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VRC対人間でのコミュニケーションと、"愛情のハンガーノック"についての思考整理

VRC内でのコミュニケーションの良し悪し…みたいなお話。定期的に話題になる気がしていて、今もまたXのタイムラインでちらほらと見かけますね。

話題のNoteに対する・あるいは関連した、VRC内外で普段よく話す人・そうではない人の意見や感想。
これは方々で見かけたそれらを統合した、自分の思考整理としての一つ文章。

VRCも現実も、植物を育てるような地道なコミュニケーションがいる

しばしば、VRCというコミュニティが誰かの手によって言及される際に『ここは誰でも自由になれる心地のいい空間』と言ったように取りざたされることがある。
また、この取りざたされ方には一種の生存バイアスが掛かっていることもわたしはある程度事実ではあると考えてはいて、時折語られるそんな言説の発信者は、得てして地上波にも顔を覗かせるアイドル・ミュージシャンや、アバター・ワールドクリエイターとしての有名VRChatterである事も多い。
キラキラと輝いている彼らの語るそんな一言は、VRCの世界にまだあまり馴染んでいない"一般人"の立場にはより魅力的に聞こえてしまう。

『誰でも自由になれる心地のいい空間』と言う表現。これは部分的に真実だと考えている一方で、闇雲に受け入れると危うい表現だとわたしは考えている。

当たり前のことだけれど、HMDのディスプレイ越しに見るアバターの裏側には 実在する人間がいる。
相手はアバターそのものでもなければ、ましてやゲーム世界に住むプレイヤーを引き立ててくれるNPCでもない。
プレイヤーが沢山いる時間もあれば、いない時間もある。
普段快活で朗らかな人も、時に不機嫌だったり調子が悪くてうまく受け答えができないタイミングもある。
VRCは気軽に転生できる異世界でも、ましてや理想郷でもなく拡張現実であり、文字通り現実の延長線上にある世界線なのだから。

そんな環境で他人と程よく関わりながら、キラキラとしてる人達が言うような『自由になれる心地のいい空間』を必要十分に手に入れるには、どうしても根っこに必要なものがある。それはなにより『相手に自分への興味を持ってもらう事』に他ならない。

その要素は概ね、現実と同じような行動コストを伴う。
ましてや、VRCに慣れていないうちのプレイヤーであればなおさらだろう。

自分が身を置いているVRの世界について知り、数多く存在しているワールドについて知り、アバターについて知り、趣味の共通項が多い人が集まるイベントについて知り、実際に足を運び、勇気を出して一言だけでも声をかけてみる。余裕があれば、自分のSNSアカウントで広くその事を発信してみる など…  まだ見ぬ『心地のいい空間』を手に入れるために必要な行動は、枚挙に暇がない。
そこまでやっても、欲しい通りの結果に結びつくかはわからない。
時に相手にされなかったり、時に軽んじられたり、時には敵対したり、逆に重たく愛情を注がれてしまうことだってあるかもしれない。
自分を解釈する相手もまた、不確かで曖昧さの否定できない人間の一人なのだから。

世のVRChatterが話題のNoteに対してつい攻撃的に反応してしまう背景にとして、恐らく『何も分からない所から始めた自分が心地いい空間を手にするためにかけた時間・学習・コミュニケーション』に対し「運よくサポートを受けられただけ」「貴方に元々適正があっただけ」と軽んじられてしまったかのような印象があったからなのかな…? と、なんとなくわたしは考えている。正直、今は麻雀・朗読などでイベントキャストまでやり始めたわたしも、最初は対人恐怖症めいてうまくお話ができなくて…  インスタンスに入って恐る恐る挨拶した後は鏡を見ることが精いっぱいで、でもそこから何とか脱したいと長い時間をかけて矯正し続けてきたので そういった気持ちもわかってしまうしね…

承認・愛情のハンガーノック みたいな話

で、ここまでつらつらと書いた時に 一つ引っかかりが残る。
あのNoteで言われていたような、どうしても"自発的に動けない人"はどうすればいいの? と言ったお話。

そう。そこが難しいお話で…
"承認"や"愛情"と言った形のおいしい実をつけるために、そのプラットフォームで植物や木を育てるのには 当座をしのいでいくための備蓄(他のプラットフォームにおけるコミュニティ・友人・活動など)がどうしても必要で、いわゆる『自発的に動ける人』というのは、大体の場合それが"十分にある"人だったりする。

これが少なかったり、そもそもなかったりする場合。その場所での活動には苦労や苦痛を伴うこともきっと多いと思う。
安くはないHMDを買い、人によってはもっと高いVR適正のあるPCを買ってまで、現実から離れて得たいものがある気持ちは同じハズなのに。

自分について興味を持たれなかったり、解釈されなかったりするのだから。孤独は深まるし、ここからいなくなりたいと思ってしまう。飢えてしまう。悶えてしまう。自分の視界に入ってしまう、自分の欲しかった景色に。
自分もそれが欲しいはずなのに、どうしてもうまく動けない…

これはさながら、登山などの負荷の大きい運動をしている時などに起こる 身体のエネルギーが不足しすぎていて今すぐに何かを食べなければいけないが、不足度合いが著しく身体が動かないため何も食べられない『ハンガーノック』のようで…

「なんでもいいから今すぐ僕に何か美味しい実を食べさせてくれ。」と身体が呻きを発している状態の時にどうするべきかは、わたしも未だに答える事が難しい。
そして、そうなっている人に対して「貴方がそうなってるのはこれまで実のなる木を育てなかったからでしょ」と言わんばかりの事を伝えてしまうのも かなり酷だと思ってしまう。
場合によっては医療機関の手を借りる必要もあり、本当に難しい。
しかしできたら、そんな風に自身についてうまく伝えられない人もいるということへのほんの少しの理解や、気まぐれでもVRの中の"初心者"に対する優しさを、伝えられる人が増えてくれればいいな と思う

そして視点を変えて、自分がハンガーノックを起こしている立場である時を考える。
こんな時、求めてる承認・愛情を短い時間で実現させようとしても、ほとんどの場合うまくいかない。
相手目線で解釈されるそんな自分の姿は、悪い場合『自分語りばかりするつまらない人』『気持ちが重すぎて一緒にいて疲れる人』『どこに行くにもくっついてきて対処に困る人』になってしまいかねない。でも、どうにかして相手から暖かい気持ちや、仲良くされてる実感が欲しい。

先述したように、わたしはどちらかというとそんなハンガーノックを抱えた人間としてVRCを始めた立場だった。うまく相手に興味を持ったり、相手にとって心地の良い会話をしたいが、そのきっかけをなかなか掴むことができないでいる…

そう悩んでいた時に、少しだけ発想を変えた。
承認・愛情が植物で、それに水をあげる事をコミュニケーションと呼ぶのなら。
大きな木を無理に育てるのではなくて、すぐ育ってすぐ食べられる…
もやしや豆苗みたいな承認・愛情の植物を 少しだけ頑張って育てることからはじめてみよう…と。

承認・愛情の種を植え始めた頃に、わたしがやっていたこと

相手に対し『自分という存在はあなたにとって無害ですよ』とアピールするところから始めたことをよく覚えている。

…ちょっと大仰な言い回しだけど、そっくりその旨を人に叫んで回るみたいな話ではなくて…

  • JPTや初心者集会などで雰囲気が合いそうな人に、名刺交換と自分に言い聞かせてフレンドを送ってみる

  • フレプラやフレオンであれば、勇気を出してとにかく飛び込む

  • 挨拶と最低限の身体コミュニケーション(目を合わせる・適度に頷く・変にキョドキョドしたりうろうろしたりしない。逆に硬直もしない)は必須ノルマにするが、無理に会話は広げない。会話は聞くだけ、頷くだけ、片手間に撫でられるだけでもいい。余裕があったら「(任意の概念)って何のことですか?」「ここでよく遊ぶんですか?」ぐらいは聴いてもいい。

  • もうキツイと感じたら「おやすみの挨拶」というテイで、5~10分ぐらいで脱出してもいい

という、そんな時間の繰り返しをよくやっていた。
悪い言い方をすれば、敵地視察のような行動を。

臨床心理士のワークショップなどでも、まずは非言語コミュニケーションが相手と関わる際になにより大事とされている。

引用: https://edupedia.jp/archives/23077

この場合の『非言語コミュニケーション』とは、少し強引に解釈すると、相手にとって自分が『普通で敵意のない人間に見えているかどうかの伝達』全般の行動のことと言えると考えている。
例えば、下記のようなこと。

  • 相手ときちんと目の合う位置に座している

  • 適切なパーソナルスペースが確保できている

  • 場に合った見た目をしている(VRの場合は人型で、日本人馴染みのあるアバター)

  • 投げられた会話に対して、頷き・表情など適切に体が反応する

言い換えれば、これに不足があった時に 人間はつい身構えてしまう。
「この人大丈夫かな…」「この人僕の話聞いてくれなそうだな」と言った不安や「この人なんでこの場にいるのかな」といったいたたまれない空気感を相手に与えてしまう可能性が高くなる。
一度身構えた相手の心を開かせるには、並大抵の労苦ではもう足らなくなってしまう。難しい語彙や長い文章を使ったコミュニケーションの方が高尚に見えてしまうが、実際には意外と、この段階が一番大事だったりするのだ。

自分の場所を広げるために、わたしはとにかくその事だけをまずは繰り返した。
時にイベントで。時にそこで知り合ったイベンターのインスタンスで。時にはそのフレンドのフレンドのインスタンスで…。

それからすぐに…とはいかなかったけれど、ある日相手の方から「こんばんは」「おー! 今日も来てくれたんだね!」「かわいいアバターじゃん! アップロード苦労したでしょ~?」と言った 能動的な会話が少しずつ、少しずつ舞い込むようになってきた。

それを聞くことができたわたしは、頑張りが報われたようでうれしくて…
まだほんの少しの事しか頑張れないけど、次はこの改変を褒めてもらいたいから頑張ろう。次は相手の好きなもので話を1分間だけ広げてみよう。次は別の人にも同じことをしてみよう。そして現実でも、同じように少しだけ頑張ってみよう…  と、最小限だった自分のコミュニケーションの枠を押し広げていくようにして、今の自分を手に入れることができたと思ってる。

結局何が言いたかったんだっけ

そんな感じで、このNoteではVRC内外におけるコミュニケーションや、そこに飢えているハンガーノックの時に わたしが最初に心掛けていたことを整理したりした。
以降のハウツーや出来事みたいなことを詳細に書き始めると永遠に思考整理は終わらないし、そもそもハウツー本を書くみたいなことを目的としてるわけではないので この辺で一度筆をおいてみる。

最期に私見を述べるなら。
「自由になれる心地の良い空間」と言う表現も事実で、でも自発的に動けなければ苦しい場面も多いというのも事実だと わたしは考えている。
なぜならVRCは拡張現実であり、文字通り現実の延長線上のプラットフォームなのだから。

「本当に助けが必要な人は、助けたい見た目をしていない」という冷たい言葉があるように、自分が承認・愛情に対しハンガーノックを起こしていると、綺麗な言葉や伝え方が出てこないため、下手をすると相手は得てして「この人と関わりたくないな…」となってしまうことがある。そうなるとなかなか『心地のいい空間』を自分が掴むことは難しい。それは悲しいけれどやはり、不確かであいまいな人間という存在が関わる以上、否定できない事実だと思う。

それでも、植物にも大きな実を結ぶが育てるのにとても時間がかかる木と、小さいけれどすぐ実を結んですぐ食べられる類の植物があるように。小さく相手と関わって、少しずつ細かく承認・愛情という実を食べられるやり方はきっと誰の中にもあるし…  それを地道に頑張っている貴方の姿を、見ている人は間違いなくいると思う。今のわたしはできる限り、そうしている。
この思考整理のNoteがどれだけ有用かはわからないけれど、過去のわたしと同じように 冷たさを感じている人の助けになってくれればいいなと思う。

実のなる木を求めてここにやってきた貴方に、幸せが訪れますように。
そしていつかあなたに、出会うことができますように。


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