昨今のフェミニズムに対する弱いオタク男の一見解

始めに

 私はフェミニズムを否定する気はない。フェミニストの「社会的弱者である女性の地位向上」という理念にも同意する。

 しかし、それは私がフェミニストだからではなく、あくまでヒューマニストだからだ。人間は等しく平等であり、理不尽に虐げられている弱者に寄り添うことを是としている。

 しかし、昨今の一部のフェミニストの方々の意見は地位向上というより、個人的感覚による弾圧だと感じている。

 勿論、まともな発言をしているフェミニストの方も存在しているが、そういった面々を過激派は仲間と見なしていない節がある。

女性は弱者?

 よくネットの意見に上げられる「女性は弱者ではない」という意見に対しては、疑問を抱く。

 彼らの論拠には「自殺率が男性の方が高い」「ホームレスの大多数が男」等のデータがある。この明確なデータは私個人の意見で覆るものではない。

 ただ、これらのデータだけでは「女性が弱者ではない」という結論は出せない。女性が虐げられているのはそういったデータでは出にくい所にこそ多いのではないだろうか?

 周知の通り、平均的に男性の方が女性より力が強い。その事を女性は子供の頃から理解している。親には「女だから」とはしたない行為を咎められるケースは男よりも多いだろう。会社によってはお茶を汲むのは女性、という暗黙の了解があるかもしれない。

 そういった社会の規範になっている「女性らしさ」が女性の行きづらさの本質ではないだろうか?

オタクは弱者?

 また、オタク男子を弱者たらしめているのも、この「社会の規範」にあると私は考える。

 そもそも「オタク男子は弱者なのか?」という問いに対して、私はイエスと答える。

 それは恋愛市場において、ひいては社会的信用においてである。

 オタクの多くは日陰者だ。勿論、陽キャと呼ばれるオタクも数多く存在しているだろうが、それ以上に陰キャが多いだろう。

 その中には容姿等で虐められたり、女性から気持ち悪がられたりして自信を失い、女性との関係に恐怖感を覚えている人もいるだろう。

 それが原因で大人になった今も恋愛経験0という人も少なくない。

 その一方で幾度かの恋愛を経験し、人間的に成長していくのが「普通」とされている。

 この普通との差を負い目に感じている人が多く、それ故に自信が持てず、自信がない故にモテないという悪循環に陥る。

 また、恋愛経験が少ないので、同じ土台で普通の人と並んでも、競り負けてしまうのだ。

見ている景色の違い

 上記の通り、オタクも女性も弱者である。しかしその基礎となっている土台が違うため、話が噛み合う事がない。

 というよりも、お互いに相手の苦しさを理解することが難しいのだ。私も本を呼んだり話を聞いたりして私なりの女性の生きづらさについて考えても、本当に女性に、その人になってみないとその痛さや辛さは真の意味で理解することはできない。

 女性はイージーモードといっている男性には、女性の男性に対する恐怖感というものが分からないだろう。

 同じように、女性の人もマッチョイズムに負け続けるオタク男子の辛さを理解することは難しい。

 宇崎ちゃんを叩いた過激派の人々は、学生時代に散々叩いてきた女性に、今度は自分たちの好きなアニメまで叩かれたオタク男子の気持ちなど欠片も想像できないだろう。

最後に

 ここまで書いておきながら何だが、私はオタク男子とフェミニストはいい協力関係になれると思う。(一部の過激派を除く)

 どちらも「性別による規範」の被害者であるからだ。

Twitter上ではよくお互いの事をけなし合っているが、暴言というのは得てして自分に返ってくるものだと思う。

 お互いを敵視せず、手を取り合う未来を私は切に願っている。

 

いいなと思ったら応援しよう!