#8 あれは愛情不足だった、と今になって気付く
息子がお腹にいる時、性別が男の子だと分かって少しホッとした部分もあった。
それは、私のような女の子が産まれると大変だろうな、と思ったからだ。
それくらい、幼少期の私は大人にとってとても扱いにくく、大変で、手のかかる子だったと記憶している。
それは私の生まれ持った性格のせいだと、ずっと思っていた。
27歳の今までずっと。
でも、おそらく性格だけの問題ではなく、そこに愛情不足という問題が入り込んでいたことに気付く。まさに今日。
両親や兄弟から愛情を貰っていなかったわけではない。
むしろ4兄妹の末っ子としてとても大事にしてもらっていた。
ただ、忙しかったのだ。忙しすぎたのだ、両親が。
父は理学療法士として、母は小学校教諭として、二人とも朝早くから夜遅くまで働いていた。
私の保育園の送り迎えはいつも祖父だった。
祖父も働いていたため、推定でいうと朝は8時前後~夕方17時前後まで保育園に預けられていたのではないだろうか。あくまで私の予想だが。
幼い頃の私の記憶は以下の通り。
・家にいたいのに起きたらすぐまた用意して保育園に行かなきゃいけない
・もっとお母さんと遊びたいのに
・朝起きたらお母さんはいないか、すぐに見送るような状態
・両親がバタバタと仕事に行く前に祖父母が来てくれて保育園へ
・保育園にいても怒られることが多くてつまんない
書こうと思えばいくらでも出てくるほどだ。
とにかく幼い私には不満がたくさんあったなと、今になって気付く。
その不満はどこへ向かうかというと、一日のほとんどを過ごしている保育園での悪行にだ。
先生を困らせてやろうとか、わざと悪いことをしよう、という気は全くなかった。
ただただ、悪友と楽しそうなことをしてたら怒られる、というような具合である。自分で書きながら自分に呆れてしまう部分はある。
でも、そんな一つでも楽しさを見出すことでしか埋められないものがあったんだろう。
どんな悪行をしていたかというと・・・
・先生から追いかけられているのに「足が止まらないのよ!」と言って逃げ回る
・卒園アルバムを置いている部屋をたまたま発見してしまい、悪友とこっそり見ているのが見つかり叱られる
・ほかに考え事をしており、全体での先生の話を全く聞けずに全体の前で注意される
・苦手な給食をバレないようにティッシュで包んで隠しているのが見つかり怒られる
保育園での日々を思い返すと、楽しかった思い出ももちろんあるが、それよりも先に「困ったような先生の表情」「呆れたような先生の表情」が思い出される。それくらいハッキリと、幼いながらに辛かったことや悲しかったことを記憶している。
それと同時に、「優しかった先生の表情や笑顔」「いつもにこやかに接してくれた先生の表情」「いつも丁寧に話を聞いてくれた先生の姿」「母に向かって私のことを褒めてくれた先生の言葉・表情」なども覚えている。すごくキラキラした、温かい思い出として強く残っている。
だから私は、そんな「温かい思い出を残せる先生」になりたいと思った。
そして保育士になった。
不思議なものだ。
あれだけ嫌いだった保育園なのに、そこで働く先生を目指し、きつい実習や書き物を乗り越え、先生になったのだ。
そして毎日反省するのだ。
「もっと素敵な声掛けや言い回しができたらいいな」
「もっと子どもたちが楽しめるようにできたらいいな」
「あの声掛けは違うかったんじゃないかな」
「その子のため、を思ってちゃんと動けているかな」
「明日からはもっとこうしてみよう」
などなど。
とても未熟な私だが、この反省を毎日繰り返しながらなんとかここまで続けてきている。
もちろんそこには、仕事面でも精神的な面でも支えてくれている上司・同僚がいてくれてのこと。
感謝が尽きない。
私は結局、この仕事が好きなんだな、と思った。
自信はないけど、誇りなんだな、と。
自分は今までよく頑張ってきたね。
そう初めて素直に思えた日であった。
そして思うのだ。
あの頃、言葉にはできなかったけれど、悪行や遠回しな表現でしか伝えられなかったけれど、確かに感じていたはずの寂しさ。それを我が子に同じ思いをさせてたまるものかと。
あの頃の自分が気づけていなった気持ちを、今の私が代弁する。
「お母さんともっと一緒に遊びたかったよ」
「毎日夜に必ず絵本を読んでくれる時間が大好きだったよ」
「お母さんに抱っこされて眠るのが幸せだったよ」
「もっと、可愛いって言ってほしかったよ」
「人前で褒められた時に謙遜してけなさずに一緒に褒めてほしかったよ」
「頑張ってるところをもっともっと褒めてほしかったよ」
「もっと相手してほしかったよ」
父も母も、とてつもなく忙しい中で精いっぱいのことをしてくれていた。
愛情はたくさん受け取っている。
ただ、幼い頃の私には、どうしても足りない部分があったんだと思う。
息子の「もっと一緒に遊ぼう」は、心からの声だ。
テレビやスマホをたまに見ながらではなくて。
私が保育士として仕事している時みたいに、きっとそんな風に、しっかりと向き合って遊んでほしいんだ。
これでも精いっぱい、たくさん遊んでるつもりなんだけどね。
でも息子には足りない。じゃあ頑張るしかない。だって世界一大切な我が子なんだから。