《留学前のお話》母の覚悟
17歳の夏
出発が近づくにつれて私の行動はおかしかった。
らしい。。。
というのも、本人記憶にございません笑っ なので、母の後日談より以下をまとめます。
・不安がゆえの行動
・飛行機は飛ばない 笑っ
・母の覚悟を知った日
不安がゆえの行動
修学旅行も1年以上前から準備してた私が、留学に関しては、まー動かない。
買わないといけないものは?
必要なものはないの?
と何度聞かれてものらり、くらり。
1年間に必要なすべての荷物を持っていくことはできないけど、そりゃそれ相応の準備がいるでしょーよー。
でも、動かない。
残り1ヶ月ってところで、よーやく動きだしたわけですが、
田舎に住んでるのにサイズが規格外だったため、身に付けるものは探すだけで一大事
小言を言われ、むくれながらも買い物をする日々が続きました。
自分のことだろーよ!と怒らなかった親には感謝ですね。
そんなある日、突然、耳が痛くなる👂
長く水泳をしてた影響で少し耳が弱かったのもあったんですが。
大騒ぎして、休診日に開けてもらって耳鼻科へ。
実のところどこも悪いところはなく
気分的なものだったよーですが。
先生はちゃんと薬を出してくれてました。
そんなこんなで毎日ぶつぶつ。
何か言われれば、むくれ、反抗的なる。
そんな、毎日でした。
飛行機は飛ばない 笑っ
この耳が痛い事件は元を辿ると、飛行機✈️が怖いというもの。
それまで飛行機に乗ったことのなかった私にとって、あんなに大きくて、
重たいものが空を飛ぶなんてことは信じられない、信じない。
飛行機は怖い、怖いから乗らない、東京も夜行バスで行く!と言い張り
日本から、アメリカはどーすん?!と突っ込みたいが。😂
夜行バスで東京に行くことに。
母の覚悟を知った日
何が不安だったか。。
すべて
としか言いようがない。
飛行機はそのほんの一部で
アメリカには銃もある
あの事件のように撃たれてしまったらどうしよう
生活はどうなるんだろう
想像もつかない海外での1年間の生活
親はいない
友達もいない
連絡は極力しないよーに
17歳にとっては果てしない冒険
不安が全てを覆い尽くす、そんな日々
親には申し訳ないくらい不安定だったと思います。
毎日、グダグダ
何かを言われれば、ブーブー文句ばかり
ぶつぶつと不機嫌な日々
と面倒くさい頃、とうとう、怒り浸透の母が
「死ぬ時はどこでも一緒。」と一喝
さすがに、黙った。
日本にいるからって死なない保証もない
今も嫌なこと、辛いことがいろいろあるけれど
その度に母の言葉を思い出します。
そして、背筋を伸ばして前を向いて歩ける自分がいます
でも、忘れてもいません
母がその言葉に込めた親の覚悟と大きくて、深い愛情が
その一言に込められていたことも
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