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子どもとフラットに関わること

We are Buddiesは、保護者の方だけが子育てを頑張るのではなく、多くの大人が関わり、登場人物みんなが力を抜いて、優しい気持ちになれる社会を目指し立ち上げました。子どもと大人がバディとなり、オンライン・オフラインで遊んだり話したりしながら、細く長い関係性を築きます。

このnoteでは、活動していく中で大事にしていること、気付きを得たこと…などについて発信していきます。

10月はWe are Buddies活動発信月間!とのことで、活動歴半年の間にたまったネタや、改めて私たちが大事にしていることなどを、徐々に発信していっております。

今まさに、We are Buddiesのバディ(ボランティア)が子どもと関わるときに大切にしたい姿勢のようなものを整理しているところですが、その中に入れたいなぁと思っている1つをご紹介します。子どもとフラットに関わること


親は子に願いを持つ?

この活動を始めて、いろんな親子さんと出会ってきました。「家族」や「関係性」というものが人生の中の大きなテーマである私は、今までの人生の中でも、いろんな親子さんをみてきました。

私は、子どもを産んだ経験がありません。なので、自分の子どもが産まれたとして、自分がどんな親になるのか、自分が産んだ人間に対してどんな感情を抱くのか、こういう子どもに育ってほしいとかほしくないとかそういう気持ちが表れるのか、わかりません。

「勝手に育ってね、必要なサポートはするから」というスタンスの方もいれば、「あなたにはこういう子に育ってほしいのよ」という願いを多く持っている方もいらっしゃいます。でも、「自分の子」という意識は誰もが持ち、何かしらの意識があることには間違いないように感じます。

子育てに正解はないと思うので、良い悪いの話ではありませんが、個人的には、大人も子どもも、誰かの期待に応えるだけの人生ではなく、自分で選択して生きたいように生きていってほしいと、常々思っています。


親子という神秘

親子の手帖』という本があります。福岡市中心部で、小中高生が通う学習塾「唐人町寺子屋」を経営する鳥羽和久さんの著書ですが、学習塾でみてきて多くの親子さんたちとのエピソードをフィクション化して、でもリアルに紹介している作品なのですが、ここには、子どもに過剰に期待する親とそれに応えようとするも途中で問いを持つ子に始まり、多くの親子のリアルな姿が書かれています。そして、ここに描かれている親子は、決して珍しくなく、どこにでもいる親子さんのようにも見えるのです。

私自身の立ち位置としては、鳥羽さんのように親子を客観的に観察しながら、一つ一つのケースに向き合って行くというものですが、きっと子を持つ方がこの本を読んだら、私なんかよりももっと多くのことに気付かされるのかもしれません。


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話が膨らみましたが、なぜ今この本をご紹介したかですね。
いろんな親子さんが描かれている中で、一見ねじれているように見える。しかし、私の目には、何度読んでも、親子の神秘 としか思えない。ねじれてたって、親が子に少々期待しすぎてたって、それも含めて味わい深いLIFEだな、というか。。過剰すぎて、登場人物の個が尊重されない状況は考え物ですが、ある程度はまぁあるよなぁ、と思ってしまう自分もどこかにいます。


バディたちにできること

そんな前提の中でこのプロジェクトを進めていっているわけですが、いろんな親子さんがいるときにバディができること ということを考えると、ただフラットに接するということなのではないかと思います。

こういう感じのやりとりはよくあります。こんな風に子どもがちゃんと聞いてもらえていないことがあると思います。2度同じ話をするような子に育ってほしくないという親の子に対する願い、自分自身が忙しくてちゃんと聞く余裕がない、などなど、いろんな背景があると思います。

子ども「●●ちゃんがね~、こんなこと言ってて、こう思ったんだ~。ペラペラペラ・・・」

保護者「ちょっと静かにしなさい、この間もその子の話してたよね、同じ話は2回以上しないの~」

子ども「はい・・・(同じ子の話だけど、違う話なんだけどなぁ・・・)。しゅん。」

仕方ないですよね。でも子どもはちょっと寂しい思いをしてしまいますね。こういったコミュニケーションが日常化すると、「誰も自分の話をちゃんと聞いてくれない」というマインドセットが植え付けられてしまったりするかもしれませんし、「相談したくても、話を聞いてくれない人に言っても意味ないから親には話さない」みたいな感情が生まれるかもしれません。

そんなとき、週に1度会うバディにできることは、しつけや教えるという概念を捨て、ただその子の話をきいて、ただ友達のようにフラットに接しながら、子どもが話したい話をゆっくりきいたり、見守ったり、ゆっくり子どもの行動を観察したり、2人で楽しんだりするということなんじゃないかな、と思います。

そうすることで、何か困ったことがあったとき、誰かに話を聞いてもらいたいとき、ただ過ごしてほしいときに連絡する先としての選択肢に入るかもしれません。それが、バディ期間中でなくても、それが数年後、ひょっとしたら数10年後かもしれませんが。


簡単なことではない?

フラットに接するって、簡単にできる人もいれば、少し難しく感じる人もいるようです。バディの方から、こんな質問をいただいたこともありました。

「せっかく時間とってるし、子どもにとって有意義な時間にしたいから、ただお喋りするだけじゃなくて何か教えたりした方がいいのかな…?」

ただ過ごす、ただ見守る、ただお喋りする…これが、子どもにとって生産性のない時間に思えてしまうときがあるようなのです。

普段仕事で、なるべく短時間で相手の期待を越えるパフォーマンスを出してきた人こそ、普段のその行動と、全く違う活動のため、そわそわしてしまうのかもしれません。

こういうときには、月に1度実施しているバディミーティングでその気持ちをシェアしてもらい、バディみんなで受け止め、「見守るスタンスでいいんだよ~」といってみたりします。そんな中で、バディの方々も自分自身の変化を感じてくれているみたいで、それも私の喜びだったりします。


最後に

このプロジェクトは、短期で成果をだすようなものではありません。誰かがずっと自分の人生をずっと見守ってくれているという安心感を醸成するためのプロジェクトです。バディの方は、バディの期間が終わったとしても、子どものことをずっと忘れないでしょう。

子どもは、バディのことを忘れてしまうかもしれません。もしかしたらくっきりと刻まれるかもしれませんし、安心感という概念だけがうっすら身体に残るかもしれません。

子どもとのかかわりは種まきのようなものだと思うので、ここでバディと子どもが過ごす今が、未来にどうつながるかはわからないけど、その種がどう育ってゆくかを楽しみにしながらお互い生きてゆく、そんな長期的なプロジェクトなんだと思います。

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