行き過ぎた推し活というホラー

昨今の異常な推し活についてはほとほと呆れている。
推しがいるおかげで生活が潤うなどというのは多少あっても良いとは思うのだが、もはや生活全てが推しのためになっている人間をよく見かけるようになった。

かつて私の世代でも似たようなことはあって、昔は「追っかけ」などど言ってあるバンドに恋焦がれ地方遠征などにも出かけたことはあった。
しかしそれも10代までの話である。
遊び呆けていた学生時代を経て、社会人になると自活するようになり、そのうち彼氏だってできる。
また、普通の人間は他人の夢を応援している場合ではなく、自分の夢ややるべきことへ軸足を移すものである。

現在の推し活を観察していると、年齢層も様々で大体結婚どころか彼氏や彼女もいないような人ばかりである。中には結婚をして子供がいるような人もいなくはないが、パラサイトシングルは結構見かける。
仕事のシフトは推し活のために融通の効くものでなければならず、向上心というものがないので、いい歳をしてお金も持っていない。
取り憑かれたように限りある時間と金を全て赤の他人である推しにつぎ込むのだ。

そこまでして人生を棒に振る人というのはどういう神経なのだろうか。

推し活をしている人々がよく「推しの幸せが私の幸せ」的なことを口にするが、それが異性の場合、自分の理想の相手として掲げており、実際のところ性の対象として見ているところも生々しくて痛々しい。
本当は結ばれたいと思っているのにそれは流石にあり得ないので一応心の奥底にしまっている。
当たり前だが、たくさんのファンがいるような人物が、先に述べた実績も経験もお金もないような人間を好きになるわけがないのだ。

彼ら彼女たちはいつになったら目を覚ますのだろうか。
ガラクタのようなアクスタ、チェキやトレーディングカード、その他の写真、ツアーの度に増えていくペンライト、握手券を手に入れるために買った大量のCD、数多くの企業とコラボした洋服、ぬいぐるみ、食品など。
気がつけば子供部屋のようになりその中で寂しく生活している初老が一人たたずむだけである。

マジで圧倒的にモテない。
未来へのヴィジョンもないため、考えが浅くて幼い。
40を過ぎたあたりから急に我にかえるも手遅れである。
もう家庭も持てず、親にも先立たれ、推しは誰かと幸せになり、残されたこれらの人々はただひたすら寂しく一日一日をやり過ごすだけなのだ。

ホラーである。


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