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小学校卒業頃の写真

何気に書きたくても躊躇した事柄を書くことにする。
昔々の話です。
私が小学校1年生の時、担任の先生は定年間近なNおじいちゃん先生だった。小学校は音楽や体育、美術などの専門教科以外は担任が教えていて、理科の実験で教室後ろの机に四角い水槽の中にそれぞれ名前を書いて試験管を入れる日があった。
男子であったかその試験管を触って動かしているうちに触れ合った試験管が割れてしまった。そして水槽の中で試験管が浮いていた。
私は危ないので割れた試験管を脇に集めて着席していた。
確か後ろから2番目くらいの席だったかな。
授業が始まり割れた試験管を見た先生が烈火のごとく怒り、水槽に触った者は手を上げろと言った。更に手を挙げた人に触った人を見たら名前を言えと言った。。
そう、私は確かに触っていた。
級友の女子が私の名前を挙げて立たされた。
その出来事、光景を今でも忘れていない。しぶとい(笑)
不合理な叱責は今の時代では問題になるやもしれない。頬を叩かれた事も告げ口を経験したことも自分の正義感を打ち砕かれたことも、全部の出来事が今に生きている。
先生が正しくないこともあるんだという現実も
6才の子供には驚きと得体のしれない理不尽に対抗する体の中に生まれた何かがある。
決して勉強が出来たわけではない私が、この頃から1つ1つの矛盾を感じたことを、自分が納得できるまで記憶して何度もどうしたら良かったのかを考えるようになった。
今に生きてますね~。
そして私の中の正義は自分との戦いでもあった。
そんな理不尽や矛盾を感じていた自分が中学に入って級友の中に在日韓国人の級友が何人かいた。その一人は生徒会長になり、また別の友人は親友になった。
東京都の中でもいわゆる住宅街としては人気の場所で著名人が多く暮らしていた。
中学は偏差値が高いと言われていた。なのに小さな差別やいじめはあった。
今でいういじめとはレベルが違うが、靴やカバンを隠されたりその中で恋バナもあり、部活があり時代的には普通な生活と思って過ごしていた。
級友達は宝塚に夢中だったり、ウイーン少年合唱団に色めきだったり可愛いものです。
書きにくい部分に入ります。
そんな恵まれた環境の中にそれ程遠くない場所に集団で暮らす地域があり、親やPTAでは行動範囲を広げる世代の私達に〇〇には行かないように、○○と会わないようにと言ってたな。
日本も今から思えばまだまだでした。電信柱で用を足すおじさんやおじいちゃんがいたし、差別もあったし、公園やサービスエリアのトイレは汚かった。
車のクラクションだって、ハザードランプの点灯が「サンキューハザード」に変わった頃から無くなった。ここ10年か20年で変わりましたね。日本人
今時電信柱で用を足すようなことが無いのはコンビニのお陰かな。ワンコだってペットボトルの水で後始末するし。外で飼う犬も見かけないですね。
いま、韓ドラブームで韓国人の日本好きや日本人の韓国アイドルや俳優好きも増えましたね。私か。。。(笑)
政治に置き換えると本当に50年前に戻ってしまうような出来事が続いていますが、いつの間にか変わった民意のように、間違いや誤解が無くなり理解し合えるようになればいいと心から思います。
どこから始めるかは分からないけれど世界が評価する日本で道路やトイレが綺麗でクラクションを鳴らさず譲り合う交通や正確な公共交通機関など気付くと変わったように、変わるといいなと思います。
韓国は教育を変えて欲しいですね。反日なんて世界に出れば事実が分かると思うし、日本を正しく理解する韓国人もいるし日本人も嫌韓の人が変わることを願う。
嘘にはいつか気付くのです。
間違いも気付いた時直せばいいのです。
勇気とはそういう時に発揮するものだからね。
傷付くことは嫌なんですね。私。。。自分も人もね。
十分に傷付いたから人の痛みも理解できるよ。
優しくなろうよ。世界の為にね。


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