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ベルリン *全部読めますよー*

執筆者 無駄一卍屋筆まめ

人生において、あの時あっちの選択をしていたら良かったのかもしれないなと考えた事が無い人はいないだろう。
私も20代半ば位の時に、インド出身イギリス人で、その当時は日本在住の女性シンガーのギタリストをした時に、一緒にイギリスへ行こうと誘われた時に行っておけば良かったのかなといまだに夢にみる事がある。
夢の中では当然自分の夢なので、都合良く自分の楽しいと思う生活を送っている。ショーンオブデッドの時のニック・フロストの様なイギリス人の友達がいて、ダラダラ楽しく生活しているのだ。
そして、イギリス行きを誘ってくれたシンガーから「仕事だよ、ヨーロッパライブツアーが決まったから準備して」と連絡を受け、さて仕事だと気を入れると現実の世界で目覚めて、ニック・フロストもいないし、ツアーもギターも無い事に観念し、日銭稼ぎに出かける為に粛々と支度をするのである。
この様な考えは、時間というものが直線的に一方向に向かって流れていると考えた時の現在から逆方向の過去を評価する事で抱くのだと私は思う。
あの時に戻れたらという考えも、あの地獄の様な時には絶対戻りたくないという考えも、現在からの過去への評価、つまり歴史の評価という事だと思う。世界史、日本史、個人史みたいなものだ。

大抵の事は、時間が過ぎてから後に評価されている気がする。映画も、公開当時はクソ映画と評価されても現在では見直され、名作とされるものが山の様にある。あの市民ケーンだって公開当時は評価されていない。
音楽アルバムだってそうだ。
これは芸術、エンターテインメントに限った事ではないと思う。歴史上の出来事、人物、政治、この世のほとんどの事は後に評価される。

ゴッホの絵は凄い!とゴッホが生きていた時代に行けたとして、自分はそう評価できるだろうか?
その当時に、フェルナンド・ペソアの大ファンだ!と言えるだろうか?
ジェームス・ブラウンが「本当の天才ってのはストリートにわんさかいるぜ」と言った様に、名声も知名度も無いミュージシャンをちゃんと評価できるだろうか?
エディ・ヴァン・ヘイレンがかつて、「音楽はスポーツとかと違うんだから、絶対的なランキングなんかつけなくたって良いのに。今日はこのミュージシャンのこのアルバムの気分だから、今日はこれが一位。また別の日は、ヘヴィーメタルバンドの気分だから、このバンドが一位、また別の日はパンクな気分だからこのバンドが一位みたいになれば良いのにね。」みたいな事を発言していたが、この様な自分の指針を持てれば、時代も流行りも関係なく自分で評価できるはずだが、しかし、これがなかなか難しい。
だからこそ、コンテストみたいなものがあるのだろう。順位と勝ち負けがハッキリと見て分かるからこそ熱狂できるのかもしれない。映画もアカデミー賞なり、カンヌなり、ヴェネチアなりコンテストで受賞すると盛り上がるし話題にもしやすい。お笑いもコンテスト系はわかりやすく盛り上がる。私はこれらを批判的に見てるわけではなくて、仕方のない事だと考えている。ただ、コンテスト、コンペだけで判断する事に偏ってしまう事は危険だと思う。後に評価した時、あの時は周りの空気もあったし、優勝したから良いと思ったと思考停止してしまう事が恐ろしい。
コンテスト、コンペからしたら箸にも棒にもかからないが自分にとっては、とんでもない名作を生み出す人が世界中にゴロゴロしているから面白いのだ。

バビロンベルリンというドイツのドラマシリーズがあるのだが、狂乱と退廃の黄金の20年代から30年代にかけての時代設定で進んでいく。現代の私達からしたら、1929年になれば世界恐慌が始まり、ドイツは30年代に入るとナチスが台頭し、気付けば合法的にヒトラーの独裁が始まる事を知っているから、主人公の甥っ子が友達に誘われるがまま何の悪意もなくヒトラーユーゲントに入り、甥っ子の部屋に我が闘争が置いてあり、主人公が何の危機感もなく借りて読もうとするシーンの日常の一コマぶりに寒気がする。
しかし、これも後に研究され歴史の事実として評価されているから現代の私は怖さを感じるが、当時ヒトラー、ナチスの言ってる事、行動をおかしいと自分は評価できただろうかと考えてしまう。
帰ってきたヒトラーという映画の中で、当時を生きたユダヤ人のお婆さんのインタビューシーンが出てくるが、お婆さんは「当時は皆んな笑っていた。おかしな事を言う奴が出てきたもんだと。でも、気付いた時には手遅れだった。」と言っていた。
このような事を考えるうちに、できるだけ自分で考え、評価できる人になりたいと考え食費を削って購入したもの第二段の紹介をしたい。


こちらのグラフィックノベルだ。
いかにして、人々はナチスを選び、破滅へと向かっていったのか。市井の人々を通して、その20年代から30年代を描き出すというものだ。完成に22年をかけたという。

黄金の20年代。文学、演劇、美術、建築、色々な分野で大衆文化、大衆社会の誕生した時と評価されているらしい。
日本でも、浅草レヴューというものがあったらしく、浅草軽演劇が栄え30年代に入るとエノケン、ロッパというスターを生み出す。この時代の浅草があったから、その後、渥美清も出てきて寅さんも生まれたし、ビートたけしも出てくる。

ロシア革命の影響を受けての左翼革命思想、それに対する右翼結社や軍部政権樹立を目指す人達がまだ表に出ず蠢いている息苦しさから、大衆には厭世的、享楽的、退廃的なエロ、グロ、ナンセンスな風潮が蔓延した。その中で文化的なものは成熟して映画も音楽も進化していく事はとても興味深く思う。芸人の永野が「幸せな人に人を笑わせる事はできない」と言っていたが、それと通じる様な感覚を私は覚える。

大正デモクラシーが盛り上がっている中、25年に制定された治安維持法がその後の色んな事に影響してくるなんて思いもしなかったと、自分もその当時生きていたら過去を評価する事になっていたのかなぁと思う。

現代の様に、ネットで繋がり過ぎた社会ではないのにこの20年代から30年代の雰囲気は、世界的に同時代性があるのだという。言われてみれば、このグラフィックノベルで描かれるドイツも、敗戦で苦しむ中20年代に入り享楽的、退廃的なキャバレー文化などが隆盛を誇り、それに伴いそこで演奏される音楽が成熟していく。そして、映画もウーファという制作会社がハリウッドをも凌ぐ映画の地になり、カリガリ博士などを生み出している。私が大好きなフリッツ・ラングも出てくる。

大衆文化が花開いているその裏で、政治活動が活発化しナチスは合法的にひっそりと台頭してきていたのだ。これは、バビロンベルリンでも描かれるので、このグラフィックノベルと合わせて見ると、もう脳内麻薬出まくりだ。

私は、ベルリンという都市に何か恐怖とワクワクがあいまった様な、憧れの様な、嫌悪の様な感情を抱く。ヴィム・ヴェンダースのベルリン・天使の詩を観た時も、街に残る戦争の跡の酷さと歴史ある建築の美しさなど矛盾したものを抱える魅力的な街な気がする。だから、ボウイもベルリンイヤーズがあるのかななんて思う。
行ってみたいなベルリン、住んでみたいなベルリン、乗ってみたいなポルシェ、弾いてみたいなドューゼンバーグ、飲んでみたいなドイツビール、食べてみたいなグラーシュ。

話を戻すが、このグラフィックノベルは、22年費やしているだけあって500ページを超えている。


ご覧の通り凶器になる厚さだ。

ここまで、「こいつ、読後レビュー、感想を全然書かないな」と思われている事だろう。
その通り、何を隠そう私はまだ読み終えてない。
楽しみにとってあるのと、脳みそをこちらに集中させる時間が今無いのだ。お盆が終わり、秋のお彼岸がもうすぐで忙しい、物量が多い。
この繁忙期を乗り越えて、自分で考えられる脳みそを整えて読破したい。

スポーツ化されていないものを自分の感覚で評価し、自信を持って好きと言える人間になれるようこのベルリン1928~1933というグラフィックノベルから学びたいと思う。

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