【雑話】心の内を知り、また他人に伝えるものとしての"好きなもの"の観察
「好きなワールドとかってありますか? わたしはまだここのことがよく分からなくて。」
「よく見る本とか動画とかってありますか? 最近こういうの全然追えてないですから、知りたいなって。」
うまくお話できなかったNewUserの頃、困った時によく使う話題の一つだった。(とはいえ今も、ちょこちょこは使うのだけど…)
小説でも。映画でも。漫画やアニメでも。
VRChatなら、アバターやワールドでも。
『自分が好き・心地良いと思う物』は誰の中にも一つぐらいはあるはずで。目の前で話している相手のそれを知る事は、相手の心の一面を情報として知覚する事でもあり、「なぜそれが好きなのだろう?」と思いを馳せてみる事は、相手の思考や行動・生きた時間の全体像をイメージするヒントの一つに成り得るとよく思っている。もちろん、1回で全てわかるなんてことはなくて、相応の長い時間は必要だけれど。
なぜならば、普段わたし達が当たり前のように『伝わる』と前提して使う言葉では、頭で考える事。心で感じる事。相手にイメージしてほしい自分の姿を、全て伝えることができないからだ。
言葉は先人の経験が込められた、思考の近似値でしかない。また、会話はその近似値である言葉を、ブロック建築のように積み上げたアナログな造形物でしかない。芸術品や絵画に対する解釈が人によって異なるように。自分が発した言葉が最終的にどういう意味合いを持った物になるかは、残念ながら相手の頭の中に全て委ねられてしまうのだ。言葉は意思疎通において信頼できるモノのようでいて、そういった危うさが常に背後にある。そのために、相手の事を理解せず、自分の言いたい言葉だけを投げかけ続けることは。自分から人を離れさせる悪癖になりやすい。
しかし、自分と他人は本質的にはここまで離れた距離にいながら。わたし達は探してみると、案外似た経験を多く共有していたりもする。これまでの生きた時間や経験から、わたし達は冷たい氷水に触れると、同じように『冷たい』と思うし、炊き立ての白米や味噌汁の並んだ膳を見ると『おいしそう』と思うし、星の輝く雲一つ無い夜空を見上げると、なんとなくでも『きれいだね』と思うことができる。このような、同じ景色に対する感想は、時に日常使いする言葉以上に通じやすく、誰かの感情や意志をより深く感じ取るキーアイテムとなることがあるように思う。
翻って言えば、誰かの『好きなもの』においても。同じようなニュアンスをわたしは感じる。それに想いを馳せることは、まるで誰かの心の内に触れるような感触を覚える。それを知っていく事は、より相手に届きやすい言葉を選び取れるような気持ちにさせてくれる。
思えば、人にそんなものを聞き、解釈することはあっても。わたし自身の『これが好き』『これはしないかも』をはっきり言語化したことは、意外と少なかった。
時にVRCの普段の雑談で、キャストで、トークイベントで。ふとそんな引き出しを使って自己紹介するときに、時々引き出しから言葉をなかなか引っ張り出せず、表現に詰まってしまう事もあった。思えば、このNoteにも。そんな嗜好(思考)の方向性をまとめた情報が無い。
なので、好きな物や方向性を自由連想法めいて列挙して、なんとなくでも『自分はこんな人なのかもしれない』を改めて言語化してみようという。これはそんなおぼつかない試みのnote。
(とは言え本当に全てを列挙していては終わらないので、思い深い物に限ってほどほどに…)
1.『好き』の自由連想
小説
司馬遼太郎の歴史小説(功名が辻など)
漫画・アニメ
信長の忍び(とその外伝歴史作品色々)
福本信行作品全般
ゲーム作品
2. 好きの形から嗜好性の形を考える
登場人物の生きる根幹(哲学/思考の癖/こだわり/成育歴/性癖/弱みやトラウマ)を見るのが好き。
今までの生きた歴史を思わせる、思索的で詩的な発言や文章や言葉遊びが好き。
競技・仕事・学術・歴史など、現実世界にもある概念を元にした登場人物の観点や技術・立ち居振る舞いを見て、現実の学びに活かす事や、彼らの不器用でひたむきな熱量を浴びるのが好き。
いわゆる『レールから外れた人間』のような、常識や社会となじまない人物の生き様や欠落を観察し、共感したり学びを得る事や、その寂しさの様そのものが。沢山の嘆きや怒りの中に僅かに残る善性の様が好き。
尋常の感性では描きにくい抽象絵画のような、頭の中身めいたサイケデリックでごちゃごちゃした非現実な光景が好き。
上記のような数々の描写を、作品を見なくとも諳んじれるようになるまで何度も何度も噛みしめて味わい続け、自己のアイデンティティに同一化させていくのが好き。
3. 嗜好性と対を為す、苦手や副作用の形を考える
同じ物・人物・風景を噛みしめ続ける癖が強すぎて、新しい流行においていかれやすい。他人の興味にも食指が伸びにくいことも多い。
「彼はなぜこのように考えこう行動するのか」と描写に入り込みすぎるので、時間が経つと無意識のうちにとても疲れてることが多い。そうして生まれる疲れを避けようとして、新しい対人関係の回避癖を生むことがある。
現実の人間やVRC上のフレンドさんとも、同じように考えながら会話をする癖があり、慎重に情報を汲み取り知ろうとして、仲良くなるまでに時間がかかる傾向がある。この癖が強く出ると、相手の期待する姿を演じる、本心でない会話をしてしまいやすい。
このような人に入り込む生き方をする癖が強いので、自分本来の嗜好がなんだったかを忘れがち。油断すると同じ物ばかり食べたり、同じ場所ばかりに行ったり、同じ過ごし方ばかりしたりしている。そうして同じ嗜好に潜り続ける行動がループしていく。それは考えなくても確実に、自分が一定量は満たされる行動であるから。
4. この列挙を元に、自分に対して思う事
興味のレイヤが哲学・心理描写などの抽象的な所にあるからわかりにくいだけで、実はかなりこだわり強めな人間だな…という気持ち
『登場人物たちの強い生き様』へのこだわりは、あまり良くなかった過去の実家の環境や、職場で辛かった頃の自分の時間と重ね合わせて、過去どうすれば正解だったのかとか、未来によりよく生きるための方策を欲しがってる心理の現れなのかもしれない。
だからこそこのNote記事の数々を含めて、言葉で強く解釈を落とし込みたがっている。
好きな物を作品としてというより、自分の心を映す鏡としてどこか捉えてる嫌いが見られるし、多分実際の人間にもそのようにしてどこか触れ合ってる気がする。
やや古めかしい好きのラインナップだなぁ…という落ち込み。先述したように、新しい流行りのものが殆ど無くて、趣味物書きなんて自負をする割に、自分がいかに欲しい景色にだけ潜り込んでいるかが良く分かる…。少しつまらない奴だなぁ…。
結局のところ、最初に述べた『人に自己紹介する時ちょっと詰まる事がある』のは、自分の嗜好性が自分の欠落や過去・哲学に閉じすぎていて、「話しても恐らくされたい共感とは違う共感が来るだろう」という恐れをどこか持っているから、言葉や伝え方に詰まったりするのかもしれない。乱暴な言い方をあえてすれば、どこか表層的に「とりあえず話題だから見てみるか」ぐらいの行動力と即効性の高い興味を自分自身に欲しがっている気がする。まだ見てない物の数々に、もっと勢いよく触れたい…。
5. おわりに
あまりしない実験的な試みだったけれど。こうして列挙してみて、自分の嗜好性の形が自分でいささかくっきりと。見えてきたような気がする。
今までよりはスムーズに、自分の心の形。自分が与えられたい景色や関わりの形について。他人に説明することができるようになった気がする。
そんな気持ちを生むに至った、ライブコーディングのようなNoteでした。
(かな~り散文的になっちゃった💦 読みにくかったかな…)
よろしければ、小説/映像作品/ゲーム/VRChatのワールドなどとして。
あなたの『好き』の形や嗜好性も教えてくれたら、とてもうれしいです。
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