【小説】 相談屋 episode0 (2/2)
町田可子。17歳女性。それ以外に私をあらわす言葉は見つからないです。そのことこそが私そのものをあらわしているといっても間違いではないと思います。
これまでの17年間、趣味という趣味がなくて、人や物事に対して興味もあまりなかった。でもかといって、人見知りというわけではなく、他人に対しては程良く話しができていたし、きっとそれなりに取り繕うことができていました。自分で思うことではないと思うんですが、対人関係に対してはそれなりに器用に生きていた方だと思います。
それにしても、ここまで、なんというか、卑屈な性格になってしまったのは何故なのか、自分でもよく分かっていないです。親の性格の遺伝なのか、交友関係の影響なのか、その両方なのか。でも、最終的にこんな性格になってしまったのは、両親のことは、間違いなく関係しています。それに影響を受けすぎてしまったのは、とても悔しいけれど。
「落ち着いて、ゆっくりでいいよ。」
「ありがとうございます。なんだか変な感じです。本当にこれ頭の中で喋ってること分かってるんですよね。」
信楽は冗談めかした笑顔を向けて「どうだろうね。」なんていうものだから、なんだか信用していいのかどうか分からなくなる。
「そんなことを言っても君は、見ず知らずの僕を信用して話している事実がある。」
私に向かってまたも指を指す。かっこいいと思っているんだろうか。
「その声も聞こえているからな!格好良いだろう指を指すのってなんか。」
「そんなに格好良くないですし、刺されている側はいい気分しませんよ。」
「……話を戻そう。そう、自分がそう考えていると思っていることと、実際の行動に矛盾が生じるのは、やっぱり自分の奥底に自分の思いも寄らない想いがあるからなんだ。」
「思いも寄らない想いって?」
「君の頭の中の話には出てこないが、君がこうだろうと心の奥深くで既に定めている気持ちだ。その気持ちに僕は触れたい。そこまで知ることはできないからね。」
私にもあるものだろうか。私の知らない私の気持ちなんて。
「君は普通の人の何倍もありそうだよ。」
「うわ、もうなんか、混乱しますね。ここまで頭の中を分かられていると……。」
「だから、分かってないと思ってくれた方がいいんだけどね。一人で自分の事を思い返すみたいに、いつも通りでいいよ。」
「いつも通りですか。」
「うん。これまで頭の中で自分と沢山会話をしてきたんだろう。とても上手だよ。ほら、続きを自分に聞かせてあげよう。」
2年前、両親は離婚をしました。詳しい事情は分かりません。いつも喧嘩はしていましたけど、なんとなく仲は良かったし、原因を母に何度も聞きましたが、教えてくれませんでした。
離婚前の母は私にも誰にもとても優しく、天使のような母でした。父に尽くし、私に尽くし。ご近所の方々とも円満な関係を築いている、とても自慢の母でした。今でも離婚したことが信じられません。
離婚後はそのストレスからか、私に強く当たるようになりました。手までは出されていませんが、嫌がらせじみた行為や私に対して嫌味や悪口を繰り返すようになっていきました。その変わりようは、母が好きだった私にとって、とてもショックでした。それでも、毎日働いて日に一度は食事を出してくれていたし、学校にも通わせてくれていたので、母に対して文句は言えず、誰にも相談できませんでした。
日に日に母はやつれていき、ついに寝たきりになりました。母が働けなくなったので、アルバイトをしたいというとあっさり許しをもらえ、生活費の足しにしていました。私の行動にはいちいち文句を言っていましたが、アルバイトについては、きっと自分が働かなくていいからと喜んでいたんだと思います。
貯まったお金で、病院に連れて行こうとすれば『触れないで』と跳ね除けられ、構うことすら許してもらえませんでした。
私は離婚するまで、とても優しかった母が大好きでしたし、それも母は知っていたはずなのに、離婚のショックとストレスだけで、こんなにも性格が変わってしまうのかと恐ろしくなりました。
「涙を拭いて。あせらなくていい。ゆっくりでいいよ。」
「すみません。ありがとうございます。」
「取り乱すこともあるかもしれないけど、それは我慢しなくていいから。」
「はい。すみません。混乱して、断片的になります。」
「いいよ。ゆっくり自分のペースで。」
アルバイトの時間を増やし、次第に家に帰らなくなっていきました。母は相変わらず寝たきりで、痩せていきました。
2ヶ月ほどその生活が続いた頃、夜中にアルバイトから帰ってきて、母を起こさないようこっそりと家へ帰ると、母親の部屋からすすり泣きのような声がしていました。部屋を静かに覗くと、母が布団の中で、自分の頬を殴って泣いていました。
ついに母はおかしくなっていました。本当に、本当に辛かった。もうあの頃の母には絶対に戻らないんだと思いました。
その日から、毎晩母は泣いていました。もう、見るに耐えられず、そのままにできず、「大丈夫?」と声をかけました。これがきっといけなかったんだと思います。とても大きな声で『見ないで』と言われて。その一言で、色々な感情が混じって、あまりもう覚えてなくて。気づけば母を叩いてた。自分でも自分の行動が分からなかった。そしたら、
「そしたらお母さん、涙を流した顔で笑ったんですよ!もうそれで、分からなくなって。あんなに働いて病院に連れて行こうとしたり、辛いところ見せないようにしたのに、嫌がるのにご飯も食べさせてあげて、この人はもう私がどうにかしてあげないといけないって思って!ずっとしてあげたのに、ずっと戻ってくれるようにって心配したのに!それなのに!私の、溢れた気持ちを、全部を、あの人は笑ったんですよ!」
そう、殺した。私は殺した。母を、包丁で刺した。刺した。だからもういいんだ。私は殺したからいいんだ。あんなに大好きだった人を殺したから、もう死んだほうがいいんだ。
「町田可子さん。本音を聞けた。ありがとう。」
抱きしめられた。生まれて初めて、男性に抱きしめられた。
何故か冷たい水をかけられたように、頭が冷めて、心が落ち着いた。
「辛かったね。本当に、本当に辛かったね。君がお母さんのためにやってきたことは全て僕が知っている。頑張ったね。」
さらっとした涙が溢れる。何故こんなにも落ち着いているんだろう。
「ありがとう。本音がしっかりと聞けたよ。」
「いえ、すみません。本当にすみません。」
「謝ることはないさ。とりあえず落ち着こう。珈琲を飲んでごらん。冷めてるけど、きっと美味しいよ。」
慣れない珈琲だったが、とても飲みやすく、すっと身体に染み渡った。
「相談屋を名乗っていながら、君が話してくれたこのことについて、僕自身からは何のアドバイスもできない。」
信楽は涙を流しながらも、きっぱりと目を見て言った。
「そうですね……。アドバイスをいただいても、もう何もかも手遅れだから。」
「しかし。僕は人の過去を知っている。お母さんの過去の事実が、貴女の今後にとってプラスになると信じて、話させてもらうことにする。」
「過去の事実?」
「そう、過去の事実。お母さんが何を思っていたのかまでは分からないけれど、そのヒントになる事実があるんだ。」
「どこからどう伝えるべきか迷うけど、これだけは言っておこう。」
信楽は涙を拭って一口珈琲を啜り、こう言った。
「貴女はお母さんに、騙されている。」
騙されている?私が?母に?
「それは、どういうことですか?」
「お母さんの過去について、君の過去を辿って見てみたんだ。」
「私を元にってどういうことですか?」
「貴女の過去はお母さんの過去でもあるだろう。共有している部分も多い。」
だからと言って……。
「騙されているってどういうことですか?」
「詳しく話す前に、僕とひとつ約束してくれるかい。」
「……できるか分かりませんが、何ですか?」
「これから僕が話すことを聞いて、生きる希望を持てとまでは言わない。けれどせめて、自分を死ぬべき人間などとは思わないで欲しい。」
無理だ。
「これから聞く内容がどんなものでも、もう人を殺めてしまったんです。それはできません。」
「そうだろうね。それでも、全てを話した後にもう一度同じ約束をお願いするよ。」
信楽は手に持っていた珈琲カップを机に置いた。
「今から全て話すけど、その間は一言も喋らないで欲しい。ただ聞いていて欲しい。質問は全て最後にしてくれ。多分質問はないだろうけどね。」
「……分かりました。」
正直よく分からないけれど。
「ただ、聞いてくれればいい。さて、勿体つけずに話そう。」
信楽は祈るように目をつぶった。
「お母さんは、貴女が殺さなくてもいずれ死んでいた。」
は?
「余命を宣告されるほどの不治の病気を患っていながら、貴女にその事を一度も言っていないと
いう事実がある。貴女に知られないように、隠していた。死ぬまでずっと。」
病気なのは知っていたが、そんな。
「それともう一つの事実、貴女のお父さんは、絶望し、精神がおかしくなった。まともにことを考えられなくなり、お母さんから離婚を切り出しているようだ。貴女に極力危害が加わらないように。父親がおかしくなったという絶望を与えないように。」
でも、そうしたら。
「そう、貴女の生活を保証するのはお母さんしかいない。その事実を子供の貴女に伝えたところで、恐怖を与えて泣かせることになるだけだろうと考えたんだろう。お母さん、苦しんだだろうね。自分は病気だけど、それでも娘を守らないといけない。生活を保証していけない。でも、自分の余命は残り短い。だから、お母さんはこう覚悟したんだと思う。」
そんな、違う。違う。
「推測だけれど、貴女に独り立ちをしてもらおうと考えたんじゃないかな。母である私がいなくても、強くしっかりと生きてもらおうと。そのために私は勝手に離婚して貴女に嫌みをいう女になってやろうと。」
それじゃあ。お母さんは。
「お母さんは最後まで貫き通した。死ぬその瞬間まで、貴女を騙した。苦しんだろう。最愛の娘に嫌われるように振舞って、嫌われて、それでも身体が動く限り働いて、せめて生活自体は苦しくならないようにと必死に貯金をして。」
何で。私は、なんてことをしたんだ。
「君が強く生きるためだ。君を人に頼らなくても生きていける人間にするためだったんだ。そうだと思うよ。」
私は……。
「私はそんなお母さんを殺したの?」
「事実はそうだ。君はお母さんを殺した。それは揺るがない事実だ。」
死ななきゃ。早く死ななきゃ。
そう思った瞬間。信楽は私の手を取った。目を開くと泣いていた。私よりも泣いて、顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「君は、お母さんの、命がけの愛を君は捨てるのかい。君に強く生きてもらいたいっていう、お母さんの想いを捨てるのかい。」
でもお母さんは……。
「お母さんが、決死の思いで残りの命の全てをかけてあなたを遺したんだ。死ぬわけにはいかないだろう。」
お母さん。お母さん。
「もう一度言おう。生きる希望を持てとまでは言わない。けれどせめて、自分を死ぬべき人間などとは思わないで欲しい。」
さっきも聞いたその一声で不思議と冷静になった。信楽は涙を拭い、腫れた目をこちらに向けながら、思いがけな事を言い出した。
「落ち着いて、聞いてくれないか。僕も、貴女に隠していたことがあるんだ。」
「君のお母さんからの依頼を勝手に請けている。『もしこの子が自殺をしたいと思った時は、誰か止めてください』という依頼をね。」
依頼?お母さんから?なんで?
「隠していてごめん。君のことは全て僕に分かっていて、僕の方の事を君が知らないのはフェアじゃないよね。僕の全てを話そう。」
本当に、何者なの。この人は。
「依頼って、どういう事ですか?」
「僕は、死期を悟った人や、死ぬ寸前の人の強い願いを勝手に受け取り、勝手に引き受けて、勝手に叶えられるように動いている。」
どうやって、ありえない。
「そう、有り得ない。だが、僕という存在が在り得ない故に有り得ないことができている。僕はね、」
一呼吸を置いて、優しい顔でこういった。
「もう死んでるのさ。自分の死の未練に、色んな人の未練を重ねて存在をしている。本来僕がここにいることは有り得ないし、在り得ない存在だ。」
涙はまだ止まらない。理解が追いつかない。
「簡単にいうと、僕はもう死んでいるけれど、色んな未練と共にここにいるということ。詳しい話は追々知ってもらおう。」
追々って、それもどういうことだ。
「まぁ、僕の話は置いておいてだ。」
彼はまた真剣な表情に戻った。
「お母さんは、死ぬ間際も、今も、貴女に生きて欲しいと強く望んでいる。だからこそ、僕に、依頼というか、その願いが届いたんだ。」
いや、それでも。
「それでも、どうしたらいいか分からないです。人を殺した人間が生きていてはいけません。この国の法律がそれを否定しても、この先、私が私を許せません。」
「君は本当に責任感が強いね。お母さんそっくりじゃないか。そう言うと思ってさ、こういう妥協点はどうだろう。」
「君は世間的に死んだ存在として生き続けるんだ」
何を言っているんだろう。
「そしてさ、行くところもないだろうから、死んだ僕の助手として働いてくれ。」
本当に何を言っているんだろう。
「どうせ死ぬ予定だったんだろう。君が何度死ぬと言っても僕は君を殺させないし、君によれば、人を殺した君が駄々をこねる権利もないだろう?」
そうだけど。本当にこの人は勝手な人だ。
「決まりだ。勝手に決めた。ほら、涙を拭って。」
だが、もう信楽についていくしかないらしい。
「君は死んだ。そして生きている。死ぬ間際、どうしても叶えたい願いを引きずって死んでいった人達の願いを叶えるために生きてみれば、拓ける道もあるだろう。」
色々と端折っているが、これが、私と信楽が初めて会った時のことであり、活動の始まりだった。
分からない事ばかりだったのがとても懐かしい。
彼は不思議で愉快で、人情味に溢れた人だった。
高圧的な少女や、裏の顔をいくつも持つ青年。激動的な老夫婦、悩みを持たない男性など、様々な人に纏わる依頼とその活動は今後また、綴ることになるだろう。
思い出はたくさんあるけれど、まだまだ私は死ねそうにないらしい。