【あらためまして】やり直しの自己紹介
noteを始めて2か月が経ちました。
機能はまだまだ使いこなせてないし、いま抱えている仕事もあって、書く時間の確保はもちろん、他の人たちの書いたものも十分に読めていません。結構見切り発進だったかも...と省みているところです。
それでも、皆さんの自己紹介noteをみていて、「なるほど、そうだったのか」といろいろ気づいたことがありました。
そこで、あらためて自己紹介のやりなおしをします。
★あらためまして
「はじめまして」
最初の自己紹介はこの挨拶さえできていませんでした。
あらためまして。どうぞよろしくお願いします。
挨拶がとても大切なことは、社会人になって最初に教えられたことです。なのにすっかり抜け落ちていたし、私の自己紹介は丁寧さに欠けていて、心を込めているようには感じられませんでした。ただの説明書、いや説明不足でさえあったなと反省しました。
ちゃんと交わすと気持ちがいいです。お話をする態勢、聴く態勢が整います。
★自己紹介
先述したように、私は大分県別府市で(1960年代の)桜の咲く頃に生まれ、成人まで両親、姉妹らと暮らしていました。今は仕事の都合で、福岡市内で暮らしていますが、成人後の人生のほとんどを東京で過ごしました。
東京はとても好きな街で、自分には居心地よく感じていますが、幼少期の頃はアウトドア好きの父に連れまわされていたので、森でのサバイバルもわりと得意です。
ティーンの頃は、はつらつとした子どもだったと思いますが、〈死〉とか〈潜在意識〉とか〈共同幻想〉だとか、いつも目に見えないことについて考えていました。今も考えているので、私のライフワークだと言えます。
併せて、読書と絵画鑑賞が大好きだったので、よく自分でも文章を書いたり、油絵を描いたりしていました。
小説家で強く影響を受けたと思い浮かぶのは、遠藤周作氏でしょうか。
とはいえ、家庭は大変貧しく、高校の授業料や画材など教材費は、平日夕方や週末のアルバイトで工面していました。
成人後は家を飛び出して、時代はバブル期でしたが、東京都某区の新聞販売店の、風呂なし・トイレ男女共同の3畳一間の木造プレハブで1年間新聞奨学生として新聞配達をしながら予備校に通い、家を借りるためのお金を貯めました。大学進学を夢見てはいましたが、いろんな事情であきらめざるを得なくなりました。
いろいろなことをあきらめざるを得なかったのは父親が原因です。2011年の末に亡くなったのですが、無類の道楽者だったのと家庭内暴力がひどかったので家族は常に疲弊していましたが、今はみんな穏やかに生きています。
そこから今の仕事に就くまでの大まかなストーリーは、こちらに書いています。
現在の職業は、自然エネルギーに関わるコンサルタント業です。残念ながら今のところはリモートワークがほとんどなのですが、コロナ禍でなければ日本中を飛び回っているところです。
個人的にもSDGsに沿った生き方や選択をしていて、できる限りプラスチックなどのゴミを出さないライフスタイルを心がけていて、〈誰一人取り残さない社会〉についても思いを巡らせています。
あと、コーヒーが大好きで、いろんな淹れ方で世界中のコーヒーを楽しんでいます。
★noteでの目的
一つ目です。
私には長年のつき合いの、男性のパートナーがいます。いずれエッセイで、まつわるお話に触れるかもしれません。
子どもはいませんが、妹たちには息子と娘が何人もおり、全員未成年(20歳未満)です。
そこでふと、自分に子どもがいたら、ああしてあげたい、こうしてあげたい、こんなことを伝えたいなどといろいろ考えるわけです。
当然ながら現実にそんなことをしても、鬱陶しがられることは目に見えています。ですけど、ですから...、彼らが困ったときに何かのきっかけでこれを読んで、少しでも人生に役立ててくれたらなあと、ちょっぴり期待をしているのです。
あわよくば、他の方が読んでくださり、「こりゃおもしろい」などと感じてもらえたならなお嬉しいです。
二つ目です。
もう少し、自分に正直に、本音を吐き出す場が必要だと思いました。
普段考えていてもなかなか言えないことや、今まで自分の身に起きてしまったことなど...、現在進行形のことやそれらを克服したことを率直に記録し、自己を顧みるあるいは省みるときのために残しておきたいのです。
これは一つ目の目的とつながるのですが、どちらかというと自分自身のためです。
そして、三つ目です。
よく自分でも文章を書いていたと述べましたが、今は仕事で書く事業計画書や報告書の類でしか、文章を書きません。それにより〈感性〉の鈍りを感じるようになってきました。
感性を鋭く保つには、読書で脳や心に栄養を入れて(インプット)、執筆によって脳や心を活性(アウトプット)させる必要があると思います。
それに、〈感性〉の鈍化は人を老けさせると思うので、noteを利用することは、その予防策でもあると考えました。
創作モノは、登場人物の設定、時代考証、当時の天候など、とても丁寧に情報をリサーチして書いています。実体験でなくても、私自身が数奇な人生を歩んできたので、その中で出会った人から聴いたことも参考にしています。フィクションであっても、そこは手を抜きたくありません。
また、他人に読んでもらうことで、言葉選びは慎重になるし、ブラッシュアップもできると思うのです。
この三つが、私のnoteでの目的です。
★さいごに
仕事の都合で現在の投稿は、エッセイ、小説とも週1ずつに留めていますが、今後は変更の可能性があり模索中です。
また、これまでブログを書いたこともありましたが、長く続けられませんでした。
読者の作り方がわからなかったし、投稿後は反応が気になってそのことばかりに気を取られていました。たまにコメントが入ると丁寧なリプライをしようと考え過ぎて、私にはちょっと向いてないなと思っていました。
そのこともあり、noteに取りかかっているときとそれ以外のときを区別したくて、しばらくはコメント欄を閉じることにしました。ご理解いただけますと幸いです。
では、毎日投稿とはいきませんが、今後も定期的な投稿にチャレンジしていきますので、どうぞよろしくお願いします。
※2021年7月5日加筆。連載小説の投稿は一旦停止し、完成後投稿することにしました。コメント欄は適宜開きます。