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折伏ってなんだいそれ

日蓮正宗ははっきり言って、本物だと思う。
でも、広宣流布や、日々の勤行などは、現代の日本仏教の大半が、
趣味娯楽観光と化しているから、異様に思われがちだと思う。
しかし実は、少数派が正解なのである。
最初は私もそう思っていたけど、やっていて思う。
こっちが本物だなというふうに。
御本尊様がただの置物ではなく、血が通っているのだと思う。
もしも、宿業というものがあるなら、この仏法で取れる。
現世はもう折り返し地点をとうに過ぎたが、来世では
輝き、子孫に罪障を残さないように生きたいと思うから、
変な顔をされても、子どもに嫌がられても、やめられない。

たいていの人は、

『信じることで救われるんだったら、いいんじゃない?』

って、こんな大変なのに見下げた感じに言う人がほとんどだが、
実はそうじゃない。

『信じることで、見守っていただけて、良い境涯に導いてくださる』

というのが正解だ。
信じて信心の先輩の話を取捨選択もしつつ聞き、おかしいと思ったら
御住職さまに聞いてみる。そして、日蓮正宗から発行されている本を
読んだりもする。
そしてすべては朝晩の勤行が基本となる。
勤行をしていなければ、自分の胸の中へ伝わってこないんだと思う。
さぼるとそれを感じるから、2日しかさぼれなかった。

同心の縁、家族の縁があるから、修行をする中で積んだ功徳は
仲間にもめぐる。それを感じるから不思議だ。
たぶん、私の中には仏様がいる。

どの人の心にも仏様はいて、この仏法をすることで
大聖人様に見てもらえる。
見てもらえてるかどうかは日々の暮らしの中でわかる。
分からない場合は肝心な何かが違うんだと思う。
でも、それなりには必ずよくなると思う。
自分自身が気づいていない自己の理想や
自分の力以上の成果が現れたり、一見失敗したように見えたことも、
失敗ではなかったような結末となる。

本当の幸せの境涯が開けていく。
そういう宗教だと思う。

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