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【SS】ルサンチマン

わたしは、"特別な人"が羨ましくてたまらない。

しばらく昔、私はごくごく普通の家に生まれた。収入はそれなりで、両親の人柄もそこそこ。通う学校には友達がちらほら。他の子と同じぐらい、人並みにかわいいものも好き。そうした色々な点で、普通の環境に置かれていた。

わたしが身を置く街。駅通りを少し歩くだけで、キラキラした人の存在をこれでもかと見かけることができる。喫茶店に飛び込めば、有線から知らぬ人のいないアーティストの曲が聞こえる。書店に飛び込めば、売れっ子著者の本がその名前と一緒にドンと平積みされていたりする。わたしの憧れる、児童書籍向けのイラストという分野においてさえ。わたしよりはるか上の存在はごまんといて、こうして適当に手にしたイラストの解説本の人にさえ、わたしは勝つことができない。この人の本がこうして街の店の棚に並んでいる時点で、わたしは勝負の土俵にすら、立てていないのだから。

この人達の輝きは。類稀なセンスは。他人からの賞賛は。どこから出てくるのだろう。わたしの人生のどこにおいても、そんなものなんて欠片も無かった。
彼らはきっと、品のある家柄に育ち、質の良い友人に恵まれていて、自分を高めてくれる貴重な師とも、出会えていたりしたのだろう。
そんなもの、わたしは得られなかった。思えば思う程不平等だと思う。
センスの無い"普通の人"として、この先誰の特別にもなれないのかと思うと、錠剤を歯でかみつぶしたような、苦々しい気持ちにどこか駆られてしまう。

だから、わたしは"特別な人"が羨ましくてたまらない。

私は、断じて"特別な人"なんかじゃない。

しばらく昔、私は貧相な家に生まれた。お金が無いので将来どころかひと月先の未来も見通せず、着る洋服だって自由にならない。自分勝手に私を生んだ筈の両親が、もがき生きる日々の愚痴と"生かしている"ことの負い目を私にこぼし続ける、そんな環境に置かれていた。

私は物心ついて殆どずっと、"子供"の姿でいることができなかった。こうして大人になってなお、その"子供"の世界に憧れたまま日々を塗りつぶしている。

そうした私の執着は、偶然ひとつの才能を育んだ。
子供の世界に憧れ続け、書き続けた児童書向けイラストが評価され。ついに自分の描いた本が店頭に並んだのだ。

世の人たちは言う。私を特別な人だと。
私の心に空いた欠落など知りもせず、疑いもせず、気づきもせず。わたしを機会と出会いに恵まれた特別な人だと。そう簡単に吐き捨てるのだ。

店の一角に名前と絵が平積みされている。だからなんだと言うんだろう。私に空いた欠落は、絵をどれだけ描いても描いても埋まらない。それでもいつか、この底の見えない欠落を埋めた先の"普通"を生きてみたくてたまらなくて、明日も明後日も、多分来年も。どこまで本心で描こうとしてるのかも分からない、そんな絵を世の中へ出し続けるんだ。

暖かい空気を吸い、暖かいご飯を食べて、暖かい将来というおくるみに包まれて育った"普通の人"なんかには、我が身を火に焚べられ続けるようなこんな不毛な行為を、きっと想像もできない。
それでいて、自分の多彩で貴重な持ち物にも気づかず。かと言って他者の生きた過去を慮ることもせず。私のような穴の開いた人間に指をさし、類まれな"センスのある人"などと、残酷に吐き捨てて、簡単に解釈するんだ。

だから、わたしは"普通の人"が羨ましくてたまらない。

(きっとあなたの1400字作品。 お題:センス)

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