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日本の文化を未来につなぐ 人のチカラと技術のチカラ|【特集】〚人類×テックの未来〛テクノロジーの新潮流 変革のチャンスをつかめ[PART2-1 キラリと光る日本の技]

メタバース、自律型ロボット──。世界では次々と新しいテクノロジーが誕生している。日本でも既存技術を有効活用し、GAFAなどに対抗すべく、世界で主導権を握ろうとする動きもある。意外に思えるかもしれないが、かつて日本で隆盛したSF小説や漫画にヒントが隠れていたりもする。テクノロジーの新潮流が見えてきた中で、人類はこの変革のチャンスをどのように生かしていくべきか考える。

古くから伝わる日本の文化には、現代でも通用する先人の知恵が詰まっている。テクノロジーの力を借り、過去の知見を未来につなぐ動きが広がっている。

文・堀川晃菜(Akina Horikawa)
サイエンスライター・科学コミュニケーター
東京工業大学大学院生命理工学研究科修了。農薬・種苗メーカーでの勤務を経て、日本科学未来館の科学コミュニケーター。その後、WEBメディアの編集・記者を務め、現在はフリーランス。著書に『バイオ技術者・研究者になるには』(ぺりかん社)。

🔷人間とAIの役割分担
  翻刻で高める古文書の価値🔷

 AIと市民が助け合う──。近未来の話のようだが、実はもうすでに成果を挙げている事例がある。2017年に京都大学古地震研究会が始めた「みんなで翻刻」だ。元々は、過去の地震を記録した歴史資料の解読を目的に、地震学をはじめとする全国各地の研究者が情報共有するプラットフォームとして立ち上げられた。

 〝みんな〟の輪が広がる契機となったのは、同研究会のメンバーで、国立歴史民俗博物館の橋本雄太助教が開発した「くずし字学習支援アプリKuLA」だ。くずし字が読めなければ、江戸時代より前の古文書は読めない。そこで、橋本氏が中心となり同アプリを作成すると、1カ月で1万ダウンロードと予想を上回る反響があった。「古文書を読みたい人がこんなにいるのかという驚きとともに手ごたえを感じた」と橋本氏。市民科学として歴史資料の翻刻を行う海外の先行事例も後押しとなり、現在の市民参加型のプロジェクトに発展した。

スマホアプリでくずし字を学び、古文書を読む
(YUTA HASHIMOTO)

 市民参加型に拡張した「みんなで翻刻」には、これまで約5000人が参加、2000万字を超える史料が翻刻されている。参加者の年代や属性はさまざまだ。かつて国文学を学んでいたセミプロや1人で100万字を翻刻した強者もいれば、まったくの初心者もいる。そこでAIの出番だ。(凸版印刷、人文学オープンデータ共同利用センターがそれぞれ開発した2種類のAIが使用されている)

 くずし字を機械学習したAIはいくつかの候補を提示し、初心者はその中から最適と思われる解を選ぶ。ただし、現在のレベルではAIは100%正確にくずし字を認識できず、精度は高くて95%。一方、人間は背景知識や文脈の流れから意味を斟酌することができる。「AIと人間では得意なことが異なり、だからこそ役割分担ができる」と橋本氏。翻刻後は参加者同士で相互に、多重チェックが行われている。過去に3万4000字分を検証したところ、人とAIが協業したその精度は98・9%に達した。「専門家の翻刻には及ばないが、内容は理解できるので、地震学の研究者が資料を絞り込む際など、キーワード検索をかけるには十分な精度と考えていえる」と橋本氏は話す。

Win-Winの関係が
プロジェクトの屋台骨

 さらに驚くべきはその作業効率だ。当初は東京大学所蔵の地震関連の史料114点を2年かけて翻刻する見通しだったが「みんなで翻刻」はこれを4カ月で読了。19年までの2年間で約500点の史料が翻刻された。研究会メンバーで東京大学地震研究所の加納靖之准教授は「私は研究会に参加してから古文書を読み始め、自力で読めるようになるには数年かかった」と話す。さらに「これまで古文書を読める人は限られていたが、翻刻した内容をデータベース化することで学問としての検証可能性も高まったと思う」とその意義を語る。参加者からも、翻刻を通じて、自分たちの居住地域で発生した過去の被災状況を知り、防災意識が高まったとの声が寄せられた。

 ここまで多くの協力が得られる理由について橋本氏は「最初は労働力の搾取だという声も一部あったが、今では生涯学習として取り組むユーザーが多い」と分析。そこで19年からは対象とする古文書のジャンルを拡大した。妖怪が登場する「化物七段目」については、参加者が翻刻の成果を活用し、電子書籍としてリバイバル出版を果たしている。江戸の医療と養生をテーマとした翻刻も参加者発のプロジェクトとして21年に始動。歴史災害についても、これまではあまり研究対象とされてこなかった個人の日記などから、新たな記録が見つかる可能性もある。

 一方、翻刻で大量に得られたテキストも、まだ人間の読み込みを必要とする。そこでさらに利用価値を高める試みとして、新たに「みんなでマークアップ」が始まった。地震の史料について場所や日時、被害状況などの情報をマークし、コンピューターで解析しやすい形でデータ化する。地図上に情報を集約することも可能となる。翻刻の経験者はもちろん、新たな参加者も歓迎されている。「第一弾は、安政江戸地震の資料を対象にしている。場所は緯度経度を特定し、日時は西暦に変換していくことで、地図と情報を紐づけて可視化できるようにしたい」と橋本氏。地震学をさらに深めるツールとなることが期待される。

 AIと人間、専門家と一般市民。上下関係ではないWin-Winの関係がこのプロジェクトの屋台骨だ。

🔷「土」を研究し「土」で修復
     科学を駆使して文化を守る🔷

 技術の価値は、新しいものを生み出すことだけにあるわけではない。京都大学工学研究科の澤田茉伊(ま い)助教は地盤工学の専門家として、地震や豪雨などで損傷した古墳をはじめとする遺構の修復・保全に取り組んでいる。地盤工学は主に土木構造物の設計・施工や防災に応用される学問であり、文化財の保全につなげる試みは国内ではまだ少ない。あまり大々的には報じられないが、自然災害によって損傷した遺構は少なくない。

 石室に描かれた「飛鳥美人」で知られる奈良県明日香村の高松塚古墳もその一つだ。石室を覆う墳丘(盛土)には過去の南海地震が原因と考えられる亀裂が生じている。こうした物理的な損傷の他、石室内の温湿度環境の変化も重大な問題だ。それによって繁茂したカビが壁画の劣化を招き、修復のため石室は解体を余儀なくされた。

 明日香村の酒船石遺跡では、豪雨で石敷の斜面が崩壊した。水路や石造物があることから、水を使った儀式の場だったと考えられている。澤田氏は適切な修復方法を検討するため、現地で採取した土を用いて、大学の実験室で土の保水性や変形特性を調べ、崩壊のプロセスを数値解析で再現した。

 解析からは、表層にある土が非常に軟弱で、雨水の浸透によって変形しやすい性質を持つことが判明した。そこで澤田氏らの研究グループは遺跡の土の一部を取り除き、力学的に安定する土に入れ替えることを提案。これをもとに実際の修復が行われた。

自然にある土を活用し
古墳を保全する

 一方、墳丘が失われて石室がむき出しになった大分県のガランドヤ古墳。その保護と展示のための施設に採用されたのは、土の特性を利用した遮水・排水システムだ。

 保護施設の検討にあたり、澤田氏らは室内の降雨模型実験で、砂層・礫層内での水の動きを検証。砂層の下に、砂より粒の大きな礫層を敷き傾斜をつけると、層の境界部で遮水効果が生じ、排水される。砂と礫の保水性の違いに起因したこの現象を「キャピラリーバリア」という。遺跡の保全に応用されたのはこれが初めてだ。完成した保護施設の外観は土の丘、まさに古墳だ。「自然にある土をうまく使いたかった」と澤田氏は話す。土は断熱性が高く、施設内の石室の温度環境を安定的に保つ点でも優れている。

ネットに包まれた礫を覆うように盛土をする
(KYOTO UNIVERSITY)
盛土をした後、植生を施してガランドヤ古墳の
保護施設は完成した (KYOTO UNIVERSITY)

 同様に、地震についても古墳の模型を用いた加振実験やシミュレーションが行われている。将来的には古墳の耐震補強も技術的に可能であることを示し、遺跡の予防保全につなげたい考えだ。「なぜ壊れたのか」を理解することは、修復・保全の最善策を導く。同時に「なぜ何千年もの間、壊れなかったのか」を解明することにもつながる。科学で先人の知恵に迫り、技術で唯一無二の文化財を後世に受け継ぐ─。人類とテクノロジーの知恵が融合した理想の姿といえるだろう。

出典:Wedge 2022年2月号

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