【IT小説】失われたデータの先に
登場人物紹介
山田 翔太(やまだ しょうた)
職歴: 新卒2年目のシステムエンジニア。運用保守チーム所属。大学では情報セキュリティを専攻しており、理論には強いが実務経験はまだ浅い。
性格: 真面目で向上心が強い。失敗を恐れる傾向があり、周囲の評価に敏感。
佐藤 真奈美(さとう まなみ)
職歴: 入社6年目の先輩エンジニア。プロジェクトリーダーを務めることもある。翔太の直属の指導役。
性格: 冷静沈着で効率重視型。翔太にとって憧れの存在。
田中 剛志(たなか たけし)
職歴: 入社15年目のベテランエンジニア。過去に設計を担当したバックアップシステムの運用にも関与している。
性格: 保守的で職人気質。自らの仕事に強い誇りを持つ一方で、若手との意見衝突も多い。
1章:セキュリティの盲点
冬の冷たい朝、山田翔太はいつものように出社し、モニタリングツールの画面に目を落とした。クラウド環境で稼働しているシステムが正常に動作していることを確認し、一息つく。しかし、その安堵は長く続かなかった。
「翔太くん、ちょっと来て。」
隣のデスクに座る真奈美が、モニターを指差しながら低い声で呼びかけた。その画面には、昨晩からの異常なアクセスログが表示されている。特にバックアップデータへの繰り返しのアクセスが目立っていた。
「これ、外部からのアクセスの可能性が高いわ。クラウドプロバイダのアラートも出てる。」
「外部…ですか?」翔太の声は不安で揺れていた。バックアップデータはシステムの最終防衛線とも言える存在だ。そのセキュリティが侵害されたとなれば、顧客情報流出や業務停止のリスクがある。
翔太はすぐにログ解析を始めた。時間ごとのアクセス数やアクセス元のIPアドレスを追跡し、不審な挙動を確認する。作業が進むにつれ、胸の奥に焦燥感が広がる。
「どうしてこんなことが起きたんだ…」
真奈美の落ち着いた声が響いた。「バックアップデータに暗号化が施されていない部分がある。原因は、その設計が導入当時の基準に基づいているからかもしれない。」
翔太の心臓が早鐘を打つ。設計の問題を突かれるというのは、エンジニアにとって恥ずべきことだ。それが、チーム全体に影響を与えるとなれば尚更だ。
翔太と真奈美はすぐに田中に状況を伝えることにした。田中は設計当時の主担当だったため、状況を把握している可能性が高い。
田中の席に向かう道中、翔太の胸中は複雑だった。自分たち若手がベテランを批判するような形になるのではないかという懸念があったからだ。
田中の反応は予想通りだった。「確かに当時の設計では、バックアップデータの暗号化が必須ではなかった。だが、その後の運用で必要な対策が講じられていないことに問題があるのではないか?」
田中の声には微かな苛立ちが含まれていた。自らの設計を責められることに対する防御反応だと、翔太は感じた。しかし、それを正面から指摘する勇気はまだなかった。
真奈美が間に入った。「田中さん、運用と設計の責任を分けることは重要です。ただ、今回は設計段階のレビューが甘かった可能性も検討する必要があります。」
田中は眉をひそめたが、深く息をついて同意の意を示した。「分かった。ログと設計書を一緒に見直そう。」
その後の数時間、翔太はログ解析と設計書の確認に没頭した。問題の本質に迫る作業の中で、彼の心には一つの問いが浮かんでいた。
「自分なら、これを防げただろうか?」
セキュリティの基本を学び、理論には自信を持っていたはずの自分。それでも現実の運用で発生する問題は、教科書に載っていない複雑さを伴っていた。
真奈美がその背中を軽く叩いた。「翔太くん、大事なのは原因を明確にして、同じ問題を繰り返さないことよ。」その言葉は、彼の中で焦りを少しだけ和らげた。
ログの解析結果から、不正アクセスの可能性が高い特定のIPアドレスが浮かび上がった。それは国外のサーバーを経由しており、意図的な攻撃であることが示唆されていた。
「防げなかった過去を責めるより、これから何をするべきかだ。」翔太は小さく自分にそう言い聞かせた。
田中も席を立ち、資料を広げながら提案した。「問題の特定が進んだなら、次は再発防止策の具体化だな。このシステムに暗号化プロトコルを追加する方法を検討しよう。」
翔太は田中と真奈美に力強くうなずいた。初めて自分が、単なる補佐ではなくチームの一員として役割を果たし始めている実感を持った瞬間だった。
2章:揺れる信頼
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