上手な素人と下手なプロほどつまらないものはない
世界でも希少な「ベーゼンドルファー」のピアノがある小西健二音楽堂に初めて行ったのは今年の2月。しばらく行く機会はないのかもと思っていたら…。はやくも2回目の機会がやってきました。
連休最後の土日で、再び東川町の小西健二音楽堂で歌のレッスンと、音楽の癒しを体験してきました。
上手い下手は誰が決めるの?
今回の歌のレッスンでは、人が本気で何かを伝えたいと思って伝えたら、心が動く人もいるということを体感。テクニックも大事かもしれないけれど、それ以上に伝えようとする想いが大事なんだと実感できたのです。これはすごい気づきだと思いました。
参加者は前回と違い、私を含めて二人。どちらかというと、「歌は得意じゃない」と思っていることが共通しています。
音程がうまくとれない、声が出ないetc
その気持ちが歌にも表れてしまうところも似ているなと…
でも、歌の先生はそんな私たちにも、「できるよ」と励ましてくれて、歌いたい歌、これは合うんじゃないかなと思う歌を提案してくれます。
私の場合、3回発表会にでて、最初はジブリの「愛は花、君はその種」だったんですが…そのあとはレ・ミゼラブルの「オン・マイ・オウン」、ミスサイゴンの「命あげよう」とミュージカル曲を歌ってきました。私が歌うなんてと思いつつ、挑戦してみたことはとても貴重です。
挑戦したんだと思っても、やっぱり下手だなぁと自分から自信をなくすような声掛けを自分にしてしまいがちです。
今回、別の人がレッスンをしているところを聞かせてもらっていて、45分くらいの間に、心が伝わる歌に変わっていく瞬間に立ち会うことができました。最初「声がでない」「表現してみたいけどできない」という感じでした。練習した歌はエリザベートの「私だけに」で、エリザベートが本気で「いやだ」と言っている気持ちをどんな形でもいいから表現することに挑戦していました。冒頭の「いやよ」だけでも、どんなに嫌なのか、ただ嫌なのか、心の底から嫌なのかで、身体に出るものが違います。リズムをつけずに歌詞を言ったり、ピアノの伴奏を聞いて感情を味わったり、ただ歌うのではなく、好きなように動いてみたり。練習はどんどん進みます。そして、歌っている本人が、こんなに嫌だったんだと気づいたとき、歌ががらっと変わりました。
そのとき、私は歌っている姿を撮影したのですが、スマホの画面を見ながら涙が出てきました。その人なりの解釈でエリザベートの決意か伝わってきたからです。感動的なシーンでした。
「上手い下手は誰が決めるの。」「技術を追うのはプロに任せればいい。私たちは自分だけの表現を追い求めるんだよ」という先生の言葉が印象的でした。
彼女のレッスンで心が揺さぶられた私は、自分のレッスンで歌が変わったと言ってもらえました。
身体からあふれてくる想いを止めない
次の発表会では、私はアナスタシアの「ワンスアポンアディセンバー」を歌います。この曲は途中の24小節の間奏が入り、そこで私は踊ることにしています。振り付けは自分でするので、挑戦だなぁと思っていました。
ちょうど、コンテンポラリーダンスで8分の6拍子のノクターンを踊ったので、その振り付けを土台に作ることにしています。ちゃんとできるかなぁと思っていたのですが…。やっぱりちゃんとという気持ちが強くて、踊りに気を取られて、歌い終りと歌い始めが雑だとか、気づきがあります。それを直さなきゃと想いが強いと、やっぱり力が入ってしまい…ふぅ。
それよりも、記憶を失ったアナスタシアが、ここはどこか、自分は誰なのか、何か心が動き始めたときの気持ちを本気で感じて表現しようとしたときに、いいパフォーマンスができるんですね。
そのときに身体からあふれてくるものは、きっと本物の気持ちなのでしょう。「身体にすべて任せておけばいい」という先生の言葉がわかったと思いました。でも、難しいときがいっぱいあるなぁ。
参加者が少なかったので、歌のレッスンもじっくりでき、話す時間もありました。「テクニックだけが優れているより、表現する力があった方が、あとあと苦労しないのよ」とダンスの先生が言っていたことにも通じるのかな。
何かうまく表現できないのですが、心の中で深まったものがあると感じた音楽リトリートでした。
今までも楽しんでやってきましたが、ちょっと苦しくなることもあったパフォーマンス。苦しさはなくならないかもしれないけれど、もっと楽しくなったと思う2日間の体験でした。