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変遷

思うところあり、今日から日記をつけてみることにした。
日がな一日ベッドに横になってひたすらゆっくり過ごす時間。あれほど憧れていたが、いざこうなると味気ないものだ。唯一どの部屋があてがわれるかだけが心配だったが、幸いとても静かなところで、窓も近くにある。外を見ることができるだけでもずいぶんと気はまぎれるものだ。
私がベッドを離れるころ、日記はどこまで溜まっているだろうか。とりあえず続けて見なければ。
風の冷やかさを感じそうな秋めいた風景をここから眺めながら、ささやかに決意を掲げる。


この日記も、意外と続けることができている。
あいかわらず私はベッドに磔にされる日々を過ごしているが この暮らしにも少しは慣れてきたところだ。『住めば都』というものだろう。
同室者との話は、それまでの私の世界ではあまり聞くことのない 面白いものをよく聞くことができる。

私たちを取り巻く世界は自身の象徴であり、"私"が世界から消えてしまうと、残る世界のあらゆるものがただ漂流する概念となり下がってしまう。
人間のほとんどが死を怖がるのは その象徴を認識できなくなってしまうからだ...と。最近はそんな果てのないことを論じていた。
西洋哲学めいた話は好みではなかったのだが、食いついてしまうのは場所のせいだろうか───
それとも、寒さと雪景色が気持ちを暗くしているだけなのだろうか───


日々は相も変わらず、流れるように過ぎ去っていく。私の精神ごと、まるで時間という激流に連れ去っていくようだ。
日記... はつけていない。 つけることができなくなった。
それでもかろうじて景色をみることはできる...が、ここしばらくは雪景色ばかりでつまらない。
このまま 私も真っ白になってしまうのだろうか。
恐怖する気力もなく、今日も日々に流されていく。



喜ばしいことができた。長く磔にされる生活が続いていたが、ようやく解放される運びとなったのだ。
慣れ親しんだここを離れるのは悲しいが、これでやっと違う景色を見ることができる。
しばらくして訪れた私は迎えの車に乗り、しばし移り行く眺めを楽しむことにした。
気づけばもう春。風に揺れる桜。新緑。子供たちの列。雲。太陽。まぶしい。まぶしい景色だった...


最後の"窓"の景色はあまりに狭く、とても満足とはいえないものだった。
でもそれでもいい。私の人生を振り返るかのごとく。これまで懇意にしてきた友人・仕事仲間、そして家族たち...
その顔を見ることだけは叶ったのだから。
別れを告げて見るものは、いったいどんな業火なのだろうか?
象徴が消えるまでの間に せいぜい楽しんでみるとしよう。

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