いずれ色褪せる一帯一路 中国共産党“宣伝戦略”の本質|【特集】「一帯一路」大解剖 知れば知るほど日本はチャンス[PART-1]
高原明生(東京大学公共政策大学院教授)
中国共産党のソフトパワーの源泉は、魅力的な概念を発明することにある。われわれはそれに幻惑されてはならないが、その力を侮ってもならない。
習近平国家主席の権威と権力のシンボル「一帯一路」(KYODO NEWS/GETTYIMAGES)
レトリックはともかく、実際のところ中国外交にとって一番重要なのは対米関係の安定だ。安全保障上も経済上も、唯一の超大国を敵に回せば厳しい状況に立たされることは早くから理解されていた。中国の有識者が、「対米関係の安定は中国のすべての安定の基礎だ」と語るゆえんである。
米トランプ前政権の1年目は、無難に過ぎた。北朝鮮への米国の厳しい対応に、中国が呼応したことがその大きな要因だった。ところが、2017年末から米国は中国を最大の対外脅威だと見定めた。安全保障にかかわる高度技術の輸出を規制し、中国からの輸入品に高関税をかけた。強気の姿勢を崩さないものの、中国が受けた打撃は決して軽微なものだとは言えない。
バイデン政権の下で対中政策は変化するだろうか。バイデン氏は必要に応じて中国との協力も辞さないだろう。特に重視する気候変動問題では中国との協力が不可避となる。他方、尖閣諸島が日米安保条約の対象となることはすでに言及済みだ。台湾防衛へのコミットメントや南シナ海での「航行の自由作戦」も継続するだろう。中国側の協力の呼びかけにもかかわらず、中国を戦略的な競争相手とする米政権の厳しい姿勢に変化はなさそうだ。
一帯一路にあった戦略的な狙い
太平洋を跨いだ対米関係が悪化すると、中国は日本やドイツなど、ユーラシアの方を向く。それが中国外交の昔からのパターンだ。習近平政権は当初、米オバマ政権に対し、協力や相互尊重をその内容とする新型大国関係の樹立を呼びかけた。オバマ氏は中国をパートナーとして地球規模の問題に対応しようと考え、この呼びかけを受け入れた。
しかし、南シナ海への海洋進出、尖閣諸島をめぐる日本との衝突や対米サイバー攻撃などにより、オバマ政権は中国への対抗姿勢を強め、新型大国関係を拒絶する。すると習近平氏は対米関係の悪化を一因として13年より一帯一路を唱え始め、14年には安倍晋三首相との間で初めての日中首脳会談に応じた。そして15年の外交の最重点は一帯一路だと、王毅外相が述べるにいたった。
中国政府の説明によれば、一帯一路のポイントはアジアとヨーロッパをインフラ建設によって連結し、その中間地域の発展を助けることだ。言うまでもなく、中国企業の対外投資は一帯一路に始まるわけではない。例えば、それ以前より中国企業や中国人のアフリカ進出は話題になっていた。その目的は、資源、市場、そして政治的な影響力、この3つの獲得にほかならない。
それに加え、一帯一路には国際政治経済上の戦略的な狙いがこめられていた部分もある。中国の東、つまり太平洋方面に進出していけば、日米や南シナ海を囲む東南アジアの国々と衝突する。当時、オバマ氏は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を推進していた。
「私たちがルールを決めなければならない、さもなければ中国が決めてしまうぞ」というのが彼の決め文句だった。それを受け、中国には、逆を向き、西に新しい秩序を構築しようと考えた人々もいた。
さらには、当時の中国には対外投資を推進する国内的な事情もあった。08年の米国発金融危機から中国がいち早く脱出したのは、4兆元(約64兆円)に及ぶと言われた内需拡大策による。それによって高速鉄道網や高速道路網は目覚ましく発達し、内陸を含む多くの都市では高層ビルが乱立した。しかし、そうした建設ラッシュによって国内の市場は飽和し、過剰となった建設能力や生産能力の新たな行き場が求められたのだ。
習近平氏にとっても、「21世紀のシルクロード」の地域は、そうした政策課題を解決する先として魅力的に見えた。一帯一路は権力基盤を固めた彼のペットプロジェクトと化し、一帯一路にかかわると称すれば、建設事業であろうと研究プロジェクトであろうと予算が付くような状況が現れた。
AIIBに見る中国共産党のプラグマティズム
海外でも、一帯一路は歓喜の声をもって迎えられた。世界金融危機の後の中国は、国際経済を引っ張る機関車の役割を果たすようになっていた。途上国のみならず、先進工業国までもが中国マネーを引き込むことに躍起になった。15年3月、中国が設立を呼びかけたアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創業メンバーに、締め切りぎりぎりになって英国が名乗りを上げた。すると雪崩を打ったように、独仏をはじめとする欧州諸国やオーストラリア、韓国までもがわれもわれもと参加を決めた。その時の習近平氏の得意や思うべしである。
ただ、一帯一路はAIIBとはまったく異なる。一つには、AIIBはリアルな国際金融機関だ。設立前には中国が独自のルールを持ち込むことを心配する向きもあったが、蓋を開ければ既存の国際金融ルールにのっとって順調に運営されている。そうしなければ格付けが下がり、資金調達のコストが上がることを中国もよく理解しているのだ。中国共産党の一大特徴はプラグマティズムである。
AIIBに対し、一帯一路は概念であって実体ではない。例えて言えば〝星座〟のようなものであって、実在しない。実在するのは星、すなわち投資プロジェクトだ。習近平氏は夜空を指さして、「ほら、あそこにドラゴン座が見えるでしょう、あれが一帯一路ですよ」と言って人々を魅了しているようなものだ。もちろん、星空を見上げる人々の眼には人民元が光り輝いている。
こうした魅力的な概念を発明することにかけては、中国共産党は天才的である。例えば、改革開放もそうだ。改革開放や一帯一路は定義ができない、輪郭のはっきりしない概念だ。しかし聞き心地がよく、人々を魅了し、動かすソフトパワーに満ちている。
私たちは、そうした概念に幻惑されてはならない。あえて定義すれば、改革開放は鄧小平氏の権威と権力のシンボルであり、一帯一路は習近平氏の権威と権力のシンボルだと言える。だから習近平氏は、改革開放というシンボルをあまり使いたがらないのだ。
新たな言葉「双循環」も普通のことを言っているだけ
最近では、「双循環」という言葉が発明された。国内大循環を主とするが、国際大循環も維持するという新たな経済政策を意味しているという。要するに、米国に頼れないので、なるべく生産も消費も国内で完結する方がよい。すべてを自力更生でまかなえるわけではないので対外経済交流も続けるが、内需拡大を主としていくという、至極普通のことを言っているにすぎない。だがなんとなく、「双循環」と聞くと幻惑され、すごい政策が登場したかのような錯覚に襲われる。これが、中国共産党が長年にわたって磨き上げた統治技術である。
「中国の夢」というフレーズが色褪せたのと同様、いずれは双循環、そして一帯一路という概念も使われなくなるだろう。一般の中国人、そしてわれわれにとっても、それで一向に差し支えない。綺麗な星、つまりよいプロジェクトが残ればよいのだ。また、一つの星を二つの星座が共有することには何の問題もない。われわれ日本の星座は「自由で開かれたインド太平洋」だが、日中の共同事業が第三国で実現すれば、それは二つの星座が共存できることの証となる。
すでに一帯一路には一時の勢いはないようだ。新型コロナウイルス感染症の影響を受ける前から、中国経済はかなり減速し、以前のような大盤振る舞いはできなくなっていた。中央アジアに高速鉄道を通すのか、無理でしょうという声は、つとに中国国内でも聞こえていた。
国内でこれから一層厳しくなるのは、景気の刺激を求める勢力と金融秩序の維持を重視する勢力との綱引きである。中国のゼネコンの政治力は強い。それに対し、計画経済の時代以来、財政金融部門は分が悪い。中国の元財政相によれば、財政赤字を削減するためには建設予算を減らすべきだが、それがなかなかできないという。
中国は減税や補助金、そして公共投資などによって新型コロナの経済的打撃からいち早く回復しつつある。
2008年の米国発金融危機から脱出するため、中国国内では高速鉄道網や高速道路網の建設ラッシュが起こった(BENJAMIN LOWY/GETTYIMAGES)
とは言え、19年に苦しんでいた構造的な経済問題を解決したわけではない。特に地方では、儲からないプロジェクトによって不良債権がさらに累積する。地方政府、企業、そして家計の債務が増大しているので、金融秩序の崩壊を恐れる習近平氏はデレバレッジ(債務削減)を要求する。だがその一方で、雇用の維持や格差拡大防止のために中小企業への積極的な融資をも求める。どれだけ美しく響く概念がつくられても、雇用が、生活が脅かされれば、中国共産党は人々の信頼を失うからだ。
だが宣伝の力も強い。人間は、同じことを繰り返し聞かされていると、間違いでも信じ始めるようになる。中国共産党はそれをよく知っている。人民解放軍ですら、世論戦や心理戦を重視している。今や世界中でフェイクニュースや情報操作が問題とされる時代となった。私たちは冷静に、中長期的かつ複合的な視点から中国の政策や社会状況の実態に迫る必要がある。
高原明生(たかはら・あきお)
東京大学公共政策大学院教授/専門は現代中国政治。1981年東京大学法学部卒業。88年サセックス大学博士。立教大学法学部教授等を経て2005年より東京大学法学部教授。18~20年に同公共政策大学院院長。著書は『開発主義の時代へ 1972-2014』(共著、岩波書店)等多数。
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2013年、中国の習近平国家主席が突如打ち出した「一帯一路」構想。中国政府だけでなく、西側諸国までもがその言葉に“幻惑”された。それから7…
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