「自己紹介・建設業の就活・転職相談を始めたキッカケ紹介」
はじめに
はじめまして、ゼネコン現場監督の亀井と申します。本業の傍ら、建設業に就職・転職する方のサポートや相談を行っています。
建設業は3K(きつい・きたない・危険)と呼ばれ、大変な職業ではありますが、実際に自分の目の前で建物が出来上がっていき、自分が建設に携わった建物が地図や街に残るのが見れるというやりがいのある仕事でもあります。本日は自己紹介を兼ねて、これまでの僕の仕事の経歴と建設業の就活・転職相談を始めたキッカケを紹介したいと思います。
設計士にあこがれていた大学時代
大学は埼玉の東大宮にある芝浦工業大学の建築学科に進学しました。もともと図工とか工作が大好きだった私は、高校卒業時に機械学科か建築学科か迷ったのですが、どちらかというと大学のキャンパスで図面ケースを持っている建築学科の学生にあこがれて建築学科を志望しました。それが建築との出会いでした。大学時代は設計・製図が好きで、仕事でも設計がしたいと思っていました。
就職活動を経て、スーパーゼネコンに就職
授業では設計の仕事が好きだったので、就職も設計士を目指そうかと考えていたのですが、大学3年生位の時に先輩のお手伝いで、設計事務所のバイトをしたときに、一日中キャド図面の作業や模型の制作の手伝いを行い、どうも一日中デスクに向かって黙々と作業をする仕事が自分に向いていない(バイト中に眠くて寝ちゃうし…)ことに気が付き、人と話しながら、外で仕事をするゼネコンの施工管理が向いていると思い、就職活動を経てスーパーゼネコン(ゼネコンの中でも大手の5社)に就職することが決まりました。
いきなり超突貫現場に配属となった新入社員時代【1~2年次】
新入社員として初めて配属になった現場というのが、当時私たちの会社で1番・2番を争う超突貫現場でした。私はその突貫現場で、コンクリート担当として朝から晩までコンクリートの打設の管理を行う仕事をしていました。毎日毎日ひたすらコンクリートの手配と工事の立ち合いをして、現場で職人や先輩から言われる仕事をひたすら処理するという毎日を過ごしていました。朝は6時起きで7時に現場に到着し、帰りは夜12時の終電で家に帰っていたので、毎日体力的にかなりきつかったです。今でも覚えてますが、真冬の夜中にコンクリートを打っていて、あまりに疲れていたのか、現場のゴミ置き場で寝てしまっていたのを先輩に叩き起こされたことがあります。それくらい滅茶苦茶な現場で、当時の私は「えらい業界に来てしまったな・・」と思っていました。
静岡の名物所長の下でしごかれ成長、一級国家資格取得【2~5年次】
次に配属になったのは、静岡の現場でべらんめぇ口調で職人や社員に絡みだすという名物所長の現場でした。その所長は現場の叩き上げで仕事は出来るし、記憶力がよく、頭も切れる方でした。ただやはり噂通り現場ではよく職人や社員に、怒鳴り散らしていたのを覚えています。ただ私は割とその所長から好まれていたため(※もちろん私も相当怒られましたが・・)、その所長の元現場の仕事について色々と勉強することが出来ました。特に建設業では「どうやって人を動かすか?」ということが大事だということを教わりました。ここでの経験がこの後の仕事の基礎力となったので、今思うとその名物所長に感謝しております。またこの時、所長から毎日のように「資格を取れ、資格のない奴は現場監督じゃなく一般人だ!」と言われていたので、この時に、建設業の国家資格の最高峰と言われる一級建築士と一級施工管理技士を同時取得しました。こちらも今思えば所長のおかげだったのかもしれません。
初めての一人現場を経験【5年~6年次】
静岡の現場を終え、次いで配属になったのは蛯名の公衆便所の現場で、初めて一人で現場を担当することになった現場です。コンクリート打ち放し仕上げの公衆便所だったのですが、役所の工事だったこと、また初めての一人現場だったということで「絶対に工期を守る・事故を起こさない」ということを胸に秘め工事を行いました。何とか無事に後期通り役所の検査を終え、引き渡しを行うことが出来たのですが、自分で引いた工程表で建物が出来上がっていき、工事が完成した時に、初めて「建設業」って面白いと思えた瞬間でした。
横浜の現場で300億円の大現場を経験【7年~11年次】
続いて横浜で勤務することになったのですが、そこで初めて300憶円の大現場を経験しました。横浜の新しいランドマークとなる超高級ホテルの現場でした。これだけの規模になると現場のスタッフの数も増え、現場の職人も最盛期だと1000人を超える規模となります。その現場で私は工事課長として現場の初期から計画に参画し現場工程・施工計画などを担当しました。隣がすぐ海という特殊な環境化での工事や、非常に特殊なビル形状の外装工事、海外からの内装材をふんだんに使った内装工事など、工事の難易度は非常に高かったですが、その分やりがいのある仕事を担当することが出来ました。
➡今ココ【11年~14年次】初めての海外(中国)現場を経験
国内の現場を11年ほど経験して、かねてより興味のあった海外の現場の希望を出し中国に移住する事が決まりました。海外と言えば、英語圏を想像していたので最初は「中国」と聞いてガッカリしてしまったのですが、いざ中国に来てみると、想像をはるかに超えて急速に発展している国と、ガッツのある中国人との仕事は、毎日新しい刺激があり、来れてよかったと思っています。中国語も大分理解できるようになってきて、仕事上も中国語でやり取りを行っているのですが、面白かったのが、日本で覚えた建築の知識は中国でも通用する事でした。言葉ではやはり彼らに完璧に理解してもらうことは難しいのですが、スケッチや図面で指示をすれば「あ~っそういうことね!」という風に理解してくれるので、なるべく紙に書いたスケッチを元に指示をするようにしています。
建設業の就職・転職相談を初めたキッカケ
先日、会社の同僚(同じ芝浦工大)から、就活中の大学の後輩(女性)が話を聞きたがっているので相談に乗ってくれないか?という話を聞き、彼女の相談に乗ったのですが、仕事の内容や将来の夢についてや、将来は海外で働いてみたい等、とても興味を持って話を聞いてくれました。その時に思ったのですが、僕も就職活動をしているときは、実際に会社で働いている人からその仕事の内容や就職に関するアドバイス等をしてもらったことを思い出し、私も同じように就職活動や転職活動で建設業を志望する人に仕事内容を伝えたり、就職や転職のアドバイスをすることは出来るなと考える様になったのですが、それが、私が建設業の就活・転職相談を始めたキッカケです。
まとめ
最後まで文章を読んでいただきどうもありがとうございます。今回は初めて私のページを見に来てくれた人に、私の過去の経歴となぜ就活・転職相談を始めたのかというキッカケについて簡単に紹介させていただきました。建設業は確かに大変なところもありますが、魅力のある部分も沢山ありますので、ゼネコンの仕事内容について詳しくしりたい方や、就職・転職について相談がある方は、是非お気軽にご連絡下さいね。精一杯対応させて頂きます。
亀井洋一路