フジテレビの記者会見について思うこと
フジテレビはここまで叩かれるようなことをしただろうか?
ニュースを見ると、フジのバッシング一色でうんざりする。
ことの発端は中居氏の女性トラブル。
フジが叩かれるようになったのは、フジの職員が中居氏向けに会合をセッティングしていたと報道され、フジが組織的に女子アナを性接待の道具として芸能人に献上していたという疑惑が浮上してからだ。
フジは、当初のクローズドな会見で、組織的な女子アナの献上はなかったと信じているが、第三者調査委員会の調査を待って判断したい、と述べた。
これに対し、報道機関たるフジがクローズドな会見で何とけしからん、と世の中のムードが一変した。
その後、日枝相談役がフジの諸悪の根源のように囁かれ始め、本日の会見でも日枝相談役の責任が追及される一幕もあった。
上記経緯を踏まえると、論点は4つあると思う。
1つ目は中居氏の女性トラブルと、その後のフジの対応について。
中居氏と女性との会合をフジが設定していれば話は変わってくるが、フジの社内調査ではフジの関与はなかったという結論になっている。
フジの立場からすると、フジの関与はない前提であるから、現時点では、女性トラブルは、あくまで番組に起用したタレントと従業員との間の、仕事外の会合でのトラブルという位置づけになる。
仕事外でのトラブルであること、女性が公表を望まなかったこと、示談で解決していることを踏まえると、中居氏の起用を続けたというのも、おかしなことではないであろう。突然、中居氏の番組を全て打ち切りにすれば、中居氏に何かトラブルがあったと勘ぐられ、中居氏の影響力の大きさを考慮すると、公表を望まない女性トラブルの『特定』や、あらぬ誹謗中傷がなされる懸念もあったであろう。
この点に対し、各種メディアや記者は、「社内調査が不十分だったのでは」「コンプライアンスが機能していない」「中居氏をかばったのでは」などと糾弾するが、これらの意見に筋が通るのは、フジが女性トラブルに関与していたことや、組織ぐるみでの女子アナ献上が真実であった場合である。これが2つ目の論点につながる。
仮にこれらが真実であれば、フジへの批判・糾弾はまっとうであろう。しかし、重要なのは、これらの点はまだ週刊誌報道でしか確認されていないということだ。週刊誌報道では、フジの組織的関与が疑惑として取り沙汰されているものの、フジの社内調査では、そうした関与はなかった、という状態である。但し、フジも、週刊誌報道を無視するわけではなく、企業として責任ある対応をすべく、第三者委員会に全権をゆだね、徹底的な調査を実施すると宣言したのである。至極まっとうなリアクションではないだろうか。
確かに、当初設置した第三者委員会が、日弁連のガイドラインに即したものであると明示されていなかった点は問題であろうが、「①社内の初期調査で一定の結論が出ていた→②週刊誌で疑惑が報道された→③第三者委員会を設置して事実調査を開始する」という流れにそこまでおかしな点はあるだろうか?
なお、ここで落ち着いて考えて欲しいのは、週刊誌は必ずしも公正・中立な事実認定をしているとは限らないということだ。確かに週刊誌は入念に取材しているであろう。しかし、それは「真実」を立証するためのものではなく、のちに名誉棄損で訴えられた場合に身を守るのに必要な、「真実相当性」を立証するためのものに留まるであろう。真実と真実相当性は、0と1くらい異なる。真実の立証となれば、他の可能性を排除するため、複数の当事者からの聞き取りや、矛盾した証拠がないかといった多面的な検証が必要になる。他方、真実相当性の立証ということであれば、「真実と信じたのも無理がないでしょ」というレベルで足りるのである。実際、過去に週刊誌が名誉棄損で敗訴した事例は複数存在し、週刊誌報道は必ずしも真実とは限らないのである。
しかるに、世のニュースは、あたかも週刊誌報道が真実であると決めつけたうえで、フジの対応が甘い、と怒り散らしているように私の眼には映る。記者たちよ、報道に携わるのであれば、フジに対し報道機関としての責任を問いただす前に、自分たちに対し、報道リテラシーがあるのか、偏見を抱かずに公正中立にニュースを報道する気概があるのか、自分の胸に手を当てて考えて見て欲しい。いま、皆さんは、決めつけ刑事になっているように見える。ACの広告を見て頭を冷やせと言いたい。
3つ目の論点は、当初の記者会見の方法である。
クローズドな会見で、かつ、回答が限定的であったことが問題視された。
しかし、何が問題なのであろうか?
当初の記者会見の時点では、事実について、週刊誌側の認識と、フジ側の認識が乖離しており、真実がまだよく分かっていない状況である。そして、だからこそ第三者委員会が設置され、これから調査が始まる状況である。調査が終わるまで断定的なことは回答できないのは当然であろう。これに対し、断定的な回答でなくとも、港社長自身の認識をつまびらかに話せばよいではないか、という反論があり得るかもしれない。しかし、(会見で述べられていたように)港社長自身が第三者委員会での調査の対象者になるわけであるから、公の場でべらべらと自己の認識を話すわけにもいくまい。それを聞いたフジの他の幹部が大なり小なり影響を受けてしまい、幹部たちのその後の聞き取りにバイアスがかかってしまう(そうすると第三者委員会の調査による真実発見の妨げになる。)。刑事事件でも、共犯者同士が口裏を合わせるのを予防する目的で接見が禁止されたりするが、それと同じ理屈である。さらに、(これも会見で述べられていたが)被害女性のプライバシーを守ることを考えると、具体的な情報は出すことが出来ない。
世の中は、「報道機関たるフジがクローズドな会見でけしからん」と騒いでいるようであるが、これは一見もっともらしい抽象的な命題でバッシングするという詭弁である。抽象的に「報道機関なのにけしからん」と言われても、よく分からない。具体的に何が論点なのか、はっきりして欲しい。会見の目的は、説明責任を果たすことだと思われるが、上記のような制約を踏まえると、クローズドな会見でも十分に説明責任は果たされたと思われる。むしろ、本日の会見で皮肉にも裏付けられてしまったが、オープンな会見にすることの弊害(有象無象が訳の分からん質問をする)の方が大きすぎて、クローズドな会見の選択が賢明であったことが浮き彫りになったと思う。
あるいは、記者連中は、自分たちは他社にずけずけしつこく取材するのに、自分たちが取材対象になるとおとなしくなるのはダブルスタンダードだ、ということを言いたいのだろうか。確かに、取材を拒否したのであればダブルスタンダードかもしれないが、今回は取材を拒否された事実が実際にあったのであろうか。
4つ目の論点は日枝相談役の責任である。いつの間にか日枝相談役の名前が出始め、彼が退任しないとフジの体質は変わらないなどという言説がまことしやかに広がっている。しかし、そもそもフジの組織的な女子アナの献上が真実が分からない段階で、誰かの責任を問うのは時期尚早であるし、この点を置いても、日枝相談役とフジの体質にどういう因果関係が具体的にあるのか(人事権の行使があったというが、具体的にいつ、誰をどう任命したのか)、フジのどういう体質を問題視しているのか、判然としない。これも抽象的すぎる、陰謀論のような妄想の域を出ないことのように私には思われる。
果たしてどのくらいの人々が、一歩引いて今回の騒動を見ているのか、あるいは、日々のニュースに同調してしまっているのかは定かではないが、あっという間に広まった今回のフジ叩きには、非常に恐怖を覚える。冷静に見ると、上記4つの論点でフジの言い分は(現時点では)それなりの根拠や正義はあると思う。
しかしながら、ネット空間において、「攻撃してよい」対象と認定されると、袋叩きが一向に止まらない。もはや、何が発端で、どのような正義を希求しているのかすら曖昧になり、攻撃自体が話題を呼び、攻撃そのものがどんどんと増殖していく。攻撃対象が何かすると、揚げ足をとり、次々に新たな攻撃の呼び水となってしまう。これはネットいじめで、非常に残酷な暴力である。
記者達、視聴者達、せっかく脳みそがあるのであれば、もう少し自分自身で考えて、情報を取捨選択して、判断したいものである。
フジの経営陣ですら、正論で喝破するような、胆力のある人物はいなかった。この先の日本社会が非常に不安である。