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「ムーラン」(実写版)真の強さとは、内なる声と繋がり続けることだ

ディズニープラスで配信中の映画

ムーラン」(実写)を観ました。

今はもう見放題のコンテンツなので
僕は無料で見ました。

発表当時、劇場公開がなくなり

ディズニープラス会員が
特別料金を払った場合のみ鑑賞できた

考慮すると、
ここは正直僕は否定的意見を持ちました。

値段も3000円近く、
より臨場感のある劇場環境でないことを考えれば割高です。

ですが僕は消費者としてではなく

作品の思考と対話してできた世界観をシェアしたい
と思って映画を観ているので
そういう値段と釣り合かとかの目線は抜きにして

作品そのものから感じ取ったこと
にフォーカスしていきます。


マーケッター視点から「ムーラン」をどういうフレームワークで見たのか

そんなことをちりばめながら鑑賞を振り返っていきます。


感想:幸福に自己追及することの難しさ

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結論から言うと、テーマがとても好きだった。

アニメ版から変わったところが
設定、表現ともにたくさんありましたが

一番驚いたのは

想像していたテイストとかなり違って
ディズニープリンセスのロマンスの要素ほぼ一切なく
一人の人間の成長物語を描いていたこと。

キャラクターの心理描写にもっとも重きを置いていたように思います。
ディズニーのエンタメ性やロマンスを削ぎ落して
ムーランという人物にフォーカスしていたという感じ。

リアリティドラマとしての表現がもっとも重視されていた。

題材は同じでもアニメ版のムーランとは別作品
と思っていいと思います。


作品のテーマ

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この作品から僕が感じ取った主軸テーマを一言で表現ならば

「勇気を持ち、ありのままの自分を偽らずに国や社会に誠実に貢献すること」

でした。


社会からガチガチに定義された

「女性はこうあるべきで、こう社会に寄与するべき」
という制約が最初にガンと提示され
界観が規定されます。


心の中ではそれに抗う
ムーランの成長を通じて

「本当の自分を偽らずに社会に貢献できる人生」を勝ち取る

までの過程が描かれます。


「勇気を持ち、ありのままの自分を偽らずに国や社会に誠実に貢献すること」

このテーマ自体は
アニメ版と大きくは変わらないですが

個人的にはその表現方法としては
実写版の方が僕は良く描かれていたと感じました。


言い換えれば、

「現代を生きる自分が観るコンテンツとしてより引っかかりが少ない」
という感想の方が正しいかもしれません。

ムーランはいわゆる
「女性はこうあるべき」
から外れまくっていろいろ問題が起きます。

こういった
一般常識のレールから外れた生き方をする人」
を村八分にする
日本の文化への違和感が強い僕は

このテーマ設定の映画はオープニングからガツンときます。


プペルはもっと直接的に攻撃に遭うことで
このテーマに緊急性を加えていますが

ムーランの場合は冒頭の起こしで
じわじわとアイデンティティ問題と対峙する。

ムーランは内なる声を黙認し続けた結果
アイデンティティを失いかけてしまいます。

戦士として自分と向き合い
成果を上げていくことで
自分を取り戻していきます。


あらすじとシーンの重要どころ(ネタバレ)

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僕から見えた物語の構成と
それぞれのシーンで見えてきた景色です。

ネタバレになります。

構成を抽象化してから分割してみることが出来ると
ビジネスやあらゆることの全体像を捉える力が飛躍的にアップする
のでオススメです。

愛する人を守るため、私は闘う。本当の自分を隠して──『美女と野獣』『アラジン』などの実写映画化を次々と成功させてきたディズニーの新たなる挑戦──それは、ディズニー・アニメーションの傑作『ムーラン』の主人公として全世界で愛されてきた少女ムーランの物語を、空前のスケールで実写映画化する渾身の映像プロジェクト。愛する父の身代わりとなり、男性と偽って兵士となった彼女を待ち受ける運命とは…?感動のドラマとスペクタクルな戦闘シーンが織りなす、かつて誰も観たことの無いファンタジー・アドベンチャーが誕生する。
国家の命運をかけた戦いを前に、すべての家族から男性を一人、兵士として差しだす命令が下る。ファ家のひとり娘、ムーランは、家族で唯一の男性である病気の父親を守るため、男性と偽って戦地へ赴く。ファ家の守り神で、ちょっと風変わりな“不死鳥”に見守られながら、やがてムーランは戦士としての才能を開花させていくが…。
上官や仲間たちとの友情の絆や、敵軍に仕える美しき“魔女”との宿命の出会い…明日の命も知れぬ闘いの果てに、ムーランを待ち受ける運命とは? そして、“本当の自分”と“偽りの自分”の間で葛藤する彼女が、最後に下す決断とは…?
(公式サイトより引用)


【1.ムーランの日常】

古代中国の小さな村。
エネルギッシュで活発な少女ムーラン。
あまりに活発で問題児扱い。
家族は周りからの目を気にして生きにくい。

ムーランはそんな境遇で日々を生きています。

ムーランは内なる声に敏感で、「」を持っています。
本来は彼女の素晴らしい才能ですが、ムーランのお父さんは

「気は戦士のもので女にはふさわしくない。お前もじきに年頃だ。内なる声を黙認させろ。お前のためだ。お前の務めは家に名誉をもたらすことだ。」

と彼女に強い価値観の矯正を試みます。
社会に受け入れられて生きるための現実的な忠告です。

ここでオープニングロゴが出ます。

プロローグで強調された「内なる声を黙認させること」。
父の忠告のシーンのあとに作品のロゴが出ることで、

作品中にムーランが向き合う問題が何なのか
明確に突きつけられます。

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【2.物語のきっかけ】

ムーランはお見合い訓練へ。
お見合い訓練でもムーランの行動は社会が求める行動を取れない。

恥さらし」と言われ、家族の望む結果を得られません。

家族、村、国。

ムーランの属するあらゆるコミュニティとの関係が上手くいっていません。ムーランはさらに社会の中でアイデンティティを保つことが困難になっています。

そんな時に、
国に部族の襲撃という大きな危機が迫っており、
国を守るための戦争要員の召集が皇帝から来ます。

敵のリーダー(ボーリー=カーン)は
父を皇帝に殺され、強い復讐心を抱き、
強力な気の力を持つ魔女を従えて国を襲撃し続けています。

各家から男子を一人ずつ出せ、という役人の御触れ。

しかしムーランのファ家唯一の男子である父は
前の戦争で足を負傷し杖なしで歩けません。

ムーランは、
戦争に行けば間違いなく命を落とす父親の代わりに
武具を盗み訓練場へ赴くことを決意
します。


ここから「戦士ムーランの物語」が始まります。


自分を見失い
本当の自分が表現できずに苦しむ少女が、
戦士となり役割を果たすために奮闘する成長物語

となっていきます。


【3.訓練場での生活】

ムーランは現地では常に自分を偽らなければなりません

これまでの、「自分らしく生きられない」
とかそういうレベルではなく、
本当に偽らなければなりません。

男性のコミュニティである軍隊に
「女性が男のフリをして参加している」
という嘘がバレたら追放刑に値するからです。

仲間との雑談のシーンでも
真実や内なる声とは縁もない
薄い関係性の会話しか出来ない
様子が描写されます。

ムーランが本当の自分を
深いレベルで表現できる瞬間が
一秒たりともありません。

村と同じく、ムーランは訓練場でも
内なる声を抑圧され、孤独を感じています

同僚の青年ホンフイだけは
真実レベルで会話ができる予感を
感じさせます。


【4.自己の開花】

ムーランは徐々に訓練で自らが持つ「気」の才能で頭角を現します。

冒頭から一貫して抑圧された
ムーランの持つ輝き
が花開いていくことで
一気に盛り上がっていきます。

一方で同僚や士官に才能を認められるが、
そうなればなるほど「女性である」という本当の自分を
表現できず隠さねばならない葛藤も大きくなっていきます。

浴場でも身体を隠すためホンフイを無視することしか出来ず
本当の自分を表現して心を開けない時間が続きます。

そんな中、ムーランの「気」はどんどん高まっていく。

『内なる声』に近づいていき、
森のように静かに炎を燃やし、
強い戦士という一つ目の自分を手に入れ、
戦士として戦いの準備を整えていく。

自分の天武に誠実に生き、
成長するムーランの生き方
は、
仲間の信頼にもつながっていきます。

訓練はムーランに次のステージの景色を見せ、
「気を解放すること」で「内なる声」
と統合されていきます。

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ただ、士官に
「自分は本当は何者なのか」
を告白しようとするシーンがあります。

彼女は訓練で統合すればするほど
社会に対して打ち出している自分
とのギャップ
への葛藤を深め

訓練で自分が高まっていけば行くほど本当の自分を表現出来ない

この違和感を振り子のように
往復するようになっていきます。


【5.追放と選択】

戦争になりムーランは逃げた敵を追いかけた末に
敵のリーダー・カーンの部下の魔女と対面し闘います。

戦闘力で勝る魔女は
「自分を偽ったまま死ね」
と言い捨てムーランにトドメを刺すが、
ムーランは胸に巻いたさらしに守られ生き延びました。

ここでムーランは強い直感でアイデンティティに目覚め
身分を偽らずに女性の姿で味方を救いに行き、
戦いで命を落としかけた仲間を救いました

本来のムーランの姿で戦場に戻り
仲間の命を救った結果、
ルールの通り
追放
という形で自分の居場所を失うムーラン。

ここが最も物語の悲しみが強まるどん底です。

ムーランは深刻な孤独と対面します。
ムーランは父親を救うために軍隊に行き、
みんなを救うために本当の姿で戦いました。

誠実に訓練に励み、
内なる声とつながり統合した末に飛び出してきた
本当の自分
ありのままの自分で才能を発揮することが、
彼女にとって
どれだけ光り輝く瞬間だったでしょうか。

しかし、
大切な人を守り続けた結果
追放される
のです。

人生の居場所を失い
孤独を極める
のです。

ムーランが追放され一人で泣いているところに魔女が現れ
ムーランは敵の本当の狙いに軍隊が気づいておらず、
皇帝のいる王都に危機が迫っていることを知ります。

魔女は、

「あなたも同じだ。私と居場所を見つけよう。」

と提案をします。

魔女もムーランと同じく
居場所と仲間に飢える一人の女性なのでした。

ムーランは

「私にはあなたとは違い、皇帝に尽くし守るという居場所がある」

と伝え、自らの居場所を自ら選択し魔女の提案を退けます


【6.本当の団結】

魔女から敵の本当の狙いを聞き
追放された軍隊の仲間の元に戻り
「王都を救いに行こう」と訴えるムーランに、

「彼女は命を懸けて自分をさらけ出した。他の男よりも勇敢だ。僕は彼女を信頼する」
と仲間たちがムーランに共鳴し、味方をします。

心の深い部分を見つめてくれた同僚のホンフイが最初に味方をしてくれました。

司令官も
「嘘はついたが忠誠と勇気は本物だ」
とムーランを受け入れ、
都を救いに行きます。


【7.最後の戦いと報酬】

救いに行った皇帝の席には魔女がおり、
再びムーランと魔女は議論します。

「あなたにも居場所はある」
と言葉をかけたムーランのために、
魔女はハヤブサに姿を変え
皇帝の居場所を教え連れて行く。

魔女に着いていき敵のトップと対峙できたが、
魔女はムーランの身代わりになって死にます。

その後決闘でムーランが皇帝と協力し勝利を収めます。
英雄として讃えられ、皇帝から上級職を任命され社会的に認められます

しかし

家族に尽くすこと
を第一義としたムーランはそれを断り故郷へ帰還します。

名誉よりも自分が大切にするもの
向き合い続けたムーランがした選択です。


【8.ムーランの新たな日常】

家族との再会を果たし、
父は自分の面子のために「ありのままの娘」を
尊重出来なかったことを詫び、親子の絆を再確認します。

ムーランはようやく
本当の居場所を手にしました。

新たな暮らしの予感を感じさせたところに、


王からもう一度職のオファーと剣のギフト。
そこには「」(親孝行の意味)の字が加えられ、

ムーランが

本当の自分のままで社会に貢献し生きていく未来
本来の姿のまま生きていることが家族の誇りとなる日常

を勝ち取って物語が終了します。


物語を貫いたムーランとシェンニャン(魔女)のコントラスト

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アニメ版と大きく違う設定が魔女の存在です。
この映画の大きなキーワードとなる設定変更になります。

魔女はボーリー=カーン(敵軍のリーダー)に仕えています。
魔女はもともと強力な気を持っており
その能力は超人的でした。

その力ゆえに恐れられ、社会から追放され居場所を持ちません

魔女が恐れられない場所
ありのまま、受け入れてくれる場所
を求める魔女。

カーンは魔女に「居場所を求める野良犬」と言い放ち、
復讐のための奴隷として彼女を利用することしか考えていません。

そんな背景から、

ムーランと共通する
生きづらさ、居場所のない孤独
を埋められるものをずっと探し求めている
そんな人間らしい敵役だと感じました。

【1.ムーランと魔女の生き方の違い】

ムーランが重要な選択を迫られる場面で

必ずシェンニャンが登場し
「私と一緒に強い力を手にして生きよう」
とオファーしますが、ムーランはそれを受け入れません。


「力」で相手に依存し、コントロールしようとするシェンニャン
「内なる声」に従い自らのアイデンティティを選び取っていくムーラン


孤独」に対峙したときに出る本質。


気を「利用する」のか
気と「繋がる」のか

物語の中盤で

万物には気が宿っている
誰もが気を持っている
だが最も誠実な者だけが気と深い繋がりを持つことが出来、勇敢な戦士になれる
森のように静かに炎を燃やせ

というナレーションが入ります。
とてもパワーのある力強い言葉です。

物語の後半を貫くテーマを設定するようなシーンでしたが、
シェンニャンとムーランの運命を大きく分けたのは

人生における内なる声、気との関わり方だった
ということをこの映画の作者は言いたかったのでしょうか。


【2.ムーランにあって魔女になかったもの】

自分を愛し、祈りを捧げてくれる家族
の存在があったかどうかが2人の大きな違いでした。

ムーランが武器を盗んで訓練場に向かったと判明したとき
ムーランの父は、彼女の無事を願いご先祖様に祈りを捧げます。

ムーラン自身も
道に迷った時に1つしかないリンゴを馬に食べさせてあげます。

ムーランの家族には、
自分よりも身近にいる愛する人や動物を尊重する
心があります。

それに対して

魔女は、カーンに「居場所クレクレ」ってしてるし
カーンも魔女に「お前は奴隷だ。お前の力をクレクレ」ってしてます。

奪い合う社会を生きているのです。



そんな2人の違いを象徴したのが「」の描写。

ムーランを導く「不死鳥
魔女が変身する「ハヤブサ

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アニメ版では不死鳥にあたるのは
家の守り神の赤いドラゴン「ムーシュー」というキャラクターで

ジーニーとかオラフみたいにお茶目に場をかき回すんですけど
これがいかにもディズニーという愛らしい味を出していました。
実写版のムードのドラマでは間違いなく成立しません(笑)

しかし、不死鳥がご先祖様を象徴し、
ムーランを守り導く生き物
であったことは変わりません。


家族の愛がなく復讐の為に利用され、
孤独を埋める為に力を利用しようとする魔女
家族を守る為に行動し、
自らの意志で力と繋がっていくムーラン


僕は後者でありたいですね。

力を利用しようとして不幸になったこともあります。
自分を統合して幸福になったこともあります。

だからこそ
常に後者であることを選択できるように
自分を高めていなければならないと感じます。

ちなみに魔女はめちゃくちゃかわいそうだと思います。
魔女を責めることは出来ません。
彼女みたいな人が生まれる社会が悪いと思います。

そりゃ生まれ持った自分の能力を
「変だから」って仲間外れにされて

唯一関わる人が自分を利用すること
しか考えていなかったら人が怖いし
「居場所クレクレ」ってなると思うんです。

彼女の悲しみを、
彼女自身が悪いって、
思わなくていい世界のほうがいい
です。

魔女みたいな思いをする人が生まれてしまう問題をなくすサービス
誰かの人生をムーランのように輝かせるサポートができるサービス

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そんなサービスを産み出して
一緒に幸せになっていくために
僕は色んなことを勉強してビジネスをしているんだ

って思っています。


アニメ版と比較した考察

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(画像はDTIMES.JPより引用)

僕が最も違いが激しいなと思ったのは上述の通り魔女の存在です。
あとはミュージカルではなくなったことですね。

今回の筋をミュージカルで表現することもできたはずですが
それはなされませんでした。

人物の心理描写」にかなり振り切った結果
アニメ版ミュージカルのスピード感がなくなった
感じでした。

その分ムーランの描写の深さは
僕は個人的には効果的に増したと思いました。

訓練の描写とか、アニメは

全部ミュージカルナンバーにして
面白おかしく愛おしい訓練風景を観ていたら
人物たちが超パワーアップしたいた
って感じだったんですよね(笑)

これはもうディズニーの超得意なエンタメ表現って感じで。

あと、「リフレクション」はやっぱり超絶名曲で


アニメではお見合いに失敗して自分を失いかけた時に歌いますが

この曲の最後の歌詞

When will my reflection show who I am inside?
(私はいつ自分の内なる声を、自分の姿に映せるのだろうか)

実写版でムーランが自分と向き合い続け
訓練をやり遂げて山頂から景色を見た時
この「リフレクション」のBGMが壮大に流れるんですよね。

When will my reflection show who I am inside?
のアンサーの象徴だったのではないかと思います。


僕が美しいと感じた描写

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冒頭の方にある
ムーランが馬に乗り草原を駆け抜ける美しいシーンです。

これが本当のムーランの姿なんだと。

こうしていたいだけなのにと。
社会はそうさせてくれない。

そんな多様性への制約と挟量
たくさん描かれるからこそ

ムーランが無心で乗馬を楽しむ美しいシーン
後から何度も脳にフラッシュバックしてくるんですね。

それと、ムーランが訓練に真摯に向き合って
修行中に山の頂上についたものだけが達する景色

リフレクションのBGMと共に。
僕はあそこが一番エモかったです。

彼女がずっと抑え込まれていた
内なる声を我慢して我慢して
でもずっと心のどこかにあって

そして山頂にたどり着いたとき
これが彼女の本当の姿だ」と。

万物には気が宿っている。誰もが気を持っている。
だが最も誠実な者だけが気と深い繋がりを持つことが出来、勇敢な戦士になれる。
森のように静かに炎を燃やせ。

色んな表現があると思いますが、
人間はやっぱりこういうゾーンに触れているとき
もっとも美しく輝くと思っているんですね。

「伝統を重んじ、内なる声を黙認させろ」
「お前の務めは家に名誉をもたらすことだ」
と一番愛する父親から言われ
抑圧を感じていた彼女が

本当の自分と繋がったこの瞬間

このシーンが一番美しい描写だったなと思います。


勝ち取らなければ「自分らしい生き方」がなかったことの問題

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この作品の筋自体が

「ムーランが自分を偽らず、自分らしく生きられる人生を勝ち取るまでの過程」
を描いたものですが、

ありのままの自分を認めてもらえない
こういった生き方に関する自由

本来勝ち取る必要のない当然の権利を
「勝ち取らなければ」
ムーランには選択の自由はなかったということ。

そういう大元の問題に目が行きました。
なんだかこれじゃあムーランみたいに
皇帝の命の恩人にならなかった人は
ありのまま生きることが許されない
みたいだなあと。

この問題は
心理学的に元をたどれば

人間はコミュニティから歓迎されなければ幸福になれない
という点が最も大きいんです。

だからこそ
コミュニティに幸福に存在しながら
「やりたいこと」
をして生きていく

そして

ありのままの自分でやりたい事が出来る、いい状態の自分
でそれを表現していく

残念ながら多くの人は
やりたくないことのために
多くの時間を使いエネルギーを消耗して
います。

ありのままの自分でやりたい事が出来る、いい状態の自分

そんな自分になって
やりたいことをやって、
コミュニティに幸福に存在する

には「」が必要なんですね。

僕はそれを「難しい」とは思いません。

でも、
正しくそれを実践できる方法と出会える「」は必要だったなって。

そんな実現法を発信していくことが自分の使命だと思っています。

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