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炎上案件の歩き方

第1章:プロジェクト炎上の幕開け

和也さん、また追加要望が来ました

プロジェクトルームに重苦しい空気が流れる。
時計は午後9時を回っていた。周囲を見渡せば、目の下にクマを作ったメンバーたちが、無言でキーボードを叩いている。

和也は、30代半ばのリーダークラスのシステムエンジニアだ。
大手SIerに勤めて10年以上、炎上案件は何度も経験してきたが、今回ばかりは規模が違った。

「どんな内容?」
「えっと……スケジュールはそのままで、レポート機能を10種類追加したいそうです」

「は?」

耳を疑った。
今だって納期はギリギリ。開発は遅れ、テストも終わっていない。
そんな状況で、10種類のレポート機能追加?

──ふざけんなよ。

心の中で毒づくが、口には出せない。
リーダーが荒れると、チームが崩壊するのは知っていた。

「とりあえず、明日、先方と調整する」

そう告げると、またキーボードに向き合う。
が、指が止まった。

なんで俺ばっか、こんな目にあうんだろう。

プロジェクトが始まったのは半年前。
誰もが「これはヤバい」と気づいていた。

要件はあいまいで、関係者は多く、誰も責任を取りたがらない。
言いたいことだけ言って、あとはよろしく。

そんな案件だった。

ただ、和也は断れなかった。
「君ならやれるだろう」
上司からそう言われて、NOと言える空気じゃなかった。

──まあ、どうにかなるか。

そんな甘い考えは、1ヶ月で消えた。

「今日はもう終わろうか」

深夜0時。
さすがに限界を迎え、和也は声をかける。

「すみません、先に失礼します」
「お疲れ様です」

次々と席を立つメンバーたち。

彼らもまた、和也と同じ30代。
家族がいる者もいれば、転職を考えている者もいる。

最近は、みんなの顔から笑顔が消えていた。

和也は、帰り際に自分のスマホを見た。

──妻からのLINE。

「今日も遅いんだね。体に気をつけて」

画面を閉じ、深いため息をつく。

「……くそ」

本当に、このままでいいのか。

プロジェクトは泥沼。
クライアントは無茶を言い、現場は疲弊。

このまま進めば、間違いなく失敗する。

だが、逃げるわけにはいかない。

俺がやるしかない。やるしか……。

翌日、和也はクライアント先の会議室にいた。

相手は5人。
みなスーツ姿で、腕を組んでいる。

「で、追加のレポート機能ですが、納期は動かせませんよ」

開口一番、そう言われた。

和也は笑顔を作った。
こういう時こそ冷静に。

「お気持ちはわかります。ただ、現状を踏まえると、全てを盛り込むのは難しいと思っています」

「難しいじゃ困るんですよ。やるのがプロでしょ?」

──うわ、きたよ。

内心はイラッとしたが、表情は変えない。

「もちろんプロとして、やれる限りのことはやります。ただ、そのために少しご相談させてください」

そこから、約2時間。

和也は丁寧に、そして粘り強く説明を続けた。

・現状の進捗
・追加要望の影響
・品質へのリスク

「このままだと、システムが動かないものになってしまいます。御社にとっても、それは望ましくないかと」

資料を見せながら、静かに語る。

途中、何度も遮られた。
「そんなの関係ない」「それが君たちの仕事でしょ」

でも、負けなかった。

だって、守りたいから。
このプロジェクトも、チームも、自分の誇りも。

気がつけば、会議室の空気が少しだけ変わっていた。

「……じゃあ、必要な機能だけに絞る提案をしてくれる?」

その言葉を聞いた瞬間、和也は心の中でガッツポーズをした。

「ありがとうございます。すぐにご提案します」

勝負は、これからだった。


第2章:絶望の中で見えた光

プロジェクトルームに戻ると、和也はすぐにメンバーを集めた。

「みんな、ちょっといい?」

夜の7時。
すでに顔が疲れ切った仲間たちは、無言で席を立ち、集まってくる。

「クライアントと交渉してきた。追加要望は……一部に絞ってもらえることになった」

「……ほんとに?」

一番に声を上げたのは、若手の田村だった。
最近はミスが続き、かなり落ち込んでいた。

「ああ。ただ、その代わり、俺たちからちゃんと提案を出すことになった。
本当に必要な機能だけを整理して、スケジュールを立て直す」

「……やっと、前に進めるんですね」

隣でぼそりと呟いたのは、サブリーダーの佐伯。
彼も同じ30代。
この数週間、ずっと険しい顔をしていた。

「うん。だから、ここが正念場だ。
このままじゃ終われない。全員で乗り越えよう。

静かだった室内に、少しだけ力強さが戻る。

そこからの数日間は、怒涛の日々だった。

「この機能、本当に使うのかな?」
「いや、たぶん年に1回くらいしか動かさないんじゃないですか?」
「じゃあ、それは後回しにしよう」

和也はメンバーたちと一緒に、機能一つひとつを精査していった。

要望をそのまま受け入れるんじゃなくて、価値を考える。
それがプロの仕事だ、と改めて思った。

「あのさ、田村。昨日の資料、よかったよ」

「え、ほんとですか?」

「うん。おかげで話がスムーズに進んだ。ありがとう」

「……やった」

久しぶりに見た田村の笑顔に、和也はほっとした。

そして迎えた再提案の日。

和也はクライアント先で、緊張しながらも説明を始めた。

「今回、機能を整理し、本当に必要なものだけに絞りました。
その分、品質を上げて、納期を守ります」

資料には、優先度ごとに並んだ機能一覧。
無理のないスケジュール。

「……ふむ。確かに、この方が現実的かもしれないな」

クライアントの担当部長がうなずいた。

「分かりました。これで進めてください」

その瞬間、肩の力が一気に抜けた。

──やっと、道が見えた。

長かった。
でも、諦めずに交渉してよかった。

「お疲れ様でした!」

会社に戻ると、佐伯が声をかけてきた。

「これで、少しは光が見えましたね」

「うん。ここからが本番だけどな」

「まあ、でも……久々に、楽しくなってきました」

「俺もだよ」

ほんの少しだけ、みんなの顔に笑顔が戻っていた。

そして和也は心に決めた。

絶対に、このメンバーでやり切る。
それが俺の役目だ。

次は、地獄のリカバリー作業。
でも、もう逃げる気はなかった。

──さあ、行こう。

第3章:仲間とともに立て直す

「よし、じゃあ今日から本格的に巻き返していくぞ!」

再提案が通った翌日。
和也は朝一番に声を上げた。

メンバーたちも、それぞれ気合が入っている。

“これでやっと前に進める”

そんな空気が、少しずつチームに広がっていた。

だが──。

「すみません、動作が遅くなってて……」
「え? また不具合?」
「はい、昨日直したはずなのに、別のところで影響が出てるみたいで……」

すぐに楽にはならない。
遅れていた開発は、想像以上にガタガタだった。

バグは次々に出て、検証環境も不安定。
メンバーは朝から晩まで、ほとんど座りっぱなしでPCと格闘する日々が続いた。

そんなある夜、和也はふと気づいた。

「あれ、田村……まだ帰ってないのか」

時計は23時を回っていた。

「……すみません、もう少しだけ」

田村は資料作りをしていた。
自分がミスを連発してしまったせいで、遅れた分を取り戻そうとしていたのだろう。

和也は、そっと声をかけた。

「今日はもう帰れ。体壊したら意味ないぞ」

「でも……」

このプロジェクトは、誰か1人が頑張るもんじゃない。
全員でやるから意味があるんだ。
だから、無理すんな。

田村は、少し驚いた顔をして、でも最後は小さくうなずいた。

「……はい、わかりました」

そこから、和也は意識的にチームの雰囲気作りに力を入れた。

・どんな小さな成功でも、ちゃんと褒める
・困っている人がいたら、必ずフォローを呼びかける
・笑える雑談も大事にする

「やっぱりさ、コンビニのコーヒーはアイス派だよな?」
「いや、ホット派です」
「田村、お前それは間違ってるわ」

「どうでもよすぎません?」

そんなやりとりが、深夜の疲れた空気を少しだけ和らげてくれた。

そして迎えた金曜日の夜。

「やった……通った……」

佐伯が静かに言った。

「え?」

「テスト、一発合格」

それを聞いた瞬間、全員の手が止まった。

「マジで?」
「すげぇ!」
「やっと、やっとだ……」

みんな、お疲れ様。
やればできるじゃないか。

和也は、思わず笑っていた。

本当は、まだ課題は山積みだ。
納品まで、あと少し。
気を抜くわけにはいかない。

でも、この小さな成功は、確かにみんなの心を支えてくれる。

「……俺たち、まだやれるよな」

「はい!」

その返事が、あの頃のどんよりしたプロジェクトルームを、少しだけ明るくした。

帰り道。

和也は夜風にあたりながら、ふと思った。

──最初は、正直逃げたかった。

もう無理だって、投げ出したくて。

でも、あの時、踏ん張ってよかった。

このチームで、絶対にやり切る。

今は、そう胸を張って言える自分がいる。

そして、少しだけスマホを開いて、妻にLINEを送った。

「やっと、少し光が見えてきたよ」

すぐに返事が来た。

「よかったね。無理しすぎないように」

夜空を見上げて、和也は小さく笑った。

──あと少し、頑張るよ。


第4章:プロジェクト成功、そして涙

納品当日。

朝から降っていた小雨が、午後には止んでいた。
少し肌寒い空気の中、和也はクライアント先のビルへと向かう。

半年以上続いたこのプロジェクトも、いよいよ終わりを迎える。

……長かった。
そして、苦しかった。

でも、ここまで来れた。
チーム全員で。

最終チェックは完璧。
あとは正式に納品して、問題なく動くことを確認するだけだ。

「和也さん、こっちはOKです」

現場にいる佐伯が、無線で伝えてくる。
田村の声も続く。

「レポート機能、全部確認しました。大丈夫です!」

「ありがとう。引き続きよろしく」

静かに深呼吸して、クライアントの会議室に入る。

目の前には、これまで散々無茶を言ってきた担当者たち。

「……では、納品確認を始めましょう」

淡々と進むチェックリスト。

あれだけ山のようにあった要望。
それを、必要な機能に絞り込んで、磨き上げたシステム。

画面が動くたび、心臓がドクドク鳴った。

──頼む、何事も起きないでくれ。

「……うん、問題ないですね」

そう言われた瞬間、背中から力が抜けた。

「これで完了ですね」

「はい。本日をもって、正式に納品となります」

笑顔で頭を下げる。

そして、担当部長が口を開いた。

「正直、最初はどうなるかと思ったけど……
いいシステムになりました。ありがとう」

その言葉が、やけに胸に響いた。

「いえ……こちらこそ、ありがとうございました」

心からの言葉だった。

夜。

プロジェクトルームで、簡単な打ち上げを開いた。

コンビニで買ったお菓子と、ノンアルコールの飲み物。

高級な料理なんていらなかった。
このメンバーで、この時間を過ごせるだけで十分だった。

「みんな、本当にお疲れ様でした」

和也は、立ち上がって話し始める。

「途中、どうなるかと思ったし、俺も何度か心が折れかけたけど……
最後までやり切れたのは、間違いなくみんなのおかげです。

田村。お前がまとめてくれた資料、最高だった。
佐伯。いつもフォローありがとう。

そして、ここにいる全員がいなかったら、このプロジェクトは絶対に終わってなかった。

俺、リーダーとしてはまだまだだったけど……
こんな最高のチームで仕事できて、幸せでした」

気づけば、少し声が震えていた。

横を見ると、佐伯が目をこすっている。

「あれ、花粉が……」

「いや、まだ冬だし」

「ほんと、いいプロジェクトでしたね」

田村も、静かにうなずいていた。

俺、こういう仕事がしたくて、この業界に入ったんだって、思い出せました。

和也は、その言葉に胸が熱くなった。

「……そうだな。俺も、そうだよ」

帰り道。

夜空には、星が少しだけ見えていた。

和也はスマホを取り出して、妻にメッセージを送る。

「無事に終わったよ。ありがとう」

すぐに返事が届く。

「お疲れさま。ゆっくり休んでね」

小さく笑って、スマホをしまう。

そして、前を向いた。

──また、次のプロジェクトが始まる。

きっと、これからも無茶な要望や、辛い日々が待っているだろう。

でも、もう怖くなかった。

仲間がいれば、乗り越えられる。
そう、信じられる自分がいる。

「さあ、帰ろう」

そう呟いて、和也は静かに歩き出した。

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