GULP

I’m drawing
I’m drowning in the air

絵を描いている。
僕が空気の中で溺れている絵だ。


「今日で全てが終わるさ」
これは泉谷しげるが歌った一節である。

季節に敏感でいたいと思いながらも季節のない街に住んでいるから、右も左も分からなくなってきた。
花が咲いてても誰もそれを見ていない。
緑が生い茂っても、木陰のありがたさに気が付かない。
秋の訪れには気も止めず、冬の寒さを心配する。

これほどの情報社会なのに、だから、全ての感覚が鈍ってきているのかしら。四角い箱から受け取るのは気温の情報。その日に着る服装の目安だけ確認して外に出る。そのあとは作られた物の上を移動する。他の様々な情報を手に入れながら。

社会的に鈍感が正義とされてきている。
人の気持ちを慮らずに資産を増やす事がこの社会で生きる上での正解で正義だ。他の人に手を差し出すなんて事はバカのする事だと言われ続けている気がする。
老後の為に何千万だかお金を貯めろと国に言われた。そのミッションをクリアする為に国に文句も言わずに働く老人を知っている。
その老人は夜中、僕の働いていたスーパーに半額になったパンを1つ買い求めにきていた。長く働いてる同僚に問うてみると、老人の年齢はもう後期高齢者に片足突っ込んでいるらしい。
レジの後ろにならんでいるのは、目がチカチカするようなブランドを身に付けたカップルが年甲斐もなくいちゃいちゃしながら列に並んでいる。
老人は会計が終わるとその2人を一瞥し、僕に「ありがとう」と丁寧な挨拶をして帰っていった。その背中からは、こちらが勝手に物語を感じずにはいられない雰囲気を醸し出していた。きっとその物語は興味深いだろう。
例のカップルは会計の時に投げるように乱暴にお金を出した。まるで人をセルフレジの機械だと思っているような態度だ。その2人にもそれぞれに物語があるのだろう。でも、僕はその物語は好きじゃないジャンルだと思う。

季節のない街で季節に敏感であり続けたいと願うのは間違いなのだろう。
でも、もう生き方を変えられない程に年齢を重ねてしまった。
ツアーが出来るように今日もまた心を鈍らせる。


「今日で全てが始まるさ」
これも泉谷しげるが歌った一節だ。

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