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ミャンマー貫く“援習ルート”クーデター後の対中関係の行方|【特集】「一帯一路」大解剖 知れば知るほど日本はチャンス[PART-4]

石田正美 (日本大学生物資源科学部国際地域開発学科教授)

2月にクーデターが起きたミャンマーでは、軍事政権と中国との関係が注目されている。両国関係で最も重要なのが一帯一路だ。ここには「援〝習〟ルート」が通っている。

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中国南部広西チワン族自治区からミャンマーまで続くパイプラインの建設現場(2013年) (IMAGINECHINA/JIJI)

 アウン・サン・スー・チー国家顧問など国民民主連盟(NLD)幹部を拘束した2月1日の政変から2カ月近くが過ぎた。収まることのない連日のデモに国軍や警察が発砲し、3月21日時点で250人以上の死者が出た。米バイデン政権は制裁の度合いを強め、欧州連合(EU)も国軍のミン・アウン・フライン総司令官ら11人への渡航禁止と資産凍結といった制裁を承認した。国連安全保障理事会は「平和的なデモ隊に対する暴力を強く非難する」とした議長声明を全会一致で採択し、軍への自制を求めた。

 しかしながら、ミャンマーの孤立は中国への接近をより一層強めかねない。というのも、ミャンマーは中国にとっての地政学的な要衝であり、約3年余りにわたり、習近平政権は中国ミャンマー経済回廊(CMEC)実現のため、スー・チー政権に、再三のラブコールを送ってきたのである。

インド洋から中国までを貫く「援“習”ルート」

 CMECは、中国南部・雲南省の昆明とミャンマー最大の経済都市ヤンゴン、そして西部のラカイン州チャオピューを高速鉄道と高速道路で結ぶ構想である。これは17年12月に、スー・チー国家顧問の北京訪問の折、習近平国家主席との間で合意された。

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(出所)筆者資料を基にウェッジ作成

 まず、昆明からミャンマー第2の都市マンダレーを経てヤンゴンを結ぶルートは、中国ミャンマー貿易の最重要ルートである。ミャンマーにとって中国は輸出入とも最大の貿易相手国であるが、同ルートを用いた輸出と輸入はミャンマー全体の約2~3割と約1割をそれぞれ占める。10年まで続いたスー・チー氏軟禁などを理由とした経済制裁下で、欧米諸国との貿易が閉ざされる中、この国境貿易ルートが、タイとの国境貿易とともに、ミャンマー経済の屋台骨を支えてきたといっても過言ではない。歴史を紐解けば、元々このルートは、当時ミャンマーを植民地支配していた英国が、日中戦争下で重慶に拠点を置く蒋介石率いる中国国民党政府を支援するために建設された〝援蒋ルート〟であった。

 そして特に重要なのが、もう一方の沿海都市チャオピューから延びるルートだ。チャオピューには、インド洋と中国とを結ぶ天然ガスと原油パイプラインの起点がある。前者はチャオピュー沖のシュエ・ガス田産出の天然ガスを、マンダレー、昆明を経て広西チワン族自治区の貴港まで運ぶ(ミャンマー国内793㌔メートル、中国国内1727㌔メートル)。「一帯一路」構想提唱以前の10年に建設が始まり、14年から輸送開始、18年の実績ベースでミャンマーからの輸入は、中国の天然ガス総輸入の3%を占める。

 後者は中東産原油を、チャオピューで荷揚げした後に同じくマンダレー、昆明を経て重慶まで運ぶ(同771㌔メートル、同1632㌔メートル)。こちらも10年に建設が始まり15年に完成した。だが、脱中国依存の姿勢を示したテイン・セイン政権下で棚上げとなった。輸送が開始されたのは、スー・チー政権発足後の17年で、輸送能力は日量44万バレルで、フル稼働を前提とすると18年の中国の原油総輸入の日量924万バレルの4.8%を占める。ちなみに、同年の中東産原油は中国の原油輸入の約4割を占める。

“マラッカ・ジレンマ”を回避し港湾でインドを包囲

 では、ヤンゴンと比べれば無名に等しい沿岸都市チャオピューを、なぜ中国はパイプラインの起点として選んだのであろうか。

 理由はインド洋と太平洋を結ぶマラッカ海峡にあると考えられる。同海峡は1日平均で200隻以上の船舶が通過する要衝である。このマラッカ海峡が、仮に米軍に海上封鎖された場合、中東産原油の輸入がストップするという〝マラッカ・ジレンマ〟を中国は警戒する。

 このマラッカ・ジレンマ解消の一助となり、沖合で天然ガスが産出されることでチャオピューが選ばれたのであろう。中国は、このほかにパキスタンのグワダル港から新疆ウイグル自治区までを結ぶ中国パキスタン経済回廊(CPEC)を開発しているほか、既にロシアや中央アジアからの天然ガスをパイプラインで輸入している。

 ただ、チャオピューからのパイプラインは敷設済みであるのに、なぜCMECとしてインフラを新たに建設する必要があるのか、疑問は残る。この点は筆者の推測の域を出ないが、鉄道や道路を通じて追加的な原油と天然ガスの輸送が可能であること、さらには鉄道建設後に仮に運行にも関わることができれば、パイプラインのリスク管理や拡張がしやすくなることなどが考えられる。

 加えて、パキスタンのグワダル港、スリランカのハンバントタ港、チャオピュー港を、インド洋における中国船舶の補給基地などとして活用することもできる。インドを囲む〝真珠の首飾り〟であるチャオピュー港などの港湾が、軍事転用される可能性もあり、CMECは対インド有事の際の重要な補給路となり得る。ただ、一方のインドも、チャオピューの沖合800㌔メートルほどに位置し、マラッカ海峡にも睨みを利かせるアンダマン・ニコバル諸島で軍事拠点化を進めており、今後は中印双方の陣取り合戦の様相を呈する可能性も否めない。

 習近平氏は、20年1月に2日間にわたりミャンマーを訪問、スー・チー氏との間でCMECを含む33の覚書を締結している。この動静からも、昆明からチャオピューを結ぶルートは、現代版〝援習ルート〟と位置付けられよう。

CMECの裏に改革開放にさかのぼる文脈

 CMECのミャンマー側は、パイプラインを除けば構想の域を出るわけではない。一方中国側は、険しい山々を切り開き、具体的にインフラが整いつつある。

 まず昆明からミャンマーとの国境がある瑞麗まで、1996年から20年弱の歳月をかけ、2015年末に全長702㌔メートルの高速道路を完成させた。昆明と瑞麗の間は1000㍍以上の高低差に加え、メコン川など大河もあり、難工事を経た上での完成である。また、18年に昆明・大理間292㌔メートルを5年の歳月をかけて建設した高速鉄道のその先の瑞麗までの区間も、数々の難工事に直面しながらも、その建設を進めている。

 重要なのは、チャオピューからのパイプラインと同様に、この高速道路もCMECに合わせて建設が始まった訳ではないことだ。元々は中国全土を南北方向に5本、東西方向に7本の高速道路網を張り巡らす「五縦七横」構想の一つである、上海と瑞麗を結ぶ上瑞高速道路の一部である。この五縦七横は1992年の国務院の決定に基づくもので、2007年までの15年間にその大部分を占める3万5000㌔メートルが開通している。特に、アジア通貨危機による影響緩和の景気刺激策として、1998年に高速道路建設は加速された。

 その後の2007年までの期間は、経済発展が遅れた西部12省・市・自治区の経済発展を促す「西部大開発」が進められた時期と一致する。当然ながら、雲南省はその対象地域であり、とりわけ国境地域の経済発展が隣国との貿易関係を通じて強化されていた。筆者も06年に雲南省を含むメコン川流域諸国の国境経済圏の研究に取り組み始め、昆明・瑞麗間を往復したが、ミャンマーに続く一般国道の整備状況が、未舗装道路など悪路の多かったラオスやベトナムへの道路と比べても、特に良好であったことが印象に残る。

 一帯一路の中のCMECは、1990年代からのインフラ建設やミャンマーとの関係構築といった蓄積の上にあり、今や中国のエネルギー安全保障にとって欠かせないルートとなっている。2006年当時から「南進する」中国と言われてはいたものの、国境経済圏開発の延長線上に、マラッカ海峡を通らずに済むインド洋への海洋進出があるとは思いもよらなかった。

 しかし、尖閣諸島や南沙諸島などを自国の領土と定めた中国の「領海法」の制定、五縦七横の政策実施、さらには当時の最高指導者鄧小平氏が中国南部を巡り改革加速を呼び掛けた「南巡講話」を行った年は、いずれも1992年である。このことを考えると、CMECが鄧小平の時代から周到に準備されたレールの延長線上にあるのではと勘繰りたくもなる。

 こうした中国の思惑に対して、ミャンマーは従順にもみえるが、実はそうでもない。そこには、中国とインドという大国の狭間で、時として双方を天秤にかけながら、したたかに対応してきた歴史がある。

対中依存を避けたいミャンマー
国軍を取り込もうとする中国

 90年代からの欧米諸国の経済制裁下で孤立していたミャンマーの軍事政権に援助の手を差し伸べてきたのが中国である。しかしながら、11年に軍事政権の流れを組む連邦団結発展党(USDP)の代表として政権を担ったテイン・セイン大統領は、ミャンマー北部カチン州で中国が進めていたミッソン・ダムの建設を、地元住民の反対の声に配慮して凍結している。

 このダムが建設されれば、中国の三峡ダムに匹敵する発電が行われ、その9割が中国に輸出されることになっていた。これがミャンマーのためになったかというと首をかしげたくもなるが、テイン・セイン政権にとりミッソン・ダムの建設凍結が欧米諸国から歓迎され、経済制裁解除の1つのきっかけになったとも考えられる。

 スー・チー氏率いるNLD政権も、中国への債務依存が強まり、インフラの管理権が中国に渡る「債務の罠」への懸念が根強い。一例として、中国の国営企業である中国中信集団(CITIC)を中心とするコンソーシアムが予定していたチャオピュー経済特区では、大型船が着岸し積荷の積み降ろしが可能な深海港のバースの数を10から2まで削減し、総工費を73億㌦から13億㌦まで交渉により縮小させている。

 実際、国内総生産(GDP)に占める対中債務の割合は、減少傾向を示している(2月7日付日本経済新聞)。また、中国とインドが新型コロナウイルス感染症のワクチン外交を展開する中、同政権はインドからも中国からも供給を受ける約束を取り付けており、ロヒンギャ問題で国際的に孤立する中でも極端な対中依存は避けていた。

 こうした中、習近平政権は、CMECを実現すべく、クーデターにより孤立したミャンマーをどうやって手繰り寄せようとするのであろうか。政権の先行きが不透明な中で、中国側から軍事政権に一方的に肩入れすることはないだろう。それでも、ミャンマーの国軍が何を望んでいるのかは慎重に検討していることであろう。懸念されるのは、連日のデモに対し国軍がさらなる強硬策に出てもデモが鎮まらない事態が起きたときのことである。国軍が中国側に、香港やウイグルの反政府デモの鎮圧方法、さらには監視カメラによる行動統制の導入を求めたとすれば、恐ろしい話となる。

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クーデターでスー・チー氏が拘束されたことにより、中国ミャンマー関係は一層先行き不透明になった (POOL/REUTERS/AFLO)

 日本政府としては、欧米諸国と同様に国軍の姿勢を非難しつつも、NLDと国軍双方の対話の窓口を閉ざさないことが求められる。

 他方、ミャンマー向け援助については、現時点で新規援助は行わない方向性が示されている。しかし、状況の進展如何によって、援助のさらなる自粛措置が採られる可能性も否定できない。日本政府が官民で取り組んできたティラワ経済特区もさることながら、改修中のヤンゴン・マンダレー間鉄道が仮に停止となった場合、中国が高速鉄道建設を掲げて割り込んでくる可能性も否定できない。

石田正美 (いしだ・まさみ)
日本大学生物資源科学部国際地域開発学科教授/成蹊大学法学部卒、筑波大学大学院経営政策科学研究科修了。富士総合研究所(現みずほ情報総研)、在マレーシア日本国大使館専門調査員、日本貿易振興機構アジア経済研究所などを経て、2020年より現職。著書に『タイ・プラス・ワンの企業戦略』(勁草書房、共編著)など。

出典:Wegde 2021年4月号

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