業は、中国にとっては「債務の罠」ならぬ「債権の罠」になりかねない。

 中国では地方政府傘下の投資会社(融資平台)が進めたインフラ投資に伴う「隠れ債務」が問題視されて久しい。一帯一路が投資効率無視の事業を推進すれば、中国政府は内外で双子の難題を抱える。投資効率を見極め、債務の持続可能性を精査したうえで事業推進に取り組む姿勢を期待したい。

 では、今後のラオス・中国関係はどうなるのか。1月15日、ラオス人民革命党は党大会でトンルン・シースリット首相を書記長に選出した。その翌週、同書記長は習近平氏との電話会談で、中国・ラオス経済回廊構想推進を確認した。2月1日にベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長の続投が正式発表されると、その翌日には電話会談で、指導政党間の特別な関係を確かめ合った。中国の圧倒的な経済的存在感とベトナムとの特別な絆との間でラオスは絶妙なバランス感覚を発揮する。

 日本では、外交・安全保障の観点からの対中警戒、一帯一路の文脈での「債務の罠」批判が合言葉のようだ。しかし、こうした紋切り型の現状認識では、ラオスが直面する課題や周辺国との複層的な関係を見落とし、思考停止に陥る。勧善懲悪に色分けして踏み絵を迫るのは外交ではない。むしろラオスのバランス感覚としたたかさに学びたい。

 一帯一路のもと国有企業という持ち駒を使う中国は有利であるかにみえるが、経済合理性を欠く事業は危うい。ビジネスの論理を飛び越え、政治的な思惑のみが先行するインフラ事業推進は、いかなる国においてもリスクを内包し、思惑と相反して将来世代の負担となりかねない。

 では日本に何ができるか。例えば、ラオスの自然・文化遺産を保全しつつ、分散型のエコツーリズムと関連産業を振興すれば、中国ラオス鉄道の採算性向上にも貢献できよう。それはラオスへの支援となるだけではなく、中国の莫大な投資を日本がしたたかに活用する好例となるのではないか。

 景気よく花火を打ち上げるよりも、こうした地味でも長期的に成果が期待できる分野で存在感を出していくべきだ。

西沢利郎(にしざわ・としろう)
東京大学公共政策大学院教授/東京大学経済学部卒業。米ウィスコンシン大学修士。国際通貨基金(IMF)、国際協力銀行などを経て、2013年より現職。18年~20年3月、ラオス財政安定化共同政策研究対話プログラムに加わり、ラオス政府への政策提言とりまとめに携わった。

出典:Wegde 2021年4月号

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