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ジェレミー・リンが中国リーグへ移籍!NBAチームとの契約に至らず、、、。

どーも、わたぼーる だいち です。
今日もダンクシュートのように高くジャンプしたくなるバスケ情報をお届けします。

本日は、NBAで活躍したアジアンアメリカンの選手、ジェレミー・リンの話題です。

昨シーズン、ジェレミー・リンはトロント・ラプターズで控え選手ではありましたが、NBAチャンピオンに輝いた選手の一人。

しかし、来シーズンの所属チーム先がなかなか決まっていませんでした。

そしてようやく移籍先が決まったので、その内容とジェレミー・リンがNBAでの軌跡を振り返りたいと思います。

ジェレミー・リン、中国リーグへ移籍が決定!

昨シーズン(2018-19シーズン)、アトランタ・ホークスに所属していたジェレミー・リンですが、シーズン途中にチームからバイアウト(解雇)され、トロント・ラプターズと契約をしました。

そしてこのシーズンにトロント・ラプターズはNBAチャンピオンとなりました。

NBAチャンピオンの一員になれたジェレミー・リンですが、オフシーズンに入ってもなかなか彼と契約を結びたがるチームは現れていませんでした。

ジェレミー・リンはNBAでのプレーを強く希望していました。

インベントでのスピーチでは涙ながらフリーエージェントとしての厳しい状況を語っています。

彼は
 "I feel like the NBA has given up on me."
NBAから見離された気分だと心境を語りました。

そして、NBAチームからのオファーはありませんでした。

最終的にジェレミー・リンが選んだ道は、

中国のプロバスケットボールリーグ(CBA) の "北京ダックス" との契約に至りました。

ジェレミー・リンの両親は台湾出身ともあり、中国でも人気がある選手の一人である。

再び中国で "リンサニティ" を巻き起こせるか注目である。

ここで活躍すればNBAに戻る可能性も出てくるので頑張って欲しいですね。


中国リーグの"北京ダックス"では、過去NBAでプレーしていた選手が移籍し、3度の優勝に導いた賞賛されている選手がいた。

ステフォン・マーブリーである。

彼は1996年から2009年までNBAでプレーし、その後中国リーグへ移籍した。初めは山西ドラゴンズへ入団し、その後北京ダックスと契約し、2012, 2014, 2015年と3度も優勝を経験している選手である。

このチームへの貢献が認められ、本人の銅像が立てられた。

ジェレミー・リンも彼に続く活躍が北京ダックスで期待されている。

ニューヨーク・ニックスで巻き起こった "リン・サニティ"

ジェレミー・リンは2010年にドラフト外でゴールデンステート・ウォーリアーズと契約をしNBA入りを果たす。
29試合に出場するもDリーグ行きを命じられ、そこで20試合に出場。
しかし、シーズン終了後に解雇されてしまう。

それからニューヨーク・ニックスと契約。しかしここでもDリーグ行きへ命じられる。

だが、転機が訪れる。

Dリーグでトリプルダブルを記録したジェレミー・リンはロスターに復帰。

2012年2月4日のニュージャージー・ネッツ戦で36分出場し、25得点7アシスト1ターンオーバーとチーム最多得点という高いパフォーマンスを見せた。

さらに2日後のユタ・ジャズ戦ではキャリア初のスターターでの起用。
そして28得点8アシストと活躍。

続くワシントン・ウィザーズ戦では23得点10アシストでキャリア初のダブルダブルを達成。

まだまだ続きます。ロサンゼルス・レイカーズ戦ではキャリアハイとなる38得点7アシストと大爆発。

カーメロ・アンソニーとアマーレ・スタウダマイアー不在の間のチーム前章に導き、7連勝を記録した。

この活躍でリンは2月6日から2月12日までのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークにイースタン・カンファレンスから選出された。

各紙には、
"リン-サニティ(Lin-Sanity)":Linと"尋常でない"という意味を持つ単語の"Insanity"をかけた造語 
という言葉で大きく取り上げられるほどであった。

突然の大活躍で、NBAオールスターゲームのライジング・スターズ・チャレンジへの出場が急遽決定した。

しかし、その後に左膝を負傷する怪我を負い、手術を余儀なくされこのシーズンは無念にも終わりを告げた。

しかし、この短期間でジェレミー・リンがNBAにもたらした影響はものすごく大きく、一気に全世界にジェレミー・リンという名を知らしめることとなった。

NBAへの強い思いがリンをここまでにさせたのだろう。

移籍・怪我を経てNBAチャンピオン!しかし、、、

ニューヨーク・ニックスに残留するだろうと思っていたリンだったが、2017年7月に制限付きFAになったリンは、ヒューストン・ロケッツにサインし、移籍が決まった。

なぜ、リンはニックスを離れることを選んだのか。

3つの理由が挙げられます。

1. リン一人があまりにスター扱いにされていた
あまりにスター扱いされるリンに対して、フランチャイズプレーヤのカーメロ・アンソニーが嫉妬をしてチーム状況がよくない方向に言っていた。
ロールプレーヤーの中にも不満を持つ選手がいたと、当時ヘッドコーチのマイク・ダントーニは言ってました。

2. バスケ的なフィット
ニックスはカーメロとスタウダマイアーの得点力に優れている選手、しかしディフェンスが弱い選手がすでにおり、そこにさらにボールを必要とするスコアラーでディフェンスが微妙な選手が加わることは、チームとの相性が合わなかった。

3. お金
誰もがそうですが、お金をもっともらうためにステップアップしたいと考えます。リンはこのシーズン活躍したのでニックスとの良いオファーでの契約を望んでいました。しかし、ニックスは制限付きFAのリンに他のチームと交渉してくるようにとリンとの契約には後ろ向きだった。

そんな要因からリンはニックスからロケッツへ移籍することとなった。

ヒューストン・ロケッツでのリンはキャリアで初のフルシーズンでしたし、全82試合をスタメンで出場し、ニックスでの大活躍がまぐれではないことを証明した。

しかし、2シーズン目にリンの弱点が発覚する。
リンはボールを持っていないと活躍できない選手だということ。
ドライブやピックアンドロールでのボールコントロールは上手でしたが、オフボールでの動きが苦手ということがはっきりと見えてきたのです。

ロケッツにはジェームズ・ハーデンがおり、彼は得点力はあるがディフェンスが弱かった。
なのでロケッツとしてはハーデンの分も守れるディフェンス力があり、オフェンスではキャッチアンドリリースでシュートが打てる選手を求めていた。

なので、ロケッツはそのディフェンス・オフェンスをハイレベルで行える2年目のパトリック・ビバリーをスタメンに起用し始めたのです。
その影響でリンはスタメンスポットを奪われる形となった。

そして、3年目にロケッツはリンをロサンゼルス・レイカーズへトレードをしました。
その当時レイカーズはあまりパッとしないチームで低迷しており、リンは控え選手での出場が多くなっていた。

コービーがリンに練習中にボロクソ言っているのがTwitterで炎上したこともありました。

レイカーズでのプレーでリンはスタメンレベルの選手ではないと思われ始め、株をだいぶ下げてしまった。

そして、リンは2015年のオフシーズンにシャーロット・ホーネッツと2年 4.3millionで契約を交わしました。
ホーネッツではあまり注目されている選手がいなかったので、リンに対しての注目もあまりされてませんでしたが、リンにとってはニックス以外で一番輝いていたシーズンだったかもしれません。

ビジュアルでは毎週違う髪型に変えていた。

ツンツン頭の時は、実際に7番をつけていたこともあり、リアル仙道彰(スラムダンク)を見ることができました。

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かなりそっくりです。

チームではセカンドユニットのシックスマンとして起用されていました。
時にはケンバ・ウォーカーとツーガードとしていいコンビを組んでいました。

リンは何よりホーネッツで楽しそうにプレーをしていました。
実際リンもホーネッツでのプレーが一番楽しかったと言っています。

そしてカンファレンス6位としてプレーオフに進出し、いいシーズンを過ごした。

しかし、リンは年齢的に27 歳と全盛期の年齢。全盛期ではエースとしてプレーをしたいと考えたリンはホーネッツに残留せず、若く再建中のブルックリン・ネッツと3年で契約をしました。

リンがネッツへ移籍した理由はニックス時代にお世話になった当時アシスタントコーチだった、ケニー・アトキントンがネッツのヘッドコーチとしてちょうど雇われたからと言われています。

このコンビはコート場だけでなくチームカルチャーにとってもポジティブになるんじゃないかと期待されてました。

しかし、残念ながらリンはシーズン5試合目にハムストリングの怪我をしてしまい、その影響でこのシーズン38試合しか出場できませんでした。

ところが、リンが試合に出場した際にはエースばりの活躍をし、チームを勝利へ導いていました。
リンがいるのといないのとは違うなと思わせてくれる次のシーズンへ繋がるシーズンとなったと思います。

このオフシーズンにネッツはでデアンジェロ・ラッセルを獲得をし、リンとのホーネッツ時代にケンバと見せたコンビネーションがラッセルとも通用するんじゃないかと楽しみな気持ちで2017-18シーズンを迎えました。

開幕戦でペイサーズ相手に絶好調なリンとラッセル。しかし、第4クォーター最後の5分でリンがドライブからのレイアップ後に着地に失敗し、膝の腱を切ってしまい、この怪我で開幕戦の1試合のみの出場で終わってしまったのです。

"I'm done, I'm done" と悔しがるリンの姿は印象に残っています。

リンは復帰へ必死にリハビリするも、リン不在のネッツではスペンサー・ディンウィディーとラッセルのなかなかいいコンビの結成のため、必要な選手としてではなくなってしまっていたのです。

そして、ネッツがドラフト1巡指名権を獲得するためにリンをアトランタ・ホークスへトレードしたのです。

ホークスでのリンは始め、1年ぶりにNBAでプレーをしたのであまり調子はよくなかったが、11月に入ってからは彼のキャリアでは見たことのないシューティングクリップでした。

11月のスタッツ (14試合)
FG:56.0%、3P:47.9%、FT:84.0%

しかし、他のどのチームをリンを欲しがるところが現れなかった。

トレード期限が過ぎてしまった中ホークスと相談した結果、プレーオフ出場チームに行きたいということでバイアウトが成立し、トロント・ラプターズとの契約に至りました。

そして残りのシーズン、ラプターズでベンチプレーヤーとして活躍を期待されたリンですが、ホークスでは絶好調のシュート力がFG37.8%、3P20%とぐんっと確率を大幅に下がってしまったのです。

フリーでのシュートも入らない選手ではラプターズのシステムに合わないということで、プレーオフでは合計27分しか出場機会を与えられませんでした。

チームは優勝したものの、チームに貢献して獲得したチャンピオンシップトロフィーではないので達成感はあまりないとリンは言っていました。

まとめ

こんなたくさんの苦難を乗り越えてきたジェレミー・リン。
それを9年間というNBAキャリアに繋げたことはすごいことです。

これからのジェレミー・リンの活躍も応援しましょう。

では、また次回!

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